昭和天皇 1945-1948/高橋紘[岩波書店:岩波現代文庫]

 昭和史の中で最も緊張に満ち、殺伐としていた「十五年戦争の時代」は昭和二十年八月十五日に終わった。満州事変、五・一五事件二・二六事件日中戦争、太平洋戦争、広島・長崎の原爆投下、そしてポツダム宣言受諾、によって終わりを迎えた大日本帝国であるが、早急に新しい日本を建設せねばならない。では天皇をどうするか。万世一系、現人神である天皇陛下を頂点とする大日本帝国は敗戦国に成り下がったのだ。アメリカを中心とする連合国によって占領されるのである。アメリカは大統領を中心とする民主主義の国であり、君主国ではない。果たして我が国体についてどれだけ理解しているのか。いや、理解したとしても、所詮は敗戦国日本の生殺与奪権は向こう側にある。日本が解体され、宮中も解体されるかもしれぬ。先手を打って退位する事も深刻に議論され、昭和天皇自身も「それは退位した方が自分は楽になるであろう。今日のような苦境を味あわぬですむであろう」と侍従次長に漏らしている。しかし退位したところで後継者である皇太子(平成天皇・昭仁)はまだ11歳であり、即位したところで摂政を置かなければならないが、皇族は18歳になると陸軍又は海軍の武官になる事が定められており(皇族身位令)、敗戦の責任を担う武官が摂政になればアメリカの心証を悪くしよう。

 しかし昭和天皇自身はこの敗戦による国民の苦しみ、悲しみ、辛さを一刻も早く取り除く意欲に燃えていた。当時の昭和天皇は44歳であり、年齢だけで言えば政治家であれ官僚であれサラリーマンであれ、一番脂の乗り切った時期である。側近達が敗戦による茫然自失の状態から立ち上がり、日本国と天皇を守ろうと奮闘する姿を見て自分もまた使命に燃えていたはずであり、8月15日から降伏文書に署名する9月2日の間にも、

・8月16日…竹田宮閑院宮朝香宮を呼び、各方面(長春サイゴン、南京)派遣軍に停戦を伝えるよう指示

・8月17日…東久邇宮稔彦王に大命降下

      …「戦争終結ニ際シ陸海軍人に賜ハリタル勅語」を発表

・8月25日…復員について勅諭を発表

 などにより敗戦の幕引きを図り、これによって8月30日に厚木飛行場に降り立ったマッカーサー及びアメリカに好印象を与える事になった。

 最もアメリカ側は戦争が終結するだいぶ前から日本について研究し、天皇と日本人の関係も熟知しており、「天皇崇拝は、日本国民の愛国心の本質でもある」「天皇及び天皇神話に対する宣伝上の攻撃は、我々の宗教や国旗に対する宣伝上の攻撃が、我々にとって逆効果を及ぼすと同様、日本国民にも逆効果を及ぼすであろう」と1942年には既に認識している。更に1944年、駐日大使を務めたジョセフ・グルーは上院外交委員会聴聞会で「女王バチは何も決定しないが、彼女を群れから取り除くと、その巣は崩壊する」「天皇は女王バチに近い存在で、社会的安定を保つ唯一の勢力」と語っている。アメリカ側としては天皇にそれだけの利用価値があるのかを判断するだけでよかったのであり、マッカーサー元帥は天皇との会見(9月27日)後、声明を出した。「歴史上、戦時平時を通じこれほど敏速且つ円滑に復員が行われた例を私は知らない。約七百万人の兵士の投降という史上に類のない困難且つ危険な仕事が、一発の銃声も響かせず、一人の連合軍兵士の血も流さずに、ここに完了した」。天皇の「御稜威」をマッカーサーは認めたのであった。

 これ以降、昭和天皇は皇室の土地の下賜(昭和20年10月・11月)を皮切りに、人間宣言(昭和21年1月)、地方巡幸(昭和21年2月~)、日本国憲法公布記念祝賀都民大会出席(昭和21年11月)、皇族の臣籍降下(昭和21年12月)、と積極的に日本国民との「一体感」を醸成する行いによって「日本国民の愛国心の本質」である天皇の存在を再確認していくのであり、それは連合国側からすれば「人気取り」にも映ったが、日本人が心から万歳を唱える存在である天皇に利用価値を見出したマッカーサー及び連合国軍総司令部東京裁判においても「天皇訴追せず」を決定、日本国憲法においても「象徴」として生き残る事ができたが、本書はその過程で日本政府や皇室内で情報が錯綜し、やはり天皇や皇室の地位が危ぶまれる瞬間があった事も侍従次長などの側近の日記等で丹念に追いかけているところが非常に面白い。東京裁判に備えて(訴追された場合に備えて)天皇は戦争に至った経緯を改めて側近へ回顧しているが、「天皇が風邪をひいているにもかかわらず、政務室にベッドを入れて」「御仮床のまま」話す事もあったというのだから、いかに事態が切迫していたかがわかる。日々の政局も面白いが、やはり昭和史は面白いことだらけである。

    

 もしも天皇を裁判に付そうとすれば、占領計画に大きな変更を加えなければならず、しかるべき準備を完了しておくべきである。天皇を告発するならば、日本国民の間に必ずや大騒乱を引き起こし、その影響はどれほど過大視してもし過ぎる事はなかろう。天皇は日本国民統合の象徴であり、天皇を排除するならば、日本は瓦解するであろう。

 成否のほどは別として、ポツダム協定は、彼を日本国天皇として擁護する事を意図していたと信じている。従って、もしも連合国がそれに反した措置を取るならば、日本国民はこれを日本史上最大の背信行為とみなすであろう。

 地下運動による混乱・無秩序状態が山岳地域や辺地でのゲリラ戦に発展していく事も考えられなくもない。そうなれば近代的な民主主義方式を導入する望みは全て消え、最終的に軍事支配が終わった時、自由を奪われた大衆は、恐らく共産主義的路線に沿った何らかの形の厳しい画一的管理を志向するようになるであろう。

 (そうなれば)占領軍の大幅増強が絶対不可欠になるであろう。最小限に見ても、恐らく百万の軍隊が必要となり、行政官を全面的に補充し、その規模は恐らく数十万に達するであろう。(1946年1月25日、マッカーサー元帥からアメリカ陸軍参謀総長アイゼンハワー)宛の機密・緊急電)