下戸列伝/鈴木眞哉[集英社:集英社文庫]

下戸列伝 (集英社文庫)

下戸列伝 (集英社文庫)

  • 作者:鈴木 眞哉
  • 発売日: 2000/06/20
  • メディア: 文庫
 

 この世に酒というものがある限り、トラブルは尽きる事がない。酒を飲み酒に酔う事で人々は泣き、喚き、怒り、憎しみを他人にぶつけ、ぶつけられた他人もまたやり返す。ああ、なぜ人類は酒などというものを発明したのだろう。アダムとイブが楽園を追放され、その悲しみをほんの一瞬忘れるためだけに作ったのだろうか。

 それはそれとして人類の中には下戸という者が存在する。酒を飲む事によって体内に入ったアルコールの大半は肝臓の働きによってアセトアルデヒドに変えられ、これが顔を赤くする、心臓をドキドキさせる、頭痛を起こす元凶となるが、このアセトアルデヒドを無害化するのがALDH(アセトアルデヒド脱水素酵素)という成分である。ALDHはまたALDH1、ALDH2に分けられるが、このうちALDH2が体内で活性化すればするほど人は酔わない。そして体内でALDH2が、

①すぐに活性化するか

②徐々に活性化するか

③そもそも活性化しない(不活性型である)

 かどうかはその人が持って生まれた体質によるのであり、訓練すれば「①から②に進化する」「③から②に昇格する」となるわけではない。そして狭義の下戸とは③体質の人を言うが、②も場合によっては下戸と言われる。その①、②、③の割合は本書によれば①が57%、②が39%、③が4%という事であり(小数点以下四捨五入、端数は①へ)、③は圧倒時な少数派であるが、なに昔から偉人というのは少数派、奇人変人の類いと相場が決まっている。何を隠そう俺も③であって、しかしそのおかげで①や②の人達が酒に酔って本性を見せ本音を漏らす場面に遭遇して、サラリーマン生活に大いに役立たせる事ができた。ぬわははは、下戸には下戸の生き方があるのだ、そのようして歴史上の下戸な偉人、奇人、変人達もまた生きてきたのであり、それらを知る事で明日も酔っ払い達を観察する事にしよう(コロナが落ち着いたらね)。

    

江藤新平

 酒席や宴席に出る事を好まず、酒が飲めなかったわけではないが、酒席で長尻するものを極度に嫌っていた。彼は、短い人生で馬鹿な奴を相手にする事ほど無駄な事はないと常々言っていたという。

頭山満

 日頃から「酒と煙草と茶は嫌いじゃ」と言って、全く飲もうとしなかった。体質的に飲めなかったわけではないが、「好かん事はせんじゃった」と簡潔に答えている。また自ら「俺は飲まんでも酔うとる」とも言ったという。

菊池寛

 酒は全く飲まなかった、というより飲めなかった。しかしながら昭和10年の人物評によると一日の生活費に50円(当時、高級官僚の初任給が月75円)をかけていた。使い方としては、例えば銀座のサロンで本人は一杯80銭のレモンスカッシュかオレンジジュースをすすり、取り巻き達には1本3円くらいのビールを振るまい、番についた女給さんに2円、寄ってくる女給さん達には1円ずつ、合計30円くらいを黙って与える。と言っても誰かれかまわずではなく、綺麗な女性でも気にくわない者にはあっちへ行っとれと怒鳴ったりしたという。

東条英機

 夫人によれば、酒はほとんど駄目で、よくよく疲れた時などに「酔心」の一合瓶に印をつけて、あらかじめ目算したわずかな量を飲んでいた程度だという。その代わり、煙草はいつも手放した事がなかったし、コーヒーも一日たりとも欠かす事ができなかった。食べるものにはこれという好き嫌いがなかったが、スクランブルエッグにだけは目がなく、これを見ると、いつも幸せそうな顔をしていたという。

