日本ラブコメ大賞2020:Ⅲ 共存共栄が必要

第10位:家出ギャルに生中出ししまくって同棲性活始めました/鬼遍かっつぇ・シツジ[ジーオーティー:GOT COMICS]f:id:tarimo:20201218233159j:plain

 さて日本ラブコメ大賞は成年版となっても一般部門と変わらずラブコメとして優れているかどうかのみで評価する。性交渉描写が優れているか、もしくはエロとして役立つか(自慰に使えるか)はラブコメとは関係ない、ために考慮しない。そして優れた成年版ラブコメは一般ラブコメよりもラブコメ的となる。なぜなら性交渉とは包み隠す事のできない自身の肉体そのものを使う行為であり、嘘偽りのない感情が自然と浮かび上がってしまう恐るべき行為だからである。そのため好意を持っていない相手からは快楽は生まれないし、好意を持っている相手からは快楽が無限に湧き上がる。成年版ラブコメはそれを逆手に取り、「肉体関係に発展する」「これほどの快楽の雄たけびを上げる」という事は即ちヒロインは主人公(=読者)の事が好きだと断言できる、こんなに地味で平凡で何の取り柄もない主人公(=読者)なのに性交渉まで突入し悦楽を表現しているのだから…となるのである。

 そこで本作であるが、雨の中傘もささずに彷徨していた「明らかにギャルで不良っぽい」ヒロインを同情から助ける事から物語が始まる(「こんな時間に…もしかして家出?」「もし泊まるところがないんなら…」)のであり、そのような行為はラブコメ的にはマイナスであって、主人公は「地味で平凡で何の取り柄もない」のだから、本来そのようなヒーロー的行動を起こしてはならない。そんな事をすれば「地味で平凡で何の取り柄もない」性が失われよう。しかし可能性は低いが、「地味で平凡で何の取り柄もない主人公」であっても魔が差して無意識にそのような偽善的な行為をしないとも限らない。また主人公はすぐ「冷静に考えたらどうしよう」「俺、結構ハイリスクな事したんじゃ…」と我に返って後悔するため、「地味で平凡で何の取り柄もない」性はギリギリ失われなかったとしよう。世界のラブコメ王は寛容なのだ。

 そのように導入部でもたつきはしたが、その後は

①家出ギャルヒロインから誘惑

②主人公は童貞のため舞い上がる

③最初は余裕だった家出ギャルヒロインがいつの間にか快楽に呑み込まれる

 となって、居心地がいいからとなし崩し的に主人公とヒロインは同棲生活へと流れるが、ここで「同棲」が持つ危うさが問題になる。結婚していれば「ヒロインは主人公(=読者)の妻であり、妻であるから当然ヒロインは主人公のものであり、主人公は何の心配もなく性交渉に励む事ができる」という絶対性を獲得できるが、同棲は所詮同棲でしかないのだから、主人公側は「いつか別れを切り出されるかもしれない」という不安を抱える事になり、特に本作の主人公とヒロインの場合、何となく同棲が始まったのであるから何となく別れるかもしれない。

 しかしながら本作の場合その後の細やかなストーリーでそれは杞憂となる。2話においてヒロインは「主人公があんまり家にいない」「まさか他に女が…」と心配して主人公を尾行するのであり、3話では逆に主人公が「同級生?とお前と一緒にいるの見て…それで気になって…」と心配し、それぞれの嫉妬と嫉妬が解消した後の安堵と共に性交渉へと流れ込む事で二人に確かな絆が生まれている事が読者にはわかるのであった。そうして4話以降では家出ギャルヒロインは主人公のために清楚な服を身にまとおうとするのであり、休日はお互いの体をひたすら貪るのであり、主人公(=読者)は偶然によって得たヒロインを自分だけが好きにできる権利を得た事を大いに味わう事ができよう。それは読者にとって救い、癒し、希望となる。立派な成年版ラブコメである。

     

第9位:いもうとコレクションHさいかわゆきジーオーティー:GOT COMICS

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 主人公が「地味で平凡で何の取柄もない男」なのに対するヒロインが「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい」女で、更にヒロイン側が主人公にご執心な場合、ご執心となる何らかの理由が必要となる。しかしそこで「主人公は実はIQ×××の天才」「金持ちの御曹司」「底抜けのお人好し」等の、「地味で平凡で何の取柄もない男」の前提を否定する理由を持ち出してはラブコメそのものを否定する事になり、元も子もない。そういう場合の手っ取り早い方法が「ヒロインは主人公の家族(母、姉、妹)もしくは親戚(いとこ)なのでもともと親しくていた、それが恋愛感情に変換された」であり、だからラブコメと近親相姦は相性がいい。毎年言っている事だが、恋人や妻がいない男にも家族・親戚はいるのであり、これを利用しない手はないのである。

