- 作者: 戴国フェイ
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/10/20
- メディア: 新書
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台湾が特異な歴史を経て今に至ることはもはや自明であるが、本書を読んで特に印象に残ったのは「支配する側と支配される側の『共犯構造』」という言葉であった。日清戦争に勝利して列強と肩を並べるべく是が非でも植民地経営を成功させなければならない日本は抵抗する台湾人を容赦なく弾圧すると同時に鉄道・港湾・道路などの整備と拡張を行うことで(いわゆる「アメと鞭」)台湾の中上流階層をその植民地戦略に組み込んでしまったのであり、戦後は米ソ冷戦・朝鮮戦争による東アジア共産化危機のためにアメリカの反共政策に乗る形で国民党一党支配をアメリカに認めさせ、援助まで要求するのである。支配されながらも、その「支配」によって自国の経済を強固なものにしようとしてきたのが台湾の歴史なのである。
また日中戦争終了後の共産党・国民党・アメリカの息つく暇もない動きもかなり面白い。国共合作による日本軍への勝利の余韻に浸る余裕もなく国共内戦に突入し、戦いは国民党側が一方的に敗北を重ね悪性インフレによる経済失政により人心は荒廃、1949年8月にはアメリカが「中国大陸の大勢はすでに定まった。全ては蒋介石と彼が指導する国民党政府(国府)の腐敗と無能に帰する」と宣言した「中国白書」を公表、2ヵ月後には毛沢東が北京天安門広場で中華人民共和国政府の成立を宣言して蒋介石はやむなく台湾に下野し完全に追い詰められるも、朝鮮戦争の勃発により何とアメリカの国民党への援助は再開されるのである。
このアメリカの援助がいかに強力なものだったのかは時同じくしてアメリカを中心にして行われた対日講和条約交渉の過程で見ることができる。アメリカは講和の相手として「中華人民共和国は除外、国府台湾を選ばなければアメリカは平和条約を批准しない」と圧力をかけるも、対する日本国首相は優れた外交感覚を持つ吉田茂である。未来の国際関係を予見すれば国府を全中国の代表と認めるわけことはとてもできず、そのため日本側は「国府と講和を結ぶが、それは国府の支配地域に限られる」妥協案を提示(1952年2月20日)、国府と日本側の交渉は長引いたが対日平和条約発効日である4月28日を交渉期限とする日本側の姿勢に国府は妥協し、サンフランシスコ対日平和条約・日米安全保障条約と並んで日華平和条約が同日に締結され、日本と大陸中国の国交回復は遠のいたのであった。アメリカは台湾を利用したが、台湾もまたアメリカを利用したのである。
国際的地位を確立した蒋介石・経国親子による国民党一党支配体制は続き、なりふり構わぬ工業化・近代化による資本主義経済政策で「経済奇蹟」を実現、また「中国白書」の苦い経験からアメリカにのめり込むのは危険として旧日本軍人を軍事顧問として国府軍の再訓練を実施するなどして台湾政府は自信を深め、中ソ対立や文化大革命の混乱により疲弊する一方の大陸中国を尻目に今日の基礎が作られていくのである。そしてそれらの功績を見る時忘れてはならないのは、1949年5月から1987年7月まで「戒厳令」が続いていたという世界でも類を見ない特異な歴史であろう。本書を読んでますます台湾を知りたくなった。
ところで本書は1988年9月発行のものであり、経済大国化した中国はおろか天安門事件も起きていない頃であるから後半に書かれてある「これからの台湾の課題」という部分はほとんどリアリティがない。それでも蒋経国が死去し(1988年1月)、李登輝という蒋家以外の人間で本省人が台湾のトップに立ったということの高揚感がにじみ出ている。これこそ時代というものであろう。
ちなみに、ニクソン米大統領の中国評も非常に面白い。「過去半世紀にわたる中国の物語は、その大半が毛沢東と周恩来と蒋介石という三人の人物の物語である。毛に追われた蒋が台湾に去り、中国本土を制圧してからの中国共産党は、毛・蒋の闘争をまるで神と悪魔の戦いのように言った。毛沢東自身、みずからを二千年の昔に生きた秦の始皇帝になぞらえたことがある。個人崇拝は、彼を神に近い高みにまで押し上げた。その間、周は毛に隠れ、忠実に実務を取り仕切った。台湾に逃れた蒋は、独裁を採用しながらも毛のような個人崇拝に溺れず、威厳を保ちつつ台湾経済の奇蹟実現に尽力するとともに、国民に本土進攻の希望を与え続けた」。