●宮崎繫三郎

 体質的に全く飲めなかった。それでも宴会ではサイダーを飲みながらニコニコと付き合っていた。

●淀川長春

 映画好きが高じて映画雑誌の編集長や映画会社の宣伝マンとなり、他人から見れば好きな映画で仕事ができて幸せそうに見えたものだが、全く酒が飲めないので苦労が多かったと本人は言っていた。一滴どころか匂いをかいだだけで駄目になるという筋金入りの下戸だが、映画関係の仕事は酒の席が多く、そのたびに酒を飲めと言われ、飲めないとは言えず四苦八苦した。そっとハンカチの中に吐いてもハンカチがびしょびしょになってしまうし、金魚鉢に吐いて金魚に迷惑をかけた事もあった。それが嫌で今日こそは会社を辞めようと思うも、ちょうど素晴らしい映画が入ってくる、この映画だけは捨てられないから、その仕事を片付けてから辞めようという繰り返しだったという。

闇の流れ 矢野純也メモ/矢野純也[講談社:講談社+α文庫]

闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社+α文庫)

闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社+α文庫)

 

 本書は五十五年体制下の政治の物語であるが、では五十五年体制下の政治とは何か。一つは自民党が常に政権を握り続け、自民党総裁内閣総理大臣自民党の紅白試合によって決定せられてきた事であり、もう一つは野党勢力社会党公明党民社党、等)は政権を取るつもりはなかったという事である。野党でありながら政権を取るつもりがないのであれば自己矛盾どころか存在理由自体が成立しないが、その通りそのような野党はいずれ消える運命にあったから五十五年体制が終わると同時に「政権を取るつもりがない野党」はなくなった(日本共産党を除く)。

 しかし五十五年体制が続く限り野党には存在理由があった。日本社会党民社党はそれぞれ総評や同盟といった労働組合の支持団体があり、官公庁組合員の給与アップや民間企業組合員の給与アップを政財界へ働き掛けるためにも国政に一定の存在感を保つ必要があった。また原則として保守であり右派である自民党が常に政権を握り続ける事の世論の反発を吸収するためにも左派や野党の存在理由はあった。

 ところが高度経済成長によって安定化し複雑化した日本は右の自民党、左の社会党共産党では飽き足らなくなっていく。まず社会党が左派と右派に分かれ、右派は民社党となった。そして次に公明党ができた。しかし公明党は左派や右派といったイデオロギーとは無縁であり、また労働組合等の各種団体とも無縁であった。創価学会という、戦後日本の新興宗教の一つが結成した政党であり、主に創価学会という支持基盤によって運営され、公明党という国政政党を通じて創価学会を盛り上げ、また公明党の存在感を国政で確固たるものにする事で創価学会自体も多神教の国・日本で確固たる地位を築き上げるのが目的であった。

 その創価学会会員のほとんどがいわゆる中流以下の一般庶民であるから、当然のごとく反自民、野党となって活動するわけだが、もともとが「存在感を国政で確固たるものにする」ための政党であるから、骨の髄まで反自民、野党ではない。また社会党共産党のように資本主義体制そのものを変える気はないのであり、公明党民社党はあくまで「中道」であるから状況が許せば自民党と手を組む、連立する事もないではない。民主主義は数が全てであり、政権を握り続ける自民党はもはや政権党である事そのものが存在理由となり、政権を手放すくらいなら部分的に中道政党と手を握る、社会党共産党とは無理だが中道政党となら…となれば虚々実々の政界百鬼夜行が始まる。庶民の味方として野党生活に耐えてはいるが所詮野党は野党であり、政治家ともなれば大臣や政務次官となって「官職」の栄光に預かりたい。しかしそれで足元を見られては天下の自民党の事だからどんな取引を持ちかけてくるかわからない。