 しかし「母・息子」ではタブー色が強過ぎ、「姉・弟」だとどうしても姉→弟となって、姉が弟(=主人公)に対して積極的になったとしてもそれは「自分は上の立場(姉)だから」という主従関係が匂い、主人公(=読者)にとっては居心地が悪くなる事が多い。その点「兄・妹」だと兄(=主人公=読者)は既に妹の上に位置しているため遠慮する必要はなく、且つ妹側もそれを当然として受け入れ、性交渉においても妹ヒロインによる積極的な奉仕に結びつき、ラブコメ的にも一番美味しいものとなる。つまり妹ラブコメとはいい事づくめなのであり、今後も量産されていくだろう。

 そこで本作であるが、導入部がやや異質なのは妹ヒロインが「お兄ちゃん大好き」ではない事であって、なぜかと言うと主人公(「内気で女友達もいない」)はまだ性の何たるかを知らない小学生の妹ヒロインに性的関係を強要するからであった。もちろん妹ヒロインは小学生であっても「お兄ちゃん大好き」的言動をする事が成年版ラブコメの常道であるが、本作では遠回りをして、兄(=主人公)が妹ヒロインと強引に性的関係を結び、それによって妹ヒロインは否応なく兄(=主人公)を好きになるという形式を取っており、「お兄ちゃん大好き」的な無邪気な言動がない分タブー色がやや強くなっている。そして数年の時を経て冷静になる兄(=主人公)はしかし妹ヒロインなしではいられず大人の身体となった妹ヒロインの身体に吸い寄せられ、妹ヒロインはいつしか肉体のみならず自分の存在そのものを兄(=主人公)に支配される事を望み(「お兄ちゃんは理香以外の女の子と結婚するの?」「理香以外の女の子とエッチするの?」「お兄ちゃんの精子以外いらないよ」)、兄(=主人公=読者)は「妹」という、自分が絶対的に上に立つ事のできる、また「いつでも俺を受け入れてくれる」存在を妻とする事ができたのであった。その高揚感をそのまま性交渉にぶつける事で兄(=主人公=読者)は永遠に続くような快楽を感じる事ができよう。

 更に兄(=主人公=読者)は「妹と結婚し無事に子供も生まれて」仲睦まじく暮らしていたが今度は妹(妻)の計らい(「女の子は愛する人のものになれるのが一番の幸せなの」)で娘から告白され娘とも性的関係を持つ事になるが、それも「自分の存在そのものを支配される事を望んだ」妹なら自然な事であり、しかし娘と性的関係を持ったとしても妹(妻)は変わらず兄(=主人公=読者)と性交渉等の奉仕継続するのであり、兄(=主人公=読者)は快楽のチケットを永遠に持ち続けるのであった。それは読者にとって救い、癒し、希望となる。ラブコメとは素晴らしいものなのだ。

 なおこれほど素晴らしいのに9位となったのは表題作以外の短編2つがラブコメではないため減点としたからである。まあしょうがない、日本のエロ漫画の宿命ですなあ。

     

第8位:箱庭ニ咲ク雌ノ華肉そうきゅー。ジーオーティー:GOT COMICS

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 もう一度強調するが、評価するのはラブコメとしてのエロ漫画であり、エロ漫画としてのラブコメではない。つまりエロを優先してはならない。ラブコメ的前提、条件、環境を整えた上で、性交渉等のより露骨な表現によってラブコメ的世界を強固にする事が成年版日本ラブコメ大賞には求められるのであり、そのため主人公は「地味で平凡、もしくはそれ以下」でなければならず、ヒロインはそんな主人公に好意を持っている(或いは出会ってすぐに好意を持つ)からすぐに肉体関係まで及ぶ、だからエロ漫画である、というルートを通らなければならない。ヒロインを「メス奴隷」にしてもいいが、そこに強制的な力(「メス奴隷にならなければ今後生活ができない」「メス奴隷にならなければヒロインの大切な家族もしくは友人が助からない」等)が働いては意味がない。「洗脳する」という手段もあるが、それではヒロインの本心がわからず主人公(=読者)側は心底楽しめない。やはり正攻法、最初からヒロインの好意(愛情)が約束される事が必要なのである。

