特別企画・改名の問題

(1)はじめに

 このブログ「ラブコメ政治耳鳴全日記」を始めてから15年が経った。ツイッター(「ラブコメ政治耳鳴全日記別館」)も10年が経った。15年。10年。15年前、本ブログを始めたとほぼ同時に俺は東京へとやって来た。22歳まで兵庫県の田舎で過ごした半ひきこもりのオタクの読書好きのデブは何の間違いか東京へと移り住んで今や37歳となった。この間に多くの人が死に、経済環境も激変して我が国は衰退の道を辿り歯止めがかからなくなった。余裕がなくなった社会の雰囲気によって誰もが誰かを攻撃する事に飢え、論破する事に飢えている。恐ろしい世の中だ。しかし俺はこの15年の間にそれなりの波乱があったとは言え37歳まで生き延びた。とは言えもう37歳だ。ラブコメにしろ政局にしろ読書記録にしろ、これまで以上に深く、大きく、派手に、バカバカしくやらなければならんのである。

 …と決意をする時にいつも困るのは名前の事であって、大体「tarimo」とは何だ(ツイッターは「tarimo99」)。女子中学生が考えた犬か猫のペットの名前みたいではないか、そんな名前の人間が偉そうに決意を新たにしたところでちゃんちゃらおかしいわい、やめじゃやめじゃ、阿呆は阿呆らしくやっとかんかい真面目になって何になる、である。しかしもうこの「tarimo」という名前を使って丸15年が経った。いい機会だ。改名しようではないか

  

(2)「tarimo」から何に変えるか・その1

 改名しよう。

 せっかく改名するのだから今の37歳の俺にぴったりの、しかもこれから40歳、50歳となっていくおっさんによく似合う名前にしなければならない。という事は世界のラブコメは使えない。なるほど王は30だろうが40だろうが50だろうが王でいいが、これは12月の「日本ラブコメ大賞」期間だけに使うから価値があるのであって、一年中「やあ、世界のラブコメです」と言うのは王の安売りである。それに真面目に政局や読書記録を書いても「世界のラブコメが書きました」などと言っては誰も読んでくれません。

 という事で世界のラブコメは却下して、他に適当な名前は何か。候補としては政局屋読書狂がある。政局屋というのはその名の通り政治の一局面である「政局」を見る、そして読み解く事こそ政治の面白さと恐ろしさがあるという俺のポリシーを示すものだが、今度は逆に「やあ、政局屋です。今年も日本ラブコメ大賞の時間がやって来ました」と言う事になる。それはそれで緊張感がない。政局観察は俺の一生の趣味だが、ラブコメは俺にとって業である。

 となると残るは読書狂となる。実は15年前の2005年2月にはてなダイアリーで「ラブコメ政治耳鳴全日記」を始める前に、プロトタイプ的に2004年10月にブログを始めた時のタイトルは「ラブコメ政治耳鳴全日記」ではなく「読書狂日記」であった。自分は読書狂い、本さえあればそれだけで生きていけるような奇人変人であるとの宣言を気取って名付けたが、そうは言ってもラブコメや政治の事についても書くのに「読書狂」ではわかりにくいだろう…と判断して今の「ラブコメ政治~」が誕生したのである。今思えばその時に名前を「読書狂」に設定しておけばよかったが、その時点でヤフーのフリーアドレスは「tarimo@yahoo.co.jp」にしていたので深く考えず「tarimo」(名前を適当に入れ替えたもの)にしてしまったのだ。

 では「tarimo」から読書狂に変えようか、と言えばこれも無理であって、一体俺のどこが読書狂なのか。読書狂と名乗るからには最低でも一日一冊は読まなければならないし、「置き場所がないからしばらく本は買わない」「今月は給料が少なかったからしばらく本は買わない」などと俗世間の常識に唯々諾々と従っている俺に読書狂を名乗る資格はない。「こんにちは、読書狂です。本の置き場所もなくなって、いい機会ですからブックオフに何冊か売ってきました」などと言った日には頑張って置き場所を確保している(或いは無視している)本当の読書狂の皆さんから抗議されます。

  

(3)「tarimo」から何に変えるか・その2

 つまりもっと一般的な、特定の事柄を想像させない名前がいいわけである。という事は極めて抽象的な名前か、本当の人名に近い名前がいいわけで、まず「きわめて抽象的」な名前から考えてみよう。

中年サラリーマン

ハゲデブチビ

兵庫県出身の東京在住のおっさん

継続は力なり

 さてどうだろうか。中年サラリーマンというのは確かに俺は中年サラリーマンだが、それを名前にしてどうする。「こんばんは、中年サラリーマンです。今回読んだ小説は中年サラリーマンの悲哀が描かれておりまして…」となってしまうではないか。では次のハゲデブチビはどうか。このような名前を使う事で、自分はあなたより劣ってますよ、だから安心して下さいという事をアピールするわけだが、しかし俺はデブではあるがハゲてもいないしチビでもない(身長は170センチ以上ある)。かと言って単なるデブとするのは滅茶苦茶だ。

 続く兵庫県出身の東京在住のおっさんも、自分は地方の人間ですよ安心して下さいというアピールだが、そういう時に限って転勤になったりするのがサラリーマンの怖いところである。それでもし札幌や仙台や博多に転勤したらどうするのか。「こんにちは、先週まで兵庫県出身の東京在住のおっさんでしたが仙台に転勤になりました」とでも言うつもりか。おっさん特有のしょうもないギャグだ。

