貧困旅行記/つげ義春[晶文社]

 もちろんつげ義春は「ねじ式」も「紅い花」も「李さん一家」も読んだ。あれは確か高校3年生の頃だ。しかしなぜあのような、ラブコメに縁もゆかりもないような漫画を読んだのだろう。つげ義春作品を読む事がオタクや漫画好きにとっては必要である、という「空気」が90年代には漂っていたからかもしれない。やや義務的に読んだ気がしないでもない。とは言えあの陰気で少し妖艶な画風、ユーモアなのかヤケクソなのかただ人生をあきらめているだけなのかわからない登場人物達の投げやりさは読んでいて好感を持ったが、それにしても当時の俺はまだ10代後半であった。華やかな90年代後半~00年代前半のオタク的世界と、オタクが徐々に市民権を得ようとはしていたがまだ全体としてはオタクに対する偏見が色濃い世の中で、自らの生命線と位置付ける「ラブコメ」を確立しようと苦闘していたあの時代の俺はつげ義春の世界に浸る事はできなかった。

 そうして俺ももう38歳になり、自らの言うラブコメ的世界は確立した。また社会人として相応の経験と、会社という組織の中で苦い味を噛みしめる事を覚え、時には旅行に出て日常を忘れたいと思うようになったが、そこは地方都市育ちの悲しい性で山や温泉や寺や神社を楽しむ事はできない。行く先はやはり地方都市であり、そこで本屋古本屋図書館へ行くのである。もうそういう生き方しかできないのだ。とは言えそういう生き方は生き方として、つげ義春のように田舎の寂れた宿に泊まり、侘しさと孤独に浸りたい時もある。しかし勤め人でいる限りそんな体験はできそうもない…ので本書を読む事で追体験できた。何せつげ義春である。口を開けば「侘しく寂しい地方や田舎でのんびり暮らしたい」「何も考えず楽な仕事をして、いつまでも楽に暮らしたい」と言いながらもやはり都会に戻ってしまう作者のいい加減さと、そのいい加減さを自身で反芻しながら、山、川、寺、目立たない建物を観察する姿は俺のような疲れた中年が読むと沁みるような快さがあった。

 とにかく有名どころの観光地は一切行かないのである。行くところと言えば千葉の房総半島を皮切りに、伊豆、鎌倉、山梨、東京の奥多摩と近場も近場であり、それは有名な観光地に行きたくないという主義主張の問題ではなく、単なる経済的な理由によるものである。そこで「暗くて惨めで貧乏たらしさに惹かれる私」は、「暗い沼辺でガマのように陰気に暮らす」事を思い描くが、所詮、都会に住む者は溜め息をついて都会に戻っていくのである。妻と子供を連れて旅に出ても残るのはいつも寂しさと侘しさであり、その滲み出る貧困さと旅行記をごく自然に交わらせている作者の姿にはやはり好感を持った。あの頃の好感は義務ではなかったのだ。久しぶりに「紅い花」等のつげ作品を読む事にしよう。

  

 窓を打つ雨脚は更に激しくなり、雷鳴も聞こえ、立って窓の外を透かして見ると、沖の方にしきりに稲妻の走るのが見えた。半分だけ閉めたトタンの雨戸を横なぐりに打つ雨の男に妻も目覚め、「嵐になったのかしら」と言った。(親子3人で)川の字に並んで寝ている妻を私は手招きした。妻は私の床の方に来てすぐパンツを脱いだ。何か月ぶりだろうかと私は思った。時おり稲光りが部屋を明るくした。

    

 私は外に出て、出来たての饅頭を受け取り、何度か来て知っている道を駅の方へぶらぶら歩きながら、昔から街道筋の女は、心が荒むのはどうしてだろう、などと思った。そして、生活に倦んでくると女は享楽に傾き、男は無気力になり、山ごもりなど考えるのだろうかと思ったりした。