夢探偵/筒井康隆・編[光文社]

20220626

 まず「夢探偵」というタイトルがいい。夢はそういう、ミステリアスでエキゾチックなものなのだ。我々が夢の内容を探偵するのか、それとも夢自身が探偵となって我々を探ろうとしているのかはとにかく、人間は必ず夢を見るのだ。どんなに合理的で効率を重視する人間にだって夢は降りかかる。つまり人間とはミステリアスでエキゾチックな存在なのである。

 それにしても、俺も色々な夢を見てきた。39年も生きてきたのだから当然だが、あまりにも破天荒、あまりにも壮大、あまりにも意味不明な夢を見た時には起きた直後に書かずにいられないから書き残す事もあるが、字にするとどうも違う気がする。夢を見た時のあの恐ろしさ、悲しさは言語を超えた何かなのだ…と思っていたがそうではなかった。巻末の「夢の検閲官」によれば、夢は圧縮されて提供されるだけで、圧縮する前にははっきりとした意図がある。言わば自分から自分へのメッセージだが、夢は道徳家であるから、検閲されるのである。とは言え、変えられた夢の内容が別の種類の不道徳になってもそれはそれというのがまた面白い。人間とはそういう矛盾した存在であるからな。

 そんなわけで本書は夢にまつわる思い出話、単に夢の内容を記録したもの、夢に関するおとぎ話、といった片時も飽きる事のない良書で、編者の才能を考えれば当然であるが、せっかくなので俺がよく見る夢について分析してみよう。大体3か月~6か月に1回は見る夢(夢A)と1年に1回は見る夢(夢B)があって、夢Aは遅刻する夢であり、その時の俺は高校生か大学生である。これも細部は色々なパターンがあるが、この前見た夢だと俺は高校生でまだ実家に暮らしている。起きたら8時を過ぎていて、今から家を出て自転車に乗って駅から電車に乗って、向こうの駅に着いてそこからまた(無料駐輪場に置いてある)自転車に乗って行けば遅刻は確実である。しかしそこでの俺の反応は様々で、単に狼狽する事もあればタクシーに乗っていけばいいと軽く考える事もあれば、とりあえず高校に行くふりをして図書館や本屋で時間をつぶせばいいと考える事もある。或いは俺はもう社会人になっているのだから何で高校に行く必要があるのかと考える。そして目が覚めるのであって、目が覚めた後は「ああ、またあの夢か」と少しの疲れと少しの安堵を味わうのである。疲れは「遅刻した」事の後ろめたさによるもので、安堵は「もう高校に行く必要はない、なぜなら俺は社会人になっているのだからその気になれば体調不良とか言って好きに休む事ができるのだ」という開き直りである。この夢は俺が高校・大学と地味で何の輝きもない日々を送り世間一般の青春を送る事ができなかったという後悔と、それにもかかわらず今は社会人として一応は立派に暮らしてるし、しかも世間一般の輝く青春を送る事のできた奴よりも気楽に好き勝手に暮らしている(東京で独身一人暮らし)事の優越感が発現したものであろう。「タクシーで行けばいい」「図書館や本屋で時間をつぶせばいい」と考えているところが我ながら余裕たっぷりではないか。

 一方の夢Bだが、その時の俺はたぶん子供だろうがはっきりとはしない。いつものように実家の団地のエレベーターに乗り、俺は8階のボタンを押し、団地は14階建てであるが、そのエレベーターは14階より上に行くのである。その時も「あ、しまった」と思う時もあれば「あ、またか」と思う時もある。そして14階より上の屋上に出る事もあれば、何とかして14階か13階で降りて事なきを得る場合もある。この夢は子供の頃から長い事見続けていて、最初は14階より上に連れていかれると思うと怖くて仕方なかったが、大学生くらいからは怖いというよりは「面倒くさいな」「また厄介事か」としか思わないようになった。そして目が覚めるのである。これは数々の理不尽な、というより面倒くさい厄介な病気などに見舞われてきた自分を励ましているのか、或いはもっと面倒くさい厄介な病気がやってくる事を教えようとしているのかわからない。しかし1年に1回は必ず見るのだから、何かあるのだろう。

 しかし…起きている間はずっと考えているラブコメや政治・政局の事は夢には一切出てこないのだから不思議だ。俺の夢の検閲官はかなりしっかりした人間? のようだ。