日本政治の決算 角栄VS小泉/早野透[講談社:講談社現代新書]

日本政治の決算 (講談社現代新書)

日本政治の決算 (講談社現代新書)

  • 作者:早野 透
  • 発売日: 2003/12/21
  • メディア: 新書
 

  2003年。「自民党をぶっ壊す」と言いながら自民党総裁となった小泉は自民党政治、日本政治、いや日本そのものを変えつつあった。軽武装経済重点主義、政・官・業の癒着、年功序列、玉虫色、もたれあい、なあなあ、等、等、戦後の日本を支えてきたそれらがいまや限界を迎えている事を日本人は薄々わかっていた。しかし世界第二位の経済大国へと押し上げたそれら「日本人らしさ」を否定する事はできない。否定できないが限界を迎えている事はわかっている。どうする。このままではジリ貧である。そこにやってきた小泉純一郎と「構造改革」という言葉に日本人は熱狂した。日本を支えてきた「構造」そのものを改革する!それは限界が来ている今の日本の「構造」を改革し、鬱屈した思いを抱える我々を爽快にしてくれる良薬となるに違いない。拍手喝采はいつまでも続く。それが世界が羨む中流社会を崩壊させ、弱肉強食の格差社会へと繋がる事にほとんどの日本人は気付かなかった。いや、本当は気付ていたのかもしれない。しかしそれはそれだ、誰かが何とかしてくれるはずだ。

 話は2003年、いや更に10年前の1993年へと巻き戻る。この年の8月に自民党55年体制が崩壊し細川内閣が成立し、12月には田中角栄が死去した。角栄脳梗塞で倒れた1985年に既に「政治的には死んで」いたが、戦後日本の繁栄の象徴である角栄の「本当の死」は細川内閣成立と合わせて時代の転換を日本人に鮮やかに印象付けた。吉田・岸・池田が築き、田中角栄によって完成された戦後日本の見事な統治システム、それは「政治とは生活だ」。国民に三度の飯を保証し、外国との間に争いを起こさず、国民の邪魔になる小石を丹念に拾い、岩を砕いて道をあける。それだけでよい。箸の上げ下ろしには口出さない。だから道路が必要なら道路を作る。公共事業が必要なら公共事業をやる。補助金が必要なら補助金を出す。狭い国土にいかに均等に政治の恩恵を与えるか、である。しかしそれらは税金である。税金による利益誘導、それはどうなんだという声があちこちから膨れ上がるが、田中は意に介さない。「利益誘導はけしからんと言うが、東京の人間は冬に越後に来て屋根の雪下ろしをやってくれるのか。雪国の人間は死ねばいいんだと?馬鹿を言うな」「借金したって日本は大丈夫さ、日本人は働き者だから日本経済は永久に発展していくさ」。

 1993年、田中角栄によって完成された日本のシステムは田中が死んだ後も受け継がれていた。しかし海の向こうで冷戦が終了する。バブルが終わり日本経済は沈む。世界第二位の経済大国となった日本と日本人の間に「政治とは生活だ」の理想は徐々に薄れ、漫然と既得権益に政、官、業がしがみつくようになっていた。このままではいけない、自民党自体に緊張感がなくなってしまった、アメリカやイギリスのように二大政党制の中で政党に緊張をもたらさなければならないと立ち上がったのは田中角栄の弟子である小沢一郎である。1993年、同じく田中角栄の弟子達である羽田孜渡部恒三奥田敬和を引き連れて自民党を飛び出した小沢に日本新党を設立した細川護熙という幸運なカードが舞い込んだ。新党さきがけなどという青臭い連中もいたがやむを得ない、自民党が永遠に権力を握り続ける五十五年体制を壊すためだ。それに対抗したのも田中角栄の弟子達、梶山静六橋本龍太郎小渕恵三、そして竹下登である。自民党を壊すという激烈な手を使うのならこちらは細川・小沢連合から社会党を引きはがすのだ。政界は百鬼夜行、本物とお調子者が入り混じって熱を帯びる。

 田中角栄が完成させた安定的な昭和式日本システムに変わる平成式日本システムのため、田中角栄の弟子達が奔走する。力尽きた村山富市に変わって首相となった橋本龍太郎小渕恵三が悪戦苦闘する中で、小沢一郎も政党を作っては壊し、野党から与党へ、与党から野党へと悪戦苦闘する。しかし日本経済は「失われた十年」のフェーズに入り、いよいよ雲行きが怪しくなってきた。まだ平成式日本システムは完成されない。それはなぜか。昭和式日本システムを生んだ自民党的なもの、そして田中角栄的なものが日本全体に跋扈しているからだ。竹下登梶山静六小渕恵三といった弟子達が鬼籍に入り、角福戦争から幾歳月、2000年には森喜朗が、そして2001年には小泉純一郎が首相となる。「自民党をぶっ壊す」、それは「田中角栄による自民党的昭和式日本システム」を壊す事である。新時代が始まった。人々は熱狂的に小泉を支持した…。

 というわけでやはり田中角栄が絡むとどうしても口調が扇情的になってしまいますのでこのへんにしておきますが、政治とは「不安に満ち、試行錯誤を繰り返し、失敗を重ねながら、しかし体の中に未来を覚える」ものであり、「血が燃え血が逆流するようなドラマ」なのだ。だから政治は面白い。生涯興味が尽きる事はありません。