 最後の継続は力なりは俺の座右の銘であるが…。やはり名前には不適当だ。「こんばんは、継続は力なりです」。ふざけるなと言われるだけだ。

 では本当の人名に近い名前を考えてみよう。

日本羅武米王

多利茂他李男

田中角栄

筒井康隆

 日本羅武米王、ひらがなで書くと「にほんらぶこめおう」である。やはり「ふざけるな」と言われるだけですね。多利茂他李男、ひらがなで書くと「たりも・たりお」である。これがいいかもしれない…とやや傾きかけたが、「たりも・たりお」とは何だ。やはり犬か猫のペットの名前のようだ。続いて田中角栄。駄目だ、日本人の7割を敵に回す事になる。最後に筒井康隆。まあまだご存命なのでやめておこう。どうせなら星新一小松左京も合わせて、星筒井松左康一(ほしつついまつ・ひだりやすいち)にしたらどうか。俺もそこまで阿呆ではないのでやめよう。

  

(4)断念

 結論としては断念である。あきらめた。やはり15年も使った名前を変えるのだから力強い理由、隙のない大義名分が必要なのであって、ただ何となく今の名前が嫌だから、恥ずかしいから、では変えられなかった。やはり最初が肝心であった。最初であれば白紙状態であるから読書狂でも継続は力なりでも多利茂他李男でも本人も周囲も何の疑念も抱かずにそういうものだという事でスタートできるが、既に15年も「tarimo」でこの「ラブコメ政治耳鳴全日記」を走っているのである。変えるには多大なパワーを必要とするのであり、そんな事にパワーを使うくらいなら「脱走と追跡の読書遍歴」や「政局好色」に振り向けた方がよい。名前とは実に恐ろしいものだ。

   

(5)もう一つの改名問題

 そのようにして改名をあきらめこの話はなかった事にしていたが、実はもう一つ改名問題があった事に気付いた。ブコメ政治耳鳴全日記そのものである。ラブコメや政治は俺にとって生涯追いかけるものであり、耳鳴りは俺の生涯の宿痾であるが、これをただ並列にラブコメ、政治、耳鳴り、と並べ、最後に「日記」をつけたわけだが、もちろんこのブログは日記ではない。それどころか月に1回更新できるかできないかのスロー更新である。プロトタイプにあった「読書狂日記」をそのまま踏襲だけなのだから、これを変える事は可能である。少なくとも「日記」ではないし、ラブコメにしろ政治にしろ耳鳴りにしろそのまま表す必要はないではないか。15年も経ったのだ。心機一転するのだ。というわけで考えてみよう。

大日本帝国ブコメ会議

中年サラリーマンのラブコメ時々政治

ブコメ政治蔵

政治とラブコメの日々。

 大日本帝国ブコメ会議とは「大日本帝国」が何となく政治をイメージさせ、そこに「ラブコメ」「会議」をくっつける事で物々しい雰囲気を醸し出し、本ブログのイメージ通りではあるが、物々しい雰囲気となると「ラブコメ・政治・耳鳴」を一挙にくっつけた「ラブコメ政治耳鳴~」の方が一枚上手である。むしろ方向転換して中年サラリーマンのラブコメ時々政治とわかりやすく、明るくした方が心機一転としてはいいだろうが、こんな軽薄なタイトルでは半年も経てば変えたくなるだろう(俺は陰キャなのだ)。

 ラブコメ政治蔵は10年以上の付き合いがある書物蔵(

https://shomotsugura.hatenablog.com/

)さんを真似たものだが、あちらは膨大で洗練された知識を惜しげもなく披露する「知の泉」的な知的なブログであり、本ブログのような勢いとヤケクソだけが売りの人間がタイトルだけ真似しても破綻は目に見えている。更に政治とラブコメの日々。はこれまた10年以上の付き合いがある「酒とエロ漫画の日々。」(

https://gosplan1019.blogspot.com/

)さんを真似たものだが、あちらも毎週毎週真面目に的を射たエロ漫画論評をされている骨太のブログであるから、本ブログのように政局やらラブコメやら永田町神保町秋葉原やらであっちこっちに飛び火しながら1か月以上も更新しない事が間々ある人間が真似しては失礼であろう。

   

(6)結論・令和のラブコメ政治耳鳴全日記

 という事で結局タイトルの方も改名はなしか。何だそれは。いつもそうだお前は何だかんだと言っても結局は元のまま、前の状態から一歩も出ないのだ。その方が居心地がいいからだ。そうやって37歳になってしまったではないか、いつの間にか平成も終わって令和になったではないか、平成が終わってもお前は平成のまま、いやもっと古い昭和のような人間のままか。何を言うか。何でもかんでも変えればいいという事ではあるまい、何でもかんでも変えてしまえばいいという事で我が国は衰退の道を辿ってきたのではないか。俺は俺で令和の時代を生きるのだ。そうだそれこそが改名にふさわしいのだというわけで今後は「令和のラブコメ政治耳鳴全日記」となります。

 読者様におかれましては、今後とも宜しくお願い申し上げます。