 そこで本作であるが、前作(2018年・10位「花園の雌奴隷」)と同じく主人公は不細工でデブでいかにもうだつの上がらない鈍重な中年男(「精液の量が異常に多い」「大学を出て何度か社会進出を試みるも惨敗」「オナニー尽くしのひきこもりとなり数十年」)なので問題ないが、その鈍重中年男を引っ張り出した理由が「ヒロイン達を性接待で使えるようにするため、主人公が性の調教師となって性交渉等を施してほしい」という、特殊且つわかりにくい理由であるため読者側は少々戸惑ってしまう。「裏社会や限られた世界における接待や取引」で女を使う場合で、その女をただのホステス要員ではなく性に堪能なテクニシャンにしてターゲットの男を篭絡しようとヒロイン達を性のテクニシャンに仕立て上げるための調教師として「とても素敵な体質(精液の量が異常に多い)」である主人公が選ばれたのであり、主人公は言わば仕事としてヒロイン(うら若い女子高生)と性交渉しなければならず、当然ヒロイン側は抵抗もしくは現実に抗しきれず悲壮な決意で身体を差し出すのであるからラブコメにはならないが、導入部が終わりこれから調教が本格化する段階で主人公の事を無理やりではなく本当に「主人公様は…とても素敵な方です」と言う副ヒロイン2が現れ、催眠によって不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)を「王子様」と呼び陶酔状態になるヒロイン3が現れる事で流れが変わり殺伐さが薄れ、まずヒロイン2がいつの間にか主人公がもたらす快楽に屈服し、ヒロイン2・ヒロイン3・副ヒロイン1によって包囲されたヒロイン1もまた陥落する事によっていつの間にか主人公はハーレムを築き上げるのであった。

 その展開の早さ、外堀りを埋められた事によってヒロインが従ってしまうという強引な展開で押し通してしまうストーリーに読者は思わず引き込まれ、またヒロイン1が本当に性接待へと赴くが主人公が助けに行って救出し結局ヒロイン達は「主人公だけの雌奴隷」となってめでたしめでたしとなる展開は強引も強引、更に言えば元来がマイルドで優しい絵柄なので迫力がないため(作者は「ポプリクラブ」出身の作家である)ややちぐはぐな印象もあるが、読者はストーリー自体には引き込まれてしまっているので結果的に難なく読む事ができよう。そして不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)は黒幕の副ヒロイン1も屈服させ、見事全員を攻略するのであった。「最初からヒロインが主人公に好意を持っているわけではない」はラブコメとしてはマイナスであるが、しかしそのおかげで読者は手に汗握るストーリーに引き込まれる効果を生み、そんなストーリーの中心にいるのは不細工でデブでいかにもうだつの上がらない中年主人公(=読者)である。これもまた立派なラブコメである。

    

第7位:日米俺嫁大戦 金髪処女ビッチVS黒髪の妹巫女鷹羽シンフランス書院フランス書院美少女文庫

 1冊くらいは小説を持ってこないと潤いがない。ラブコメとは何も漫画に限った事ではない。しかし一般部門のラノベでもそうだが、活字になると途端に主人公は頭でっかち、理屈っぽい、地の文が少なく状況説明も心理描写も全て会話か独り言で処理してしまう…等のアラが目立ってしまう。そのため日本ラブコメ大賞・オールナイトラブコメパーカーにラノベ系は極めて少ないのが実情である。

 しかし官能小説には官能小説ならではの利点がある。小説であれば基本的に長期戦となるから、主人公に対するヒロインの感情の大きさ、またはヒロインのキャラクター性をいくらでも掘り下げる事ができよう。特にハーレムの場合、漫画であれば同時に1人、2人、3人と描き分けつつ性交渉シーンでも等分に各ヒロインの見せ場を作らなければならないため各ヒロインの心情にまでせまる事ができないが、小説であれば長期戦であるからそれが可能であり、ヒロインそれぞれがいかにして主人公(=読者)と出会ったか、いかに主人公(=読者)を慕っているか、また性交渉による快楽がいかにヒロインに喜びを与え主人公(=読者)の愛情をより深くしたか…を細かく詳しく丁寧に表現し、それによって読者は自分がどれだけヒロインに愛されているかを味わう事ができよう。

