評伝 筒井康隆/八橋一郎[新潮社]

評伝 筒井康隆

評伝 筒井康隆

 

 高校2年の頃だ。今も俺を巣食う耳の病気を抱え、また進学への不安を抱え(貧乏なので学費の高い私立大学には行けない)、そのぐらいの年齢にはよくある事だが将来に絶望し小説を読むようになった。当時の小説、特に純文学と言えばダブル村上(龍・春樹)で、俺はもっぱら村上春樹を読んで「まあ人生は続くのさ」「痛みを抱えて生きるのさ」などと強がっていたが、どうも物足りないし不安は消えない。そんなある日、筒井康隆に出会い、「脱走と追跡のサンバ」を読んで人生が変わった。その後も「おれに関する噂」「毟りあい」「乗越駅の刑罰」「ベトナム観光公社」「マグロマル」「トラブル」「最高級有機質肥料」等、等、を貪るように読み、世の中にはこんなに面白くて滅茶苦茶な小説があるのだ、そして人も社会も薄皮一枚ひん剥けば欲望にまみれた醜い汚らしい残酷な存在でしかないのだ、大いに笑いたまえ、わはははははははははは…という事で現在に至る滅茶苦茶な俺が完成したわけだが、とにかく当時の俺は図書館に行けば筒井康隆全集を読み、全集の月報に載っていた「玄笑地帯」と共にこの「評伝」も読んでいた。と言っても最初から順番に読んでいたわけではない。俺の悪い癖だが、全24巻の全集を最初から読まずにその日の気分で今日は5巻、今日は7巻、今日は20巻という風に気ままに断片的に読んでいたのであり、約20年ぶりに改めてこの評伝を最初から最後まで読んで、あれこんな事書いとったかなあと思う事もあれば、ああこの部分はもう何度も読んだわという部分もあった。

 というわけで本書によって筒井康隆の歩みを作者と共にじっくりと追体験したが、まず作者が真面目に筒井の人生を語れば語るほど違和感を感じるのであった。ドタバタあり、ブラックユーモアあり、ナンセンスあり、SFあり…の小説世界とはまるで違う筒井の真面目な、或いは目標を決めたら狂気のような情熱で突き進む姿が浮かび上がるからであって、もちろん全集の月報に載る「評伝」であるから多少はお世辞的に筒井を称揚する必要はあっただろうが、いやあの筒井に限ってお世辞は必要あるまい、という事は特にお世辞的な事を必要としなくても筒井の姿を突き詰めればこうなるのか、うーん…で読み進める手は止まらない。

 筒井は「三高・京大」というエリートな父とハイカラな母に育てられた。また蔵書家の父のおかげで小学生時代から読書家であり、勉強はできない?が知能テストはかなりの高レベルであった。しかしやがて筒井少年は映画に熱中し演劇に熱中し、大学時代は劇団に加入し主演を務める事になるが、所詮大阪は東京に比べ文化に厚いところではなく、役者の夢をあきらめサラリーマンとなった。サラリーマンとなった当初こそアマチュア劇団に所属して演劇への夢にわずかな望みを繋ぐが、しかしアマチュアはあくまでアマチュアであり役者の道は断たれ、普通ならそこからサラリーマンとして5年、10年経てば会社での居心地もよくなって管理職となって…となるところだが筒井はそうではなかった。役者の道をあきらめてもシナリオ書きはやめず、早川書房が発行する演劇雑誌「悲劇喜劇」を読み、同じ早川書房の翻訳ミステリを読み始め、同じく早川書房のSFと出会い、筒井は次なる目標を作家に見定めた。26歳にはサラリーマンをやめ、デザイン・スタジオを立ち上げる。しかしデザイン・スタジオで食っていくつもりはなく、作家として独り立ちするためのつなぎである。同人誌「NULL」によって黎明期のSF界に参入した筒井はここで眉村卓小松左京といった今や伝説のメンバーと知り合い、切磋琢磨し、ごく一部の人しか相手にされなかったSFを媒介としながら書き直しに書き直しを重ね、昭和39年に「SFマガジン」によってデビューする。時に筒井、30歳。30歳までに作家になれなかったら死んでやると宣言していたから何とか間に合った。

 それから間もなく結婚し良家の子女で美人でおとなしいという良妻を得て、「SF幼年期」の仲間達、「中間小説誌」による文壇爛熟期、そして一貫して真面目に小説を書き続ける事によって東京での作家生活を確立し、やがて神戸へ戻った頃には押しも押されぬ人気作家となっていたが、その神戸へ戻ったのが37歳であり、今の俺は37歳である。この「評伝」を断片的に読んでいた頃の俺は17、18歳であり、筒井の20代30代の歩みをただ漫然と読んでいたが、今、同じような年齢に達して、筒井の凄さを再認識すると共に、俺もまあそれなりに波乱万丈のサラリーマン生活を送ってきたなあと思わないでもないが、そうだなあ、俺も40歳までに何かしてみようか…。