消費税と苦悩の歴史

 話は1979年まで遡る。この時の総選挙において、首相であった大平正芳(元大蔵官僚)はいわゆる「一般消費税」について発言した。財政悪化の立て直しと将来の少子高齢化を見越して国民から薄く広く税を徴収する構想を表明したものだったが、唐突さゆえに国民から反発を受け、自民党は総選挙で大敗を喫した。その当時は「三角大福中」による派閥全盛の時代であり、総選挙後は「四十日抗争」によって同じ党の議員が首相指名選挙で別の候補に投票するという事態にまで発展する。その心労によるものか、大平は1年も経たず急死した。大平の死の発端は消費税である。
 大平の次の鈴木善幸内閣は「増税なき財政再建」を掲げる。それは将来消費税を導入するには(国民から税を徴収するには)まず行政の無駄を徹底的に削減しなければならないという自民党の教訓であった。行政改革を担当する行政管理庁長官には鈴木の次を狙う中曽根康弘が就き、その中曽根が首相になって三公社民営化が決定される。民営化決定後の1986年の総選挙で自民党は歴史的大勝をおさめ、「1955年体制に代わる1986年体制」とまで言われ得意の絶頂にあった中曽根は歴史に名を残そうと「シャウプ税制以来の改革」として「売上税」(消費税)について発言したが、それによって中曽根の権力は一気に低下した。総選挙の勝利を優先するあまり「いわゆる消費税的なものは導入しない」と何度も言っていたからである。
 しかし財政悪化や少子高齢化の事実は1980年代後半において既に深刻であった。消費税導入は必要であることを中曽根の次の首相である竹下登、そして官房副長官小沢一郎は十分に理解していた。国民への必死の説得が試みられるが、そこにリクルート事件が起こる。今や疑問だらけのこの事件は(詳細は別の機会に書く)検察からのリークを鵜呑みにするマスコミによって燎原の火のように国民の反発を買い(「自分達はおいしい思いをして、国民には増税を押しつけるのか」)、竹下内閣はバッシングの嵐の中でただひたすら消費税成立のためだけに全ての力を振り絞り消費税3%を成立させるが、その直後の1989年参議院選挙で自民党過半数割れの大敗という憂き目に遭う。ほぼ同時期に冷戦体制が終結し、「自民党社会党による戦い」と言いながら実際は常に自民党が政権を担う「五十五年体制」は変化すると思われた。
 参院選後の海部政権で自民党幹事長となった小沢は1990年の総選挙で自民党を勝たせ、「五十五年体制」をひとまず温存させたが、小沢はその「五十五年体制」に代わる新しい体制が必要だと考えるようになった。自民党のごく一部の人間だけが官僚や財界と結託して消費税などの国の根幹政策を主導し、野党やマスコミや自民党内のほとんどの議員もただ反対するだけという「五十五年体制」から脱却し、「政権交代可能な二大政党による、国民の選択が反映される政治」が必要だと考える小沢は1993年に自民党を離党して細川連立政権を作る。そして「政権交代可能な二大政党による政治」のための小選挙区比例代表並立制を成立させた後に細川・小沢は「国民福祉税」として消費税を3%から7%に引き上げる構想を表明し、これが国民からの支持を失い、「寄せ木細工」の連立政権を一気に瓦解させることとなった。小沢は中曽根の失敗と同じ轍を踏んだのである。
 「五十五年体制の破壊」を企んだ小沢を倒した自民党社会党新党さきがけによる村山政権はしかし消費税という国家的課題から逃げることはできない。1994年11月には消費税を5%に引き上げることを決定し、翌1995年の参議院選挙で社会党は敗北、政権を投げ出した村山の次の橋本政権は1996年6月に消費税引き上げの時期を「1997年4月」と決定、その後1996年10月の総選挙で小沢率いる新進党新進党は「20世紀中は消費税3%を据え置き」を主張)を倒して消費税は国民の理解を得られたと思われたが、消費税引き上げ後の1998年の参議院選挙で自民党はまたしても過半数割れの大敗を喫することとなった。そしてこの頃から政治家たちは消費税について口を閉ざすようになる。消費税を唱える者は必ず哀れな末路を辿るからである。
 橋本政権後の小渕・森政権で消費税は封印され、2001年に成立した小泉政権では「聖域なき構造改革」「官から民へ」そして「郵政民営化」が最優先課題となる。それは鈴木・中曽根内閣による「増税なき財政再建」の21世紀版とも言えるものであったが、ポピュリストとして天性の勘を持つ小泉は「私の任期中は消費税増税はやらない」と断言した。2005年の総選挙で1986年以来の大勝をおさめ、「1993年に代わる2005年体制」とまで言われ得意の絶頂にあっても消費税増税については頑として発言しなかったのはそれだけ消費税の恐ろしさを知っていたからである。
 「消費税という国家的課題」は次の安部政権に先送りされたが、2007年の参議院選挙で「脱官僚」を掲げる小沢率いる民主党は大勝する。その「脱官僚」とは結局「自民党のごく一部の人間だけが官僚や財界と結託して消費税などの国の根幹政策を主導することをやめる」という小沢の年来の主張が集約されたものであり、いよいよ小沢が政権を取るかと思われたが、2009年3月の「西松建設事件」によって小沢は民主党代表の座を追われることとなった。衆議院議員任期満了の半年前に起こったこの事件はこれまで何度も言及してきたように検察の暴走によるものであるが、それでも実質的に同年8月の総選挙を取り仕切った小沢は消費税についてこう言い切った。「任期4年の間は消費税は引き上げない。その代わり徹底的に行政の無駄を削減し、次の総選挙で審判を仰ぐ」。これは1979年以来の消費税をめぐる苦悩の歴史の集大成であった。国民の理解が得られずに消費税を強行すればその度に政治は混乱し、時間だけが無為に過ぎてゆくのである。ところがリクルート事件と同じく検察のリークを鵜呑みにするマスコミによって小沢は集中砲火を浴び、鳩山政権は退陣、次の菅政権は「脱小沢」と「消費税10%」によって2010年参議院選挙で大敗し、苦悩の歴史は現在へと繋がるのである。
 俺が言いたいことはただ一つ、消費税は30年以上に渡り政治を苦しめてきた恐るべき存在であるということで、繰り返し「『金がないから増税せよ』ですむ問題ではない」と言っているのはそういうことである。