 五十五年体制下の中選挙区時代の自民党は派閥の連合政党であり、前述のとおり野党は政権を取る気がないため次第に与野党対決は本音と建前、馴れ合いへと変化する。野党は選挙による政権奪取ではなく国会における条件闘争、或いは国会での派手なアピールによってしか自らの存在理由を確立できなくなり、国会での見せ場を作ろうと自民党に相談し、自民党はそれに応える代わりに法案審議を進めるよう取引するのである。「国対政治」と言われたそれはしかし自民党各派閥、各実力者の思惑に加え、社会党民社党公明党それぞれの思惑も交わった大変なものであり、公明党書記長(後に委員長)を務めた作者もまたその思惑の中で流され、時には自身及び公明党が国会審議の流れを作る事もあったが、ほとんどは時の政府・自民党の権力闘争によって翻弄される。当時は明らかではなかったその「闇の流れ」の判明は俺のような政局屋には垂涎の資料である。

 本書の読みどころは多々あるが、やはり前半の「二階堂擁立構想」が素晴らしい。1984年秋、中曽根総裁の再選を阻止するため鈴木派・福田派が編み出した作戦は自民党副総裁であり田中派会長でもある二階堂進の立候補であり、しかし田中派は中曽根再選の方針である。そのため鈴木派会長・鈴木善幸が考えた戦略は公明党民社党を抱き込む事であった。これにより中曽根派が反対したとしても公明党民社党の数によって首班指名は可能であり、この事実を前にして田中派に二階堂擁立を承諾させるというもので、いよいよ自民党が中道政党を政略に使おうとしたのであり、これに野党暮らしの悲哀、またいつまでも意固地に時代遅れの現実を認めない社会党との付き合いに疲れた公明党の竹入委員長・矢野書記長(作者)、民社党の佐々木委員長が乗り気になる。しかしいきなり自民党と手を組むとなれば公明党にしろ民社党にしろ党内は大混乱となる事は確実で、反対論によって自身の地位さえ危うくなるだろう。この危険な賭けに乗るべきかやめるべきか。苦悩の末に一発勝負に出る事にした作者達だが自民党内もまた大混乱となる。しかし自分達は自民党ではないので待つしかない。実直で人間的にも信頼できる二階堂を信用したとしても自民党内は鈴木、福田赳夫、そして田中角栄の長老支配に対抗してニューリーダー・安竹宮(安部晋太郎、竹下登宮沢喜一)へと動き出しているのであり、また最大派閥・田中派でも竹下・金丸信が派の実権を握ろうと暗闘のさなかにある。

 結局は「野党に自民党を売ってまで中曽根総裁を下ろす事は認められない」という田中角栄の判断、そして総務会長・金丸信の粘りによって乱は抑えられた。公明党は竹入も作者も表面上は無傷にやり過ごす事ができたが民社党は佐々木委員長が辞任する。自民党の権力闘争の恐ろしさを身にしみた作者だったが、時を置かずして竹下・金丸による創政会発足が勃発し、また「死んだふり解散」に振り回され、委員長に就任した後も消費税が待ち受ける。それぞれの局面、即ち政局で、野党として或いは公明党としての存在感の発揮に考えを巡らせ、国会審議においては複雑なバックボーンを抱える社会党民社党との連携に苦悩し、また個性溢れる自民党各実力者との交渉の当事者となり一瞬も気の休まる暇はないが、このような戦いの連続の中に政治の姿、政治を動かす政治家たちのドラマがある。だから政治は面白い。

  

 (1984年12月3日)夜、田中元総理より突然電話。「よー」の第一声に、矢野、吃驚する。

田中「もう顔の病気はいいんか。まだか。駄目だな。まあ、いい。竹入君と相談しているが、二階堂は今は無理だよ」

矢野「はあ。失礼ですが、あなたは当分、自分より年齢の若い人や、自分の派からは総理を出さない考えでしょう」

田中「なぜだ」

矢野「まさかですが、あなたの将来の総理の布石だという人もいます」

田中「馬鹿言うんじゃない、馬鹿、馬鹿」

矢野「馬鹿ですよ、どうせ。若輩が失礼だが、いずれ、やはり二階堂という私らの判断が正しいって先生も言うんじゃないかな。竹下さんだって、いくら子飼いでも世代交代だってね。やっぱり、あるんです。いつまでもは無理です」