 というわけで本作では幼馴染の金髪グラマー美人と黒髪清楚美人(妹)の2人が幼き頃から慕っていた主人公のところへ押しかけ、性交渉を要求し、主人公(=読者)は欲望の赴くまま組んずほぐれずを繰り返しヒロイン2人は歓喜の声でそれを受け入れ、最後は見事二人とも妊娠させ、それでも精を放ち続ける主人公(=読者)にヒロイン2人は感謝しつつ更なる性的奉仕を誓うというものであった。主人公(=読者)が「地味で平凡で何の取り柄もない男」である事の強調はないのが残念でありマイナスではあるが、序盤においてヒロイン1(金髪グラマー美人)及びヒロイン2(黒髪清楚美人妹)が主人公を想いつつ激しく自慰を行う事で既にヒロイン1、2が主人公(=読者)に強い執着を持っている事がわかり、その後は

①ヒロイン1が押しかけて恋人となって激しい性交渉を行い(「こういうの、知ってます。即オチ、ですね」)

②その性交渉の現場をヒロイン2は察知し(巫女なので遠く離れていてもそういう力がある。「二人は、褥を共にしたというのですか…。おやめください、兄さま、接吻の相手なら私が…」)

③ヒロイン2は厳しい修行を乗り越えて兄(=主人公=読者)の元へ飛んできて激しい性交渉を行い(「どうか私の処女を奪い、兄さまのためだけに存在する淫らな肉穴となる事をお許しください」)

④ヒロイン1、2が主人公(=読者)をめぐり性の限りを尽くした奉仕合戦を行う

 と順序を踏み最後は予想通りハーレムエンドとなる(ポテ腹ズリ・エンド)のであり、序盤にヒロインの自慰を持ってきた事がその後の展開をスムーズに移行させている。読者は激しい性交渉とは裏腹に穏やかな気持ちで安心して読み進める事ができよう。それもまた成年版ラブコメにおいて必要な事である。刺激的な事は必要ない。読者を救い、癒し、希望を与える事が大事なのだ。

     

第6位:献身ナデシコ文雅ジーオーティー:GOT COMICSf:id:tarimo:20201218235025j:plain

 なるほど「献身ナデシコ」というタイトルは本作の短編全体を表すに適したタイトルである。エロ漫画における「献身」的ヒロインとは主人公に対して積極的に体を開く、或いは消極的な主人公が積極的に性交渉を開始できるよう誘うと同時にヒロイン側が性的に奉仕する事をイメージさせるし、「ナデシコ」的ヒロインというのも清楚な大和撫子のような女、つまりいわゆるビッチではなく、意中の男にのみその体を預け、預けた後はその男の後ろを黙ってついていくような静けさと従順さをイメージさせよう。ラブコメとは「男が女の上に立つ思想」であり、女は男(=主人公=読者)に献身さと大和撫子のような穏やかさと静けさを提供しなければならない。それによって男(=主人公=読者)はその女を守る強さと覚悟を手に入れ、女のために命をかけるのである。ラブコメとは導入部こそ「男に都合のいい」ものであるが、最後には男が責任を持って女を養うのであって、女にとっても悪い話ではない。所詮女は年を取れば醜く老いて怠惰になっていくが、男は年を取っても七人の敵と対峙して戦い力をつけていくのである。そんな男に守ってもらうためには多少の奉仕は構わんだろう。

 話がそれてしまったが本作に登場する様々なヒロインは主人公(=読者)に身体を預けるわけだが、あからさまに積極的なヒロイン(「ごめんなさい…強気な人は苦手なの…」)や積極的でもないが主人公に何らかのサインを送るヒロイン(「どうかな?興奮する?もう一度私を犯してくれる?」)、または目の前でオナニーを始めるヒロイン(「どうして私を犯さないのよ!」)、等、等と多彩で、それぞれのヒロインは例外なく主人公を前にして既に顔を赤らめ、いつ身体を許してもいい雰囲気を醸し出しており、主人公(=読者)側としては手を出していいのだ、むしろ相手がそれを望んでいるのだから何を遠慮する事があろうと奮発させる事に成功している。そして実際に手を出し(性交渉に及んで)、未経験な主人公の拙い性技術に対してヒロインはいとも簡単に喜びの歌声を上げるが、それも「ヒロインは主人公の事が元々好きだったから、少々拙い技術であっても容易に快楽へと転換できてしまう」からであると自然と納得できよう。

