殺人はフルコースのあとで/辻真先[新潮社:新潮文庫]

「あなた、『警察でも探偵でもない素人が殺人事件を推理して鮮やかに真相を突き止める』ような話が死ぬほど嫌いなんじゃなかったんですか」
「ええ、もちろん嫌いです」
「じゃ、何でこの小説を読んで、それについて書くんですか」
「いけませんか」
「いや、いけないというか…嫌いなんでしょう、ミステリーが」
「ミステリーが嫌いだなんて言ってません、俺が嫌いなのは『スイーツ(笑)がいかにも喜びそうなハンサムでキザな男が探偵の役回りをする小説』ですよ。そうでなければどんどん読みたいと思っているほどです」
「そうするとこの小説は…どうなんですか」
「読んでないんですか、『土曜日の女』さんは」
「もうその名前やめてくれませんか」
「読んでないくせに口答えするなボケ」
「何ですか」
「いや何でもありません。この小説の探偵役は平凡なおしどり夫婦です。この脱走と追跡シリーズで何度か紹介している『夫は泥棒、妻は刑事』のような奇抜な設定の夫婦ではなくて、夫は新聞記者で妻は旅行代理店の社員という、ごく平凡な夫婦です」
「あ、わかりましたよ。旦那さんが新聞記者だから殺人事件を記事にして、その過程で推理していくというやつですね」
「おー、よく気が付きました…と言いたいところですが、殺人事件を呼び込むのは旅行代理店社員の奥さんの方です。実はサブタイトルがありまして、その名も『長良川鮎づくしツアー死体つき』です。どうですか」
「…前時代的というか、昔の2時間サスペンスドラマみたいなサブタイトルですね」
「まあ20年以上前のユーモアミステリーですからしょうがないでしょう。それで奥さんの会社が主催するグルメツアーに旦那さんも参加することになって、何と殺人事件が起こるわけですよ。そして!」
「…」
「…『警察でも探偵でもない素人が殺人事件を推理して鮮やかに真相を突き止める』わけですが、しかし!」
「…」
「…まあ、面白いですよ」
「いや、説明になってません」
「じゃあ言わせてもらうがね、どう説明しろって言うんだよ」
「私に怒ってどうするんですか」
「こんなもん、あれやがな、真剣に読む方がおかしいわ」
「そんな事言っていいんですか」
「いや別にけなして言ってるんじゃなくてね、本作はいい意味で肩の力を抜いて読める本というか、別に社会派ミステリーってわけじゃないんだからね、『休憩のための1杯のコーヒー』みたいな感じで読むのがいいんですよ、こういうのは」
「はあ」
「読めばわかりますが、この小説は作者自身が『気楽に、軽い感じで読んで下さい』って言っているような文体ですからね。読者側もそういう作者の意図に乗って読むのが正解なんです」
「なるほど」
「それでも十分面白く読めるのはなぜかというと、どこにでもいる普通の平凡な人達に殺人事件をぶつけて、その時に登場人物たちが感じる恐怖と快楽を余計な小細工なしにそのまま読者側に提供できているからです。すぐそばで殺人事件が起きて、しかも犯人がわからないどころかどこに隠れているかわからないというのは恐怖であることに違いないですが、一方でそれは自分達が小説やドラマに出てくる名探偵になることができるという期待も抱かせます。そして実際に登場人物のうちの一人が都合よく名探偵となるわけですが、その名探偵を囲んで平凡な人達がああでもないこうでもないと話すことで読者すらも何となく事件に参加しているような感覚が醸し出されるわけです。そのようにして俺は本作を楽しく読みました」
「それは良かったですね」
「しかしながら一番面白かったのはですね」
「はい」
名鉄新名古屋駅についてのところですね」
「…は?」
「というわけでまた次回」