田中「馬鹿な。そんな事はわかってる。俺もな、ここまで来てケチな事は考えてないぞ。が、それは駄目だね。政治には自然な流れがある。今の日本の政治には中曽根君がいいんだ。二階堂が福田赳夫三木武夫と組んでやっていけるか。馬鹿言えだ。二階堂がやるなら、いずれ木曜クラブが押し出す。竹下の時代も来る。が、まだ早い。『一に二階堂、二に後藤田、三に竹下』だ。人材はたくさんいる」

矢野「竹入はあんたの本当の親友ですよ。私はその下請けです。だから一体です。十月の二階堂潰しはご都合もあったんでしょうが、二階堂さんはあなたに忠実な人ですよ。冷たいよ。酷すぎましたよ」

田中「冷たい?うーん、そうか、それはそうだ。悪かった。だが仕方なかった」

矢野「それだけ聞けば、私はいいんです。ご無礼しました。あなたにも昔、お世話になった。だから、あんたをこれ以上困らせたくない。二階堂さんもご迷惑でしょう。竹入と自重するよう話し合います」

田中「いや、そこまでしなくてもいい」

わが上司 後藤田正晴/佐々淳行[文藝春秋]

決断するペシミスト わが上司 後藤田正晴 (文春文庫)
 

 世界に冠たる大日本帝国のエリートと言えば内務省官僚である。彼らは「護民官」として、視野狭窄に陥った軍人やその場限りの選挙対策に血眼になる政治家とは違い、エリートならではの高度な知的水準と高貴な使命感によって国家的立場から大日本帝国を守ろうとした。

 最もそのような人物はごく少数であって、大部分の内務官僚は目先の出世や金や名誉を求めて右顧左眄し離合集散を繰り返し、時代の波に乗った陸軍の勢いに抵抗する事ができず結局大日本帝国を守る事はできなかった、しかし「護民官」の伝統は内務省が解体されたとしても志のある旧内務省官僚によって受け継がれ、作者の上司・後藤田正晴氏もまた「護民官」として、時の政治を支え国民の生活を守り抜いたのである…と作者は言いたいわけだが、自民党戦国史或いは田中角栄的な文脈で言わせてもらえば、後藤田は官僚のトップとしては優れていたかもしれないが政治家としてはそれほどではなかった。「護民官」の裏返しで、国を支えるエリート官僚としてのプライドが邪魔をして、視野狭窄でその場限りの選挙対策に血眼になる政治家(とそのバックにいる一般大衆)を相手にする、或いは彼らをなだめすかしながら派閥を運営する事は眼中になかったのであって、田中角栄に見出され、また「後藤田はわが派(田中派)の跡取りの一人」とまで持ち上げられたのも所詮は田中による世代交代阻止(竹下・金丸連合)の方便に過ぎなかった。そのため本書によって後藤田を過大評価してはいけない。

 しかしながら官僚の側から見た後藤田はまさに「護民官」として心強かった。内閣官房長官として行政機構の事実上のトップに立った後藤田はまさに無敵、ダラダラとした会議や書類を嫌い、直接口から耳へのポイントのついた口頭報告、拙速のナマの報告を好み、一瞬にして事の順逆、優先順位を決める。説明要員を連れて大量の書類を持ち込んでくる役人(次官、局長クラス)には「君、一人で来られんのか、所管事項を自分一人で説明できんような奴は、本省の次官(局長)は務まらんぞ」と厳しく叱責し、安全保障会議の席上で次官や局長を従えて入ってくる閣僚にさえ「閣僚以外は今日の会議参集者ではない。退席しなさい」と面と向かって言うほどであった。

 そして圧巻は有名な「後藤田五訓」であるが、これには伏線がある。当時、縦割り行政の弊害を打破するため、内閣の機能強化のため、アメリカ・ホワイトハウスをモデルに作られた内閣五室(内閣内政審議室長、外政審議室長、安全保障室長・作者、情報調査室長、広報官室長)が発足したが、中曽根首相・後藤田官房長官という「旧内務省官僚」コンビによる強い意欲によってできた事もあって「内務省の復活だ」と世の評判は芳しくなく、また大蔵省・外務省・防衛庁等も自分達の権限を侵されるのではと強く警戒していた。その望まれない雰囲気の中で行われた内閣五室制度発足式典で後藤田官房長官は以下のように訓示する。

