政治は踊る2012

 「解散総選挙の先送り」を企図していたはずの野田首相が突然解散総選挙に踏み切った狙いを考えてみる。それは「第三極」の勢力が予想以上に強まってきたからである。決して自民党に脅威を感じたからではない。民主党自民党公明党が消費税増税で協調した時から、野田にとっての脅威は「民自公」の外にいる第三極となった。もし次期総選挙で自民党過半数を取ったとしても参議院過半数を持っていない自民党(と公明党)は民主党に頼らざるを得ないのであり、野田は首相の座を降りるとはいえ「民自公体制の立役者」としてそれなりの処遇に恵まれることは保証されているのである。後は負けるとわかっている選挙でいつ総選挙になればより自分に有利になるかを見計らって解散すればいいだけの話であった。しかし第三極が衆議院で一定数を確保するようなことになれば民自公体制は盤石にはなりえず、自分の立場も危うくなる。そのため彼らの準備が整わないうちに戦いに踏み切ったのである。
 その民自公と第三極の違いは「消費税増税にイエスかノーか」である。これほどわかりやすく、また国民に関心の高い争点は他にないが、民主党自民党も消費税を争点にしないためにやたらと政策を連発している。TPPや原発や金融緩和等について深入りすればするほど各党の主張は入り乱れ、何が何だかわからなくなるからである。しかしマスコミはいつものように消費税を争点にしたくない民自公の狙いに気付かず、むしろ「もっと幅広い範囲で政策論争」と言う。愚かの一言に尽きる。
 そもそも具体的な政策の中身や数値をもとに選挙を判断しようというのが間違いなのである。先月のアメリカ大統領選ではオバマ大統領が、4年前当選した時に約束した「アメリカ経済の立て直し」はお世辞にも達成されていないのに再選を果たした。それはアメリカ国民が政策を軽視したからではない。アメリカが今後目指すべき国家の在り方はロムニーが目指す国家よりもオバマの目指す国家の方がふさわしいと考えたからである。そのようにしてアメリカ国民の負託を受けたオバマは自らが目指す国家のためにこれから政策を打ち出していくのである。それが民主主義の機能であって、選挙において政策を細かく羅列することは意味がないどころか、百害あって一利なしである。わかりやすい争点が一つか二つあればよいのである。
 今回の選挙で問われているのは、「第三極」勢力が「第二極」になれるかどうかである。民主党自民党が激しく対立しているように見えるがそれは目くらましで、何度も言うが自民党衆議院過半数を得たとしても参議院過半数を満たさないのだから民主党と協力するしかなく、「民自公体制」が生きている今ならばそれができるのである。そのため激しく対立するように見せて国民の関心を「第三極」勢力からそらし、「第三極」勢力の議席数を少しでも減らして「民自公体制」を何とか維持するつもりなのである。議会制民主主義の国で大事なのはどうあがいても結局のところ「数」である。どんなに真っ当な政策であっても国民の要望が高い政策であっても過半数がなければ実現されないのであり、民主対自公対第三極では民主党と自公が手を結べばいいだけの話になる。しかし民自公対第三極であれば日本の政治は大きく変わる。そのため第三極内で政党が乱立してはならないのであり、小沢一郎率いる「国民の生活が第一」が「日本未来の党」に合流したのはそのためである。
 3年前の選挙において、「明治以来の官僚主導の体制」を変革し「真の国民主権」を目指すと約束して政権を得た民主党は官僚の誘惑に負けた。その象徴が「金がないなら増税せよ」という官僚の論理の最たる消費税増税であるが、一方で我々は「官僚支配の体制」がいかに強大であるかをまざまざと見せつけられた。この体制を変えるために必要なのは徳川幕府を倒した薩長同盟に匹敵する大連合である。大げさな話ではない。互いに殺し合いまでやった薩摩と長州が手を結ぶことで歴史は大きく変わった。「政策の違い」などという些細な事を言っていては歴史は変わらない。この選挙で政治家たちがどう動き、日本人たちが何を選択するか。政治は一時の休息もなく踊り続けているのである。