 ラブコメとは読者にとって「都合のいい」ものである。しかしその「都合のいい」範囲内でいかに「都合のいい」事の矛盾を消すかが問われる。目の前のヒロインと性交渉を行う上で主人公(=読者)が抱く「こんな風に性交渉できるのは都合が良過ぎる」という疑いを排さなければならず、疑いを排すには納得感が必要となる。本作に登場するヒロイン達は「献身」的で「ナデシコ」なヒロイン達であるから、主人公(=読者)との性交渉に積極的であるのは自然であり、また積極的でありながら主人公(=読者)にのみ心を許し身体を許す(いわゆるビッチではない)事も当然のものとして了解される。本作ヒロインの一人は「もっと…主人公と…セックスしたいです」「主人公と…デートに行きたい!」「結婚したい!」「主人公の…子供が欲しいです」とまで宣言するのであり、主人公(=読者)は自分にそのようなヒロインがもたらされた幸運に感謝し、性交渉に励み、ヒロインを命がけで守るだろう。それが成年版ラブコメの正しい姿である。

    

第5位:パッフィーフレグランス藤ますワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL

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 本作の作者は過去に栄光の1位を達成している(2014年1位「君がため心化粧」)ので何の心配もせず読み(世界のラブコメ王も読む前は結構心配します)、6年前と変わらない「ラブ&ハード」ぶりにホッとした。こんなにハードな性交渉(「処女にレイプ」「レイプ妄想で淫語自虐するM女」等)を見せられてホッとするのも変な話だが、本作には安心感がある。なぜならどれほどハードな性交渉が展開されたとしてもそれはヒロイン側が主人公(=読者)に好意を持っているから、愛しているから、或いは今まさに主人公(=読者)を籠絡しようとしている結果としてのハードさであって、ヒロインがただ快楽を得たいがためにハードに行われているわけではない事を作者が意識して描写しているからであった。

 そもそも単なるエロ漫画であればただ女の裸、或いは女の淫乱な様子を見せるだけでも事足りるが、日本ラブコメ大賞エロ漫画編においてはその淫乱さはあくまで「ヒロインが主人公(=読者)を求めている」からこそ淫乱になる、でなければならない。ただエロのためのエロ、快楽を得たいためのエロであればそれは「快楽を満たしてくれるなら誰でもいい、つまり主人公(=読者)じゃなくてもいい」となり、読者はそのエロの饗宴の時間が終わればフェードアウトするのみとなってしまうのであり、ラブコメの定義から外れよう。ヒロインの淫乱さが主人公(=読者)を得たいがための自然な発露である時、その性交渉はより濃密になり、そのようなヒロインを目の前にした主人公(=読者)は極上の快楽を味わい、「これほどの女(=美人でスレンダー且つ巨乳)がこれほど乱れるのはそれだけ俺を愛しているからだ」という認識によって征服欲と支配者の優越を味わう事ができるのである。本作はまさに、ヒロイン達が明確に「こんなに淫乱になってしまうのは主人公(=読者)のせい、主人公(=読者)だけ、主人公(=読者)のため」をアピールしている。それが安心感を生むのである。

 また作者の描くスレンダーながら巨乳なヒロイン達は顔も小さく八頭身か九頭身かと思えるほどのモデル体型であり(しかも巨乳)、儚さも漂わせ、しかし発情したメスの顔とその大きな乳房で女性性を強烈に表現しながら淫乱に舞うのであり、要所に飛び交う「大好きおちんぽすっごい気持ちいい」「新妻まんこにしてください」「あなた専用どこでもオナホです」等の言葉がヒロインのエロさと愛おしさを倍加させ、またヒロインが主人公によってもたらされる快楽を享受し、享受した事によって更に求め、主人公(=読者)も限界のその先まで身体を酷使して何度も精を放つ姿は共同作業的な域に達している。なるほどセックスとは愛を求める二人のものなのだという事を再認識した。ラブコメは色々な事を教えてくれるのである。

 それにしてもこれだけ淫語が展開されると麻痺してしまいますね。「おちんぽ様にハメイキさせられるチョロマンコなの」「先端じらし根元握り勃起誘発シコシコ」「告白ハメ姦」「先輩のおちんぽやっとハメてもらえて嬉しくて」…。まあ、愛があれば大丈夫か。

    

第4位:彼女のママと出会い系で…舞六まいむティーアイネットMUJIN COMICS

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 世の中には様々な性癖がある。「地味で平凡な男と美人で巨乳で恵まれた女を組み合わせる」というラブコメ的設定・展開も性癖の一つである。よって俺はあらゆる性癖を尊重する。もし俺が数多くの性癖の一つでも否定すれば、今度は誰かが俺の信奉するラブコメを否定するだろう。そして潰し合いとなる。ただでさえ狭苦しいエロ漫画界で互いの性癖を潰し合っては元も子もない。共存共栄が必要なのだ。