「諸君は大蔵省出身だろうが、外務、警察だろうが出身省庁の省益を図るなかれ。『省益を忘れ、国益を想え』。省益を図ったものは即刻更迭する」

「次に、私が聞きたくもないような、『悪い、本当の事実を報告せよ』」

「第三に『勇気をもって意見具申せよ』。こういう事が起きました、総理、官房長官、どうしましょう、などと言うな。そんな事言われても神様ではない我々、何していいかわからん。そんな時は、私が総理、官房長官ならこうします、と対策を進言せよ。そのために君ら30年選手を補佐官にしたのだ。地獄の底までついてくる覚悟で意見具申せよ」

「第四に『自分の仕事でないと言うなかれ』。俺の仕事だ、俺の仕事だと言って争え。領空侵犯をし合え、お互いにカバーし合え」

「第5に、『決定が下ったら従い、命令は実行せよ』。大いに意見は言え、しかし一旦決定が下ったらとやかく言うな。そしてワシがやれと言うたら来週やれという事やないぞ、今すぐやれと言うとるんじゃ」

 波乱万丈のエリート官僚街道を送った作者は出世と左遷を繰り返しながら偉大なる後藤田官房長官によって拾われ、初代安全保障室長として後藤田流危機管理術を間近で見ながら政権中枢で危機管理対応にあたり、本書では数々の豊饒な、後世に役立つエピソードが紹介されていくが、権力はいつかは終わりを迎える。あれほど強力に「護民官」として活躍した後藤田官房長官も中曽根内閣総辞職と共に去り、続く竹下内閣ではさすが「気配りの竹下」だけあって竹下は作者に引き続き官邸で執務を行うよう三顧の礼をもって依頼、もう一度やる気を取り戻した作者は昭和天皇崩御に伴う大喪の礼にも最大限協力し後藤田不在後の官邸の危機管理を担うが、次の宇野内閣では中曽根・後藤田、或いは竹下・小渕のような理解ある上司には恵まれず官僚生活を終えるのであり、実はこの部分が本書で一番読み応えがあった。やはりエリート官僚ともなると大きな仕事を任されまた偉大な政治家に仕える事に恵まれ、歴史に名を残す大改革に携わる事ができるが、それによって敵を作り、或いは忠誠を誓った政治家が去れば、もう自分の居場所はなくなるのである。しかし役人道とは所詮そんなものであろうし、偉大なる上司に仕える事ができた経験は何ものにも代えがたい財産として作者には残ったのである。

評伝 筒井康隆/八橋一郎[新潮社]

評伝 筒井康隆

評伝 筒井康隆

 

 高校2年の頃だ。今も俺を巣食う耳の病気を抱え、また進学への不安を抱え(貧乏なので学費の高い私立大学には行けない)、そのぐらいの年齢にはよくある事だが将来に絶望し小説を読むようになった。当時の小説、特に純文学と言えばダブル村上(龍・春樹)で、俺はもっぱら村上春樹を読んで「まあ人生は続くのさ」「痛みを抱えて生きるのさ」などと強がっていたが、どうも物足りないし不安は消えない。そんなある日、筒井康隆に出会い、「脱走と追跡のサンバ」を読んで人生が変わった。その後も「おれに関する噂」「毟りあい」「乗越駅の刑罰」「ベトナム観光公社」「マグロマル」「トラブル」「最高級有機質肥料」等、等、を貪るように読み、世の中にはこんなに面白くて滅茶苦茶な小説があるのだ、そして人も社会も薄皮一枚ひん剥けば欲望にまみれた醜い汚らしい残酷な存在でしかないのだ、大いに笑いたまえ、わはははははははははは…という事で現在に至る滅茶苦茶な俺が完成したわけだが、とにかく当時の俺は図書館に行けば筒井康隆全集を読み、全集の月報に載っていた「玄笑地帯」と共にこの「評伝」も読んでいた。と言っても最初から順番に読んでいたわけではない。俺の悪い癖だが、全24巻の全集を最初から読まずにその日の気分で今日は5巻、今日は7巻、今日は20巻という風に気ままに断片的に読んでいたのであり、約20年ぶりに改めてこの評伝を最初から最後まで読んで、あれこんな事書いとったかなあと思う事もあれば、ああこの部分はもう何度も読んだわという部分もあった。

