陸軍と性病/藤田昌雄[えにし書房]

陸軍と性病

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 「陸軍」と「性病」!

 何とも気になる、魅力的なタイトルではないか。栄光の大日本帝国の陸軍、大日本帝国を破滅へと導いた陸軍、志願制ではなく徴兵制だった事からどうしても野暮ったさというか田舎臭さが抜けないゆえに憎めない陸軍、において、非エリート達はどのように性欲及び性病を処理していったのか。大変興味深いが、本書の内容自体は無味乾燥というか、当時の統計資料や広告(性病の市販治療薬やコンドーム等)を淡々と紹介していくのみなのでやや拍子抜けしてしまうが、途中で「フォトコラム」として「慰安所内の待合部屋で、慰安婦を横に至福の表情を浮かべる将校」「定期の性病検査のため病院の前で待つ慰安婦達」というどぎつい写真が載せられてびっくりしてしまう。「2名の慰安婦と写真に映る将校」「三輪車のプレーを行う刹那の写真」など、当時の雰囲気がはっきりとわかる。写真では将校(男)がやや締まりのない顔をしている一方で慰安婦(女)はもちろん無表情だが、嫌で嫌でたまらないというわけでもなさそうだ。仕事の一環なのでいいも悪いもないというところか。

 気を取り直して戦前の日本は徴兵制の下、各地に陸軍の駐屯地があり、そこには多くて3千人、少なくても5百から1千人の将兵がいた。更に将兵の他に将兵家族や軍属もいれば、駐屯地の周囲に彼らを対象とした商店や歓楽施設が立ち並び、小さな社会が形成され、遊郭が発生するのも自然な流れであった。そして通称「花柳病」と呼ばれた性病(梅毒・淋病等)も広がる。比率としては将兵全体の10%程度が何らかの性病にかかっており(1905~1909年)、またドイツでは第一次世界大戦期の性病発生率が開戦前に比べて倍以上となった(20%→40%以上)というデータもあり、平時であれ戦時であれ、性病の予防は戦前日本の喫緊の課題だった事がわかる。

 そのため各種法律・条令等が制定されるが、それらによって当時の状況もまた浮かび上がってくる。「救急法及衛生法大意」(将校・下士官・兵を対象とした衛生マニュアル)の「第二章 伝染病の種類 その七 花柳病 第五十三」には、「壮年ノ人久シク性交ヲ断チ居ルトキハ健康ヲ害スト云フモノアレトモ誤リナリ信スルヘカラズ」と書かれている。また戦地の慰安所に関する「慰安所使用規定」には、「慰安所利用ノ注意事項左ノ如シ」に「女ハ全テ有毒者ト思惟シ防毒ニ関シ万全ヲ期スベシ」と身も蓋もない事が書かれており、いかに当時の軍当局が性病予防に神経質になっていたのかがわかる。特に慰安所施設は軍の指導の下にあるわけだから(野戦酒保規定 昭和12年9月29日 第一条「野戦酒保ニ於テ前項ノ外必要ナル慰安施設ヲナスコトヲ得」)、「実施単価及時間」として「営業時間 午前9時~午後六時迄」「使用時間 一人一時間を限度とする」、更に「検査は月曜及び金曜日」「毎月十五日は慰安所の公休日とする」等と細かい規定が記されているのであった。

 現代の我々の感覚では公の機関である軍隊が性風俗施設を運営するとは様々な意味で大変なことであるが、同時に徴兵制・苦しい軍隊生活を送る若い成人男性達の姿もそこには浮かび上がる。徴兵制とはそれほど過酷なものなのだ。

     

 陸軍士官学校生徒心得(昭和17年9月)

 第八章 休日及外出

 第八十六 外出先ニ於テ守ルベキ注意概ネ左ノ如シ

 将校生徒ノ品位ヲ傷クルガゴトキ場所(飲食店、喫茶店、映画館、寄席、劇場、等)ニ出入リスベカラズ、又新聞、雑誌、書籍、音楽等ノ選択ニ注意シ、軟弱ナル娯楽ハ之ヲ慎ムベシ