 そのため「寝取られ」についても、いかにそれがラブコメ的設定を破壊しようとするものであっても俺は何も言わない。況や俺は世界のラブコメ王なのだ。しかし「寝取り」はどうかと言えばこれは大いにやるべきであって、そもそもラブコメというジャンルが「寝取り」的要素を含んでいる。本来ならば「美人で巨乳で恵まれた女」には「それ相応の容姿や能力や地位を持つ男」があてがわれ、性交渉その他の権利を得るわけだが、ラブコメにおいては違う世界の人間であるはずの「地味で平凡で何の特徴もない、容姿も能力も地位もない男」が「美人で巨乳で恵まれた女」ヒロインを手に入れてしまうのであるから、「美人で巨乳で恵まれた女」を手に入れるために「それ相応の容姿や能力や地位」を努力して勝ち取った男側からすれば「寝取られ」となる。一方から見た「寝取られ」はもう一方から見れば「寝取り」なのである。

 なぜそんな前置きを述べたかといえば本作がまさに「寝取り」に重きを置いたものだからであった。魔が差して手を出した出会い系アプリで出会った人妻熟女、風俗エステでいつも指名する人妻風俗嬢、等は結婚して娘もいるのだから完全に「他人(自分以外の男)のもの」であり、金銭とのトレード以上の関係にはなれない。しかし人妻とは言え二次元のセオリーに則ってあくまで若々しく、それでいて熟れた肉体からは女の色香が漂っている。偶然によってそれら人妻ヒロインが「(主人公が)付き合っている彼女の母親」である事がわかった時、主人公は彼女ヒロインではなく経験豊富且つ抜群のテクニックを持つ人妻と金銭の枠を超えてその関係に溺れ、いつの間にか人妻ヒロイン側も主人公に溺れてしまうのであった。

 表題作では当初こそ「主人としたやつが出てきちゃった」などのアピールによって主人公側を煽り、それに逆上する主人公によって快楽を倍増させてきた彼女のママヒロインは主人公と彼女ヒロインの睦み合いを見せられる事で「私だったら何でもしてあげるわよ」「私と会う前に(娘と)セックスするなんて嫉妬しちゃう」と我を忘れ、ついには「今日は危険日だから子作りしてもいいわよ」とエスカレートし主人公の子を身ごもり、しかし主人公と彼女ヒロインは結婚する事で彼女ヒロイン及び彼女のママヒロインの夫(主人公の義父)の目を逃れつつ(二世帯同居)更に性交渉に励み、彼女のママヒロインを「寝取った」事を存分に味わうのであった。

 その他の短編も同じように「最初は年上の余裕を見せようとした彼女の母ヒロインが次第に主人公にのめり込む」パターンであるが(「彼女のママでも風俗嬢でもなくて君の女なの」「あなただけのAV女優にさせて」)、わざわざ彼女の母ヒロインが嫉妬する理由を挿入させ(「二人きりの時は私だけを見てほしいの」)、主人公は「他人(自分以外の男)のもの」を完全に手中におさめた事による征服欲を満たす事ができ、それは快楽を飛躍的に増加させよう。「寝取り」とラブコメが両立した稀有な作品であった。

    

第3位:ゆけむりハーレム物語立花オミナティーアイネットMUJIN COMICS]

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 さて作者は以前にも日本ラブコメ大賞に登場しているが(2014年成年部門3位「いきなり!ハーレムライフ」)、今回もハーレム長編もので3位となった。そして毎年言っている事だがハーレム長編物は難しい。短編ならばただ「地味で平凡で何の取り柄もない男が、偶然と幸運によって複数の女を手に入れる事ができた」事の勢いと余韻でフェードアウトできるが、長編物では「なぜハーレムを構築できたか」「なぜヒロイン達はハーレムを許容したのか」等の理由が問われるからである。そしてその理由が「ヒロイン全員が主人公を好きだから」であったとしても、次に「好きならなぜハーレムを許容するのか、好きなら独り占めしたいはずだ」となり、そこで「ヒロインが特殊な考えを持っているから」「ヒロインは人外(異種族、宇宙人、他)だから」を用意する間に話が進み、ヒロインそれぞれの個性については言及されないまま時間切れとなって大団円を迎え、結果として中途半端になるのが常である。