 というわけで本書によって筒井康隆の歩みを作者と共にじっくりと追体験したが、まず作者が真面目に筒井の人生を語れば語るほど違和感を感じるのであった。ドタバタあり、ブラックユーモアあり、ナンセンスあり、SFあり…の小説世界とはまるで違う筒井の真面目な、或いは目標を決めたら狂気のような情熱で突き進む姿が浮かび上がるからであって、もちろん全集の月報に載る「評伝」であるから多少はお世辞的に筒井を称揚する必要はあっただろうが、いやあの筒井に限ってお世辞は必要あるまい、という事は特にお世辞的な事を必要としなくても筒井の姿を突き詰めればこうなるのか、うーん…で読み進める手は止まらない。

 筒井は「三高・京大」というエリートな父とハイカラな母に育てられた。また蔵書家の父のおかげで小学生時代から読書家であり、勉強はできない?が知能テストはかなりの高レベルであった。しかしやがて筒井少年は映画に熱中し演劇に熱中し、大学時代は劇団に加入し主演を務める事になるが、所詮大阪は東京に比べ文化に厚いところではなく、役者の夢をあきらめサラリーマンとなった。サラリーマンとなった当初こそアマチュア劇団に所属して演劇への夢にわずかな望みを繋ぐが、しかしアマチュアはあくまでアマチュアであり役者の道は断たれ、普通ならそこからサラリーマンとして5年、10年経てば会社での居心地もよくなって管理職となって…となるところだが筒井はそうではなかった。役者の道をあきらめてもシナリオ書きはやめず、早川書房が発行する演劇雑誌「悲劇喜劇」を読み、同じ早川書房の翻訳ミステリを読み始め、同じく早川書房のSFと出会い、筒井は次なる目標を作家に見定めた。26歳にはサラリーマンをやめ、デザイン・スタジオを立ち上げる。しかしデザイン・スタジオで食っていくつもりはなく、作家として独り立ちするためのつなぎである。同人誌「NULL」によって黎明期のSF界に参入した筒井はここで眉村卓小松左京といった今や伝説のメンバーと知り合い、切磋琢磨し、ごく一部の人しか相手にされなかったSFを媒介としながら書き直しに書き直しを重ね、昭和39年に「SFマガジン」によってデビューする。時に筒井、30歳。30歳までに作家になれなかったら死んでやると宣言していたから何とか間に合った。

 それから間もなく結婚し良家の子女で美人でおとなしいという良妻を得て、「SF幼年期」の仲間達、「中間小説誌」による文壇爛熟期、そして一貫して真面目に小説を書き続ける事によって東京での作家生活を確立し、やがて神戸へ戻った頃には押しも押されぬ人気作家となっていたが、その神戸へ戻ったのが37歳であり、今の俺は37歳である。この「評伝」を断片的に読んでいた頃の俺は17、18歳であり、筒井の20代30代の歩みをただ漫然と読んでいたが、今、同じような年齢に達して、筒井の凄さを再認識すると共に、俺もまあそれなりに波乱万丈のサラリーマン生活を送ってきたなあと思わないでもないが、そうだなあ、俺も40歳までに何かしてみようか…。

64万人の魂 兵庫知事選記/勝谷誠彦[西日本出版社]

64万人の魂 兵庫知事選記

64万人の魂 兵庫知事選記

  • 作者:勝谷 誠彦
  • 発売日: 2017/08/09
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 果たして本当に知事になる気があったのだろうか。

