オール讀物 2009年6月号[文藝春秋]


 行きつけの図書館のリサイクルコーナーにこの雑誌が置いてあったのでそれはもう目にも止まらぬ速さ(だったような気がする)で手に取って鞄にしまいこんだ。何せ中間小説の老舗の大家・「オール讀物」ですよあなた。これはもう珠玉の小説が所狭しと凝縮されているに違いないのだ。「いい短編集は長編数冊分の読み応えがある」と筒井康隆も言っておったではないか。そしてこれほどのボリューム(500ページ以上)の雑誌を無料で手に入れることができるのだから日本はまだまだ捨てたものではない。
 事実それぞれの短編はどれも味わい深いものばかりであったが、これは雑誌であって、様々な個性を持つ作家たちの作品が無造作に並べられてあるのだから一つの世界に没頭するのは無理がある。むしろこの雑誌全体が醸し出す「男と女」「酒」「ミステリー」「サスペンス」「江戸」などを楽しみ味わいながら読むことにしたが、やはり20人を超える作家たち(それも新人からベテランまで多種多彩)の小説・エッセイを読むのはいささか疲れる作業でもありました。いかんなあ。本当の読書人なら毎月毎月難なく読めるんだろうなあ。読書は体力ですねえ。というわけで各短編について書いていくと、「四人組、豚に遭う/高村薫」は倦怠と自暴自棄をそのまま小説にしたような捉えどころのないものであったが、それを最後まで貫き通すことによって結末は異様な迫力となっている。「娘の見合い/林真理子」は華の都・江戸のきっぷのいい旦那の話で、旦那の女たち(妻、娘、妾、娼婦)が表面上は弱い立場にありながら実にしぶとくしなやかに生きていることが鮮やかに描写されている。「我々は戦士だ/小池真理子」は1人の女性の死を扱っているが、特別なことは何もない日常の何気ない時間の中に死への不安と安堵を感じさせてくれる。「人魚はア・カペラで歌ふ/丸谷才一」はエッセイで、丸谷才一の文章を読んだのは久しぶりであったが、軽妙で肩の凝らない文章なのにその情報量の多さには圧倒される。こういう老人になりたいものだ。「渋うちわ/乃南アサ」はこの雑誌で一番気に入った作品。夢も希望も無い世知辛い世間で、ある事件がもとで交錯する若者や老人や刑事がそれぞれに疲れを抱えながら前に進む(或いは悪事の深みにはまる)姿は純文学でもエンターテイメントでもない「中間小説」の姿である。「万華鏡/西木正明」も読む者の心に深く染み入る良作。戦後間もない時代の混沌と悲哀、ほんのわずかな希望とも言えない淡く漂う空気が感じられる。「小さな異邦人/連城三紀彦」はミステリーの王道と呼んでいい作品(違っていたらすいません)。小さな疑問がやがて大きな危機となる展開と、予想だにしなかった結末には唸ること間違いなし。「おもいあい/井上荒野」はまあ…若くはないが中年ではない女性の…何と言いますか、揺れ動く心理をリアルに描いて…大いに参考になりましたと言っておくか。「ものまね博雅/夢枕獏」は陰陽師もの。実は陰陽師ものは今まで読んだことがなかった。理由はスイーツ(笑)とか腐女子に人気だからです(ですよね?)。内容は良くも悪くも「SFアドベンチャー」から変わっとらんなあという感じ。「静人日記/天童荒太」もまず俺が読むようなものではないが、小説全体の張りつめた静けさに読むこちらは厳粛にならざるを得ないし続きが気になった。「再出発/藤田宜永」は中間小説の醍醐味を凝縮したような力作。動と静、敵と味方、嘘と真実が効果的に配置されて読み始めたら止まらなかった。「輝く街/柴田よしき」は都会派ミステリーのいいところだけを取り出したような印象で軽薄さは否めない。微妙な関係にある男女の描写と事件を重ね合わせることで相乗効果を狙っているのだろうが、どうもチグハグだ。やたらと場面が変わるのもせわしない。「春を背負って/笹本稜平」は読後に優しさがじんわりと滲み出る良作。登場人物たちのそれぞれの人生の起伏と、雪が解けて開けていく山の描写がとてもいい。「散り惑ひ/蜂谷涼」も普段の俺ならば絶対に読まないであろう江戸時代が舞台の時代小説。いつの時代も変わらぬ人生の迷いや惑いが読者にははっきりと見える。「凍土の密約/今野敏」は公安刑事が主人公の手に汗握るサスペンス…というところだろうが、登場人物たちが映画やドラマからそのまま出てきたようなかっこよさで特徴が無い。もうちょっと泥臭く書いてもよかったのではないかな。「あした天気に/杉本章子」も舞台は江戸時代であるが、この時代の少女の視点で描かれ、現代より大人びていながら今の少女と変わらぬ部分も残した語りに江戸時代の厳しさと大らかさを体験できよう。
 と、駆け足で書いてきたが、読んで良かった、一番面白かったと思えたのはやはり「現代語裏辞典/筒井康隆」であった。本当にこの爺さん、俺を退屈させないなあ。「め」の項目だけでもこんなに面白い。
・名画…若い頃に見た映画。
・名作…あらすじだけは知れ渡っているので、あまり誰も読もうとしない作品。
・名声…落ちぶれてから詐欺に使う。
・めくら…眼精疲労とは無縁。
・免停…運転に迫力を生む状態。