 しかし本作の場合、前作同様核となるヒロイン1(バイト先の後輩、処女)を用意し、そのヒロイン1を通じてヒロイン2(美人な官能小説家、処女)、3、4…と主人公(=読者)の相手を広げていき、広げていく過程でヒロイン達が徐々に主人公(=読者)の虜となっていき、並行してハーレム性交渉が展開されるため、スムーズでありながらスピード感もあり、作者の手堅さに感心しよう。主人公(=読者)が即座にヒロイン6人と性交渉するのではなく、まずは1対2、次に1対3、その次に1対4…と順序を保つ事でハーレムを特殊ではなく通常の性交渉であるかのような錯覚を読者に与え、結果的にヒロイン1とヒロイン2が主人公(=読者)に処女を捧げながらハーレムを許容する事が何ら不思議ではない世界観を構築しており、作者の力量を表している。

 更に評価したいのがハーレムでありながらヒロインそれぞれの役割を明確にしている事であって、メインをヒロイン1とヒロイン2に決め、副ヒロインにヒロイン6(主人公・ヒロイン1のバイト先の年上の女)を据え、残る3人は「その他ハーレム要員」としている。それによって「ヒロイン全員が主人公を愛している」事の表明を早々にあきらめているが、そもそもヒロイン1以外は行きずりの関係(温泉宿の従業員と宿泊客)であるからその方が自然であろう。それによってハーレム感は一時的には下がるが、一方で性交渉では律儀に6人全員に見せ場を作り、主人公(=読者)の絶倫ぶりに虜となったヒロイン達は「貴方の事を皆で話し合って決めたの、誰も抜け駆けせず全員が平等に貴方と付き合う、本当の恋人としてね」と宣言してハーレムを盛り返し、大団円となるのであった。きっかけが「行きずりの関係」である事は確かだが、それを否定も肯定もせず、ひたすら性交渉を重ねる事でハーレムを既成事実化すればヒロイン達はそれを認め、快楽の渦に自ら飛び込むのであり、その先にいるのは「地味で平凡で何の取り柄もない男(=主人公=読者)」なのである。これぞ成年版ラブコメの完成形と言えよう。

 また最初から最後までヒロイン1が「ハーレム」と「主人公と恋人」を明るく受け入れ楽しんでいるところが作品全体を明るいものにしている。作者はハーレムを完璧に理解しており、今後の作品も安心して期待している。

    

第2位:すべてをあなたに丸和太郎文苑堂:BAVEL COMICSf:id:tarimo:20201219001725j:plain

 繰り返しになるがラブコメとは「地味で平凡で何の取り柄もない男」が「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」によって愛されるものである。そして愛されるとは性交渉を行うという事であり、また「性交渉を行う」とは即ち愛し愛される関係になったという事であるが、ラブコメにおいてはどちらが先でも構わない。つまり大して愛してなくても偶然や事故によって性交渉を行い、結果的に「地味で平凡で何の取り柄もない男」と「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」がめでたくカップル(夫婦)になってもよい(3位などその典型である)。しかし「大して愛してなくても」性交渉を行うような女とめでたくカップルになるパターンと、「始めから主人公を愛していて」性交渉を行うパターンではどちらがいいかと言えば後者に決まっているのであり、また「始めから主人公(=読者)を愛していて」も、その愛の度合いが重要となる。単に「周囲の男達の中で一番好意を持っている」だけの場合もあれば、「熱烈に愛している」場合もある。そして「周囲の男達の中で一番好意を持っている」から主人公(=読者)と性交渉を行ったパターンと「熱烈に愛している」から性交渉を行ったパターンとどちらがいいかと言えばもちろん後者である。「地味で平凡で何の取り柄もない男」に「美人で巨乳でスタイルも良くて…な女」をぶつけるのは非常に大事な事だが、それは前提でしかない。求められるのあくまでストーリーの緻密さである。

 前置きが長くなったが本作はその後者2つが合わさった、つまりヒロイン達が始めから主人公を熱烈に愛していているパターンのラブコメであり、文句のつけようがない良作である。ヒロイン達は登場した時点で既に主人公(=読者)に大いなる好意・愛情を持っており、そのヒロイン達は細く華奢で顔も小さく描かれ、少女のようなあどけなさと可憐さを放ち、そのヒロイン達の容姿と「大いなる好意・愛情」がミスマッチを起こしてより露骨に「主人公(=読者)の事が好きで好きで我慢できない」雰囲気を醸し出しているのであった。もはや些細なきっかけ一つで性交渉へと流れ込む事を期待しているヒロイン達には独特のオーラがあり、しかしそれは情欲に支配された爛れた獣としてのオーラではなく、あくまで主人公(=読者)を愛し愛されたいがためのオーラである。言わば「純愛」なのであって、男(=主人公=読者)にとって性交渉は欲望に直結するものであるが、そこにヒロイン達による「純愛」が作用し、「欲望を解消する」ための性交渉がもう一段上の「2人にとって必然的な行為」となるのであった。

