64万人の魂 兵庫知事選記/勝谷誠彦[西日本出版社]

64万人の魂 兵庫知事選記

64万人の魂 兵庫知事選記

  • 作者:勝谷 誠彦
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 果たして本当に知事になる気があったのだろうか。

 知事は大変な権力を持っている。行政の全ての事柄が国政または中央省庁で決まるわけではないから、都道府県独自の税金、補助金、産業振興、医療、福祉、教育、等があり、知事はそれらを実行する事ができる。或いは公社、第三セクター地方銀行、商工団体、その他関係機関のポストに意中の人物を押し込む事もできよう。そのため国会議員、中央のエリート官僚、県議、市長、ジャーナリスト、等がそのポストを目指して戦いを挑む事になる。権力と利権を求めて、候補者本人はもちろんその候補者を祀り上げる事で自分も利益を得ようとたくらむ者もいよう。どす黒い欲望が渦巻く中で都道府県知事選挙は行われる。もちろん純粋にその都道府県を良くしたい、人々の笑顔が見たい、或いは故郷を住みやすい場所にしたいとの思いで立候補を考える者(とその立候補者を支える者)もいるだろう。しかし「情」や「義」では動く人や組織は少ない。或いはそのような人や組織の力は小さい。ほとんどの人や組織は利害、打算、或いは生活のために動くのであり、またそのようなドライな理由であればこそ、組織的に、効率的に、機動的に動く事ができるのである。

 だから素人が立候補するにはよくよく考えなければならない。誰が支援してくれるのか、特に現職と対決する事になれば現職の陣営、つまり今現在の市町村長や県議、市議のうち何割がこちら側へ来てくれるのか。地元の経済界は支持してくれるのか(もしくは静観してくれるのか)。中央の政党、政治家はどうか。綿密、詳細な検討を重ねた上で決意しなければならない。それらを怠って自らの読者とボランティアだけを頼りに「明るく楽しい」などと言っている時点で作者の負けは確定していたのであった。

 とは言えこれまで現職・オール与党対共産党候補の無風だった選挙が知名度のあるタレント候補の出現により多少はざわめく選挙となる。現職にとっては万が一に備えて手は打っておきたいはずであり、その弱みにつけこもうとした輩が必ずいたはずである。選挙とはそういうもので、誰かが作者をけしかけ、作者は立候補する事になった。その情報をもとに現職に幾らかの恩を売り込むのである。つまり作者は利用される存在でしかなかった。そして勝てる見込みはない。しかしそもそも作者が本当に勝とうとしたのか疑わしい。毎日有料のメルマガを更新するのは構わないが、「私には『関羽』と『張飛』がいる」などと悦に入り、「遊説の旅は新店発見でもありますなあ」などと言って緊張感も何もない。選挙は戦争であり、食って、寝て、さっさと起きなければならない。「遊んでいるだって?そうだ、徹底的に遊ぶ事で徹底的に見るのだ」と言うのはパフォーマンスとしてはいいだろう。しかしパフォーマンスは所詮パフォーマンスである。裏では現職陣営の切り崩しをやらなければならない。ところが作者の応援は県議1人と前市長だけであった。41も市町があるのに何をやっているのか。典型的な空中戦頼み、ボランティア頼みであって、それで勝てる、知事になる見込みがあると本当に思っていたのなら素人も素人で、読んでいるこちらが恥ずかしかった。

 そして作者は負けるのであるが、しかし作者は人生と財産をかけて県知事選挙という大戦に挑んだのであり、ボランティアや草の根の人達の温かい支援にも恵まれ、これからの作家人生においてお釣りが出るほどの貴重な経験をした事は確かである。また兵庫県41市町を訪れ、ハコモノ行政の実態と矛盾、また「イオン」に代表される一点のみの街づくりの貧相さ、残されていく高齢者や地方の人達の痛々しさを嫌というほど感じたわけだから、言論という戦場で、言葉を武器に再び戦う事ができるだろう。「ただ生きても一生、善く生きても一生」であり、作者の今後の作家人生に大いに期待している。

 …と書いたところで次の兵庫県知事選挙はどうするのかと作者の動向を調べようとして、作者が知事選挙から1年後に死去した事を知った。何とまあ、「私小説が嫌いだった」作者は「人生と全財産を賭けて」「自分の人生で私小説をやらかしてしまった」のである。やはり政治は究極の人間ドラマだ。