田中角栄と中曽根康弘 戦後保守が裁く安部政治/早野透・松田喬和[毎日新聞出版]

 さて日本政治、と言えば田中角栄である。これはもう、日本史と言えば織田信長豊臣秀吉徳川家康、或いは勝海舟西郷隆盛坂本龍馬の名前が浮かぶのと同じで、ある種の象徴となった。しかし田中角栄がやった「歴史的」出来事と言えば日中国交正常化ぐらいで、もちろんそれはそれで戦後日本、いや第二次世界大戦後の世界秩序の局面を変えた偉業ではあるが、今を生きる日本人及び日本人の生活に直接つながっているわけではない。むしろ中曽根康弘がやった三公社民営化こそ、21世紀の小泉純一郎(こちらもなかなかに「歴史的」な首相だが)につながり、今の日本の惨憺たる格差社会につながる、大変なものである。しかし人々は田中角栄を懐かしがり称賛し、ロッキード事件なる闇の事件の真相究明に注目する。田中角栄と同じ1918年5月に生まれ、首相を5年務め(田中は2年5か月しか務めていない)、大勲位として政界・マスコミ・その他インテリ関係者から敬われ、101歳の大往生を遂げた中曽根康弘の姿は年々薄くなる一方である。新潟の庶民の匂いを終生忘れず、謀略激しい政治の世界の中で毀誉褒貶を浴びて死んでいった刑事被告人・田中角栄には今でも「もし今、田中角栄がいたら」式の問いかけが成立するというのに。

 一体それはどうしてだろう、これはもはや政治論ではなく日本論、日本文化論も含めて考えていかなくてはならないわけだが、それはそれとして本書は番記者として田中角栄中曽根康弘の近くにいた(と本人達は思っている)二人の政治記者がその2人について語り尽くすというもので、ああうらやましい、田中角栄中曽根康弘という、戦後日本政治の巨星を間近で見れたのだ。しかも時代は1970年代、今のようなインターネットはなく、TV局も新聞社からの情報を下請けするだけという時代で、現在の激烈な記者クラブ批判、或いは「マスゴミ」批判もなく、新聞記者の身分はそれはそれは高かった。そして政治家は新聞記者を利用して自らに有利な情報を流さなければならなかった。そこで優秀な政治家であればあるほど、優秀な新聞記者であればあるほど両者の関係は濃密に、いわゆる「共犯」とさえ言えるものになる。もちろんその功罪もあるが(「それまでの政治報道は政局報道であり、僕らは政局記者だった」「政治家の家の台所まで入り込むとか、風呂に一緒に入り背中を流す事までするとか」)、二人の政治記者田中角栄中曽根康弘、或いは両者の下にはせ参じた子分達の肉声を活き活きと伝えている。失敗と挫折に揉まれながらも位人臣を極めた2人の生きざま、「闇将軍として君臨した田中と『大統領的首相』という特異な手法を使って長期政権を築いた中曽根」「総理になるまでが良かった田中、総理になってからが良かった中曽根」と、その切り口も面白い。もちろん俺は田中シンパだが、中曽根もすごい政治家だった事は間違いない。この二人の他に三木武夫福田赳夫大平正芳、がいて、それぞれの派閥にはまた個性豊かな政治家がたくさんいたのだ。そして戦後の日本はとびきり面白いものとなり、焼け跡から驚異の復活を遂げたのだ。いやあ、政治って本当にいいものですねえ。

    

早野 退陣への道筋が敷かれた、その先で待ち受けていたのが「文藝春秋」の報道だ。例の立花隆の「田中角栄研究」と、児玉隆也の「寂しき越山会の女王」。僕ら番記者角栄に話を聞かねばとまとわりついたんだが…。

松田 文春の「ぶ」の字を言っただけで「なにぃっ!」って一喝されたよ。その後、角サンは階段を二段跳びで駆け上がって、執務室に消えていった事を鮮明に覚えている。

 当時は社会部を経験したばかりの記者だったから、「文春」の記事の事は聞いておかなきゃいけないと思い込んでいたのに、自分で自分をみっともないなと思った。

早野 番記者も何回か食い下がったけど、「そんな事、知らん!」の一点張りでね。ところが、外国人記者クラブで締め上げられて。角サンも外人には弱かったのかなあ。

松田 あの時は、中心になって質問する幹事社が、当時共産圏のハンガリーだった。それで遠慮がないというか、いきなり「今、話題の総理大臣です」なんて言って、容赦なく「文春」の記事の事ばかり質問した。

      

松田 実は角栄も児玉(誉志夫)と付き合おうとしたが、佐藤栄作から「直接関わるのはやめろ」と言われたようだ。

早野 中曽根はロッキード事件をめぐって、国会で証人喚問を受けたよね。

松田 現職議員では初めてだった。社会党から児玉との関係を追及されているね。でも結局、「自分の手も魂も汚れていない」と全面否定、事件としても立件されなかった。

早野 何か中曽根って、「怪しい右」とか「怪しい闇」とつながっている印象があるけど、ロッキードにしろリクルートにしろ、尻尾を出さずにうまく乗り切ったね。姑息に逃げたというより、堂々と乗り切った感じがする。