 しかしいくら「必然的な行為」であるとしても性交渉とは所詮肉体的な快楽であり、肉体的な快楽はそれが快楽的であればあるほど躊躇され歯止めがかかるものだが、本作における各性交渉は「純愛」なる「必然的な行為」であるため、主人公(=読者)は欲望のタガを外し精を放つ事に集中でき、ヒロイン側も主人公(=読者)が欲望のタガを外し精を放てば放つほど愛されている事を実感し、更なる性的奉仕で主人公(=読者)に応えるのであった。まさに「すべてをあなたに」捧げるのであり、それによって主人公(=読者)のみならずヒロインも幸せの絶頂を体験するのである。ラブコメとは単なる性的消費ではなく「救い、癒し、希望」であるとはこういう事なのだ。素晴らしい。

    

第1位:貧乳義妹を巨乳にして嫁にしてみた志乃武丹英スコラマガジン:富士見コミックス]

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 さて作者お馴染みの義妹シリーズ、日本ラブコメ大賞の常連中の常連でお世話になっており以下の義妹ものを我々に届けてくれている。

・「義妹処女幻想」(2014・2位)

・「義妹禁断衝動」(2015・3位)

・「義理なら兄妹恋愛してもいいよね」(2016・5位)

・「義理の妹なら溺愛しちゃう?」(2017・4位)

・「義妹とスル?」(2018・6年)

 以上のようにこの義妹シリーズは毎回上位に記録されてきたが、1位にはならなかった。作者の描く義妹ヒロイン達は可愛らしく愛らしく、甘え上手で積極的で、華奢な身体でありながら義兄のためにその身体を全て差し出す覚悟を持ち、ラブコメのヒロインとして申し分ないが、対する兄(=主人公=読者)は兄であるからそのようなヒロインを包み込み愛する(性交渉を含む)事を当然とするため、「地味で平凡で何の取柄もない男」である自分にこんな「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい女」が舞い込んだという衝撃がなく1位になるには頭一つ足らなかったのである。もちろんこんな「美人で巨乳でスタイルが良くて性格もいい女」が義妹である事の喜びは大きいが、それが1位となる決定打にはならない。ラブコメと近親相姦は相性がいいため平均点は取れる、しかし突き抜ける事もないのである。

 しかし本作は突き抜けて1位となった。表題作では兄(=主人公=読者)は義妹を恋人にした後、実際に嫁として迎え、新婚となった義妹ヒロインと兄(=主人公=読者)の性交渉が描かれ、また子供に恵まれ年を経た義妹ヒロインと兄(=主人公=読者)が変わらず愛を保ち続け性交渉を行う様子が描かれ、突き抜けたからであった。実の兄妹であれば結婚できないからたとえ本人達が「結婚した」と言い張ったところで世間に抗って生きている、或いはとんでもない変態であるというイメージが強くなり読者は楽しむ事ができないが(それが快楽のスパイスになる場合もあるが、それは別の問題である)、所詮は義理の妹であるから結婚もできるのであり、結婚してしまえばその後いかに変態的な、獣欲にまみれた生活を送ったとしても微笑ましいの一言ですんでしまう。そのようにして義妹ヒロインは兄によって巨乳にされた事を喜び、結婚後も一日中兄(=夫=主人公=読者)に胸を揉まれ続ける事を喜び、子供が生まれても揉まれ続け(20年近く揉まれ続けた結果Kカップに到達)、兄(=夫=主人公=読者)は永遠の愛を手に入れたのである。その永遠の愛はヒロインが「義理の妹」というニッチな立場である事から可能となったのであり、長年に渡り義妹ものを描き続けてきた作者の独壇場と言えよう。

 表題作以外の義妹短編も相変わらずの安定感で、義妹ヒロインは可愛らしさ愛らしさを維持しつつ兄(=主人公=読者)に甘えつつ性交渉を積極的にねだるのであり、兄(=主人公=読者)は自然とその要求に応え、義妹と共同して性交渉の快楽を開発し、その事実が更に快楽を増やし活力を生むのであった。表題作が100点中120点、それ以外の短編が80点という事で1位としよう。素晴らしい。ラブコメは不滅だ。