 知事は大変な権力を持っている。行政の全ての事柄が国政または中央省庁で決まるわけではないから、都道府県独自の税金、補助金、産業振興、医療、福祉、教育、等があり、知事はそれらを実行する事ができる。或いは公社、第三セクター地方銀行、商工団体、その他関係機関のポストに意中の人物を押し込む事もできよう。そのため国会議員、中央のエリート官僚、県議、市長、ジャーナリスト、等がそのポストを目指して戦いを挑む事になる。権力と利権を求めて、候補者本人はもちろんその候補者を祀り上げる事で自分も利益を得ようとたくらむ者もいよう。どす黒い欲望が渦巻く中で都道府県知事選挙は行われる。もちろん純粋にその都道府県を良くしたい、人々の笑顔が見たい、或いは故郷を住みやすい場所にしたいとの思いで立候補を考える者(とその立候補者を支える者)もいるだろう。しかし「情」や「義」では動く人や組織は少ない。或いはそのような人や組織の力は小さい。ほとんどの人や組織は利害、打算、或いは生活のために動くのであり、またそのようなドライな理由であればこそ、組織的に、効率的に、機動的に動く事ができるのである。

 だから素人が立候補するにはよくよく考えなければならない。誰が支援してくれるのか、特に現職と対決する事になれば現職の陣営、つまり今現在の市町村長や県議、市議のうち何割がこちら側へ来てくれるのか。地元の経済界は支持してくれるのか(もしくは静観してくれるのか)。中央の政党、政治家はどうか。綿密、詳細な検討を重ねた上で決意しなければならない。それらを怠って自らの読者とボランティアだけを頼りに「明るく楽しい」などと言っている時点で作者の負けは確定していたのであった。

 とは言えこれまで現職・オール与党対共産党候補の無風だった選挙が知名度のあるタレント候補の出現により多少はざわめく選挙となる。現職にとっては万が一に備えて手は打っておきたいはずであり、その弱みにつけこもうとした輩が必ずいたはずである。選挙とはそういうもので、誰かが作者をけしかけ、作者は立候補する事になった。その情報をもとに現職に幾らかの恩を売り込むのである。つまり作者は利用される存在でしかなかった。そして勝てる見込みはない。しかしそもそも作者が本当に勝とうとしたのか疑わしい。毎日有料のメルマガを更新するのは構わないが、「私には『関羽』と『張飛』がいる」などと悦に入り、「遊説の旅は新店発見でもありますなあ」などと言って緊張感も何もない。選挙は戦争であり、食って、寝て、さっさと起きなければならない。「遊んでいるだって?そうだ、徹底的に遊ぶ事で徹底的に見るのだ」と言うのはパフォーマンスとしてはいいだろう。しかしパフォーマンスは所詮パフォーマンスである。裏では現職陣営の切り崩しをやらなければならない。ところが作者の応援は県議1人と前市長だけであった。41も市町があるのに何をやっているのか。典型的な空中戦頼み、ボランティア頼みであって、それで勝てる、知事になる見込みがあると本当に思っていたのなら素人も素人で、読んでいるこちらが恥ずかしかった。

 そして作者は負けるのであるが、しかし作者は人生と財産をかけて県知事選挙という大戦に挑んだのであり、ボランティアや草の根の人達の温かい支援にも恵まれ、これからの作家人生においてお釣りが出るほどの貴重な経験をした事は確かである。また兵庫県41市町を訪れ、ハコモノ行政の実態と矛盾、また「イオン」に代表される一点のみの街づくりの貧相さ、残されていく高齢者や地方の人達の痛々しさを嫌というほど感じたわけだから、言論という戦場で、言葉を武器に再び戦う事ができるだろう。「ただ生きても一生、善く生きても一生」であり、作者の今後の作家人生に大いに期待している。

 …と書いたところで次の兵庫県知事選挙はどうするのかと作者の動向を調べようとして、作者が知事選挙から1年後に死去した事を知った。何とまあ、「私小説が嫌いだった」作者は「人生と全財産を賭けて」「自分の人生で私小説をやらかしてしまった」のである。やはり政治は究極の人間ドラマだ。