日本ラブコメ大賞2021:Ⅱ ああ、なんという時代

第10位:反抗できない!いばらちゃん藤原あおい角川書店:角川コミックス・エース

 さてラブコメと近親相姦は相性がいい。ラブコメとは「美人でスタイルが良くて性格もいい女(=ヒロイン)」が「地味で平凡で何の取り柄もない男(=主人公=読者)」に好意を抱くというものであり、当然「なぜ美人でスタイルが良くて性格もいい女がこんな主人公に惚れるのか」という反発が生まれ、その反発をやわらげる或いは消すための理由として「主人公は美形だから」「主人公は金持ちだから」「主人公はスポーツマンだから」「主人公は正義感が強いから」「主人公は困っている人を見ると放ってほけないから」等が編み出される事が多々あるが、そのような薄っぺらい理由が出れば読者は主人公に感情移入できず、この日本ラブコメ大賞にノミネートできない。「主人公は地味で平凡で何の取り柄もない男」という前提を失わずに「地味で平凡で何の取り柄もない男」を確立しなければならないのであって、そのため一目惚れ、前世からの因縁、ゲテモノ食い、等の理由が使われるが、理由なしに、しかし「ヒロイン→主人公」である事を瞬時に読者に納得させるなら近親相姦が便利である。家族や親戚という特別な関係、幼い頃から喜怒哀楽を共にしたという実績があるのだから、その情愛がふとしたタイミングで恋愛感情に変換されてしまったと説明すればラブコメを批判している人でさえもしぶしぶ納得せざるを得ない。特に「妹→兄」はラブコメとしては最も容易であって、どんなにブサイクで勉強も運動神経もできない兄でも兄は兄、妹はその兄の下で守られる存在である。もちろん父も妹(娘)を守るが、父と妹(娘)では歳が離れすぎているし父には母がいるのであって、妹にとって兄こそが「自分を守ってくれる存在」且つ「一番身近な男の子」である。

 そのため妹とは理由なしに「お兄ちゃん大好き」と叫べる大変便利な存在であるが、本作の妹ヒロインは反抗期の中学生であり、「お兄ちゃん大好き」とはならない(むしろその逆である)、いわゆるツンデレ…というよりも「大好きなお兄ちゃんにもっと構ってほしい」が、年頃なので素直になれずに反抗する、しかし「お兄ちゃん大好き」が縦から横から漏れてしまい戸惑い動揺し、ところが鈍感な兄はそんな妹ヒロインに気付かず頓珍漢な対応となってしまうので妹はますます反抗し、「大好きなお兄ちゃんにもっと構ってほしい」が溢れ出て、しかし兄はよくわからずストーリーは明後日の方向へと迷走し、複雑なようで複雑でないがとりあえず面白いという独特の作品に仕上がっているのであった。

 ラブコメのヒロインは主人公への好意・愛を表明しなければならず、それは大胆であればあるほどよい。とは言え普通のヒロインがいきなりそのような行動に出る事は難しいが、妹ヒロインであれば生まれた時から兄(=主人公=読者)は自分を守ってくれたという歴史があり、また家族の絆という絶対のものがある。大胆であっても(時に周囲の迷惑となっても)説得感があろう。しかし本作の妹ヒロインはツンデレ的手法で兄への好意を間接的に表明しているため、順位としては10位となったが、自分の計画が失敗したときに八つ当たりする、意気消沈する様子が微笑ましく、また外見も子猫のようなお団子頭や首輪を思わせる巻き物?を常に首につけており、さながら小動物のような愛らしい存在感を存分に発揮している。その小動物妹ヒロインは一から十まで「お兄ちゃんお兄ちゃん」なのであり、立派な妹ラブコメである。

   

ツンデレ

「その漫画好きなら自分の部屋に持っていってもいいんだぞ?」

「は?おにぃのものは私のものなんだから、この部屋も私のものなの!」

ツンデレ

「友達にあげた方がいいんじゃないか?それペアのやつだろ?ふつうは友達とか恋人同士で持つものだろ」

「は?おにぃに恋人なんかできないんだから、私のいらないやつ持っとけばいいでしょ!おにぃなんかとお揃いでつけてあげるの私くらいなんだし!」

ツンデレ

「おにぃ、海連れてってば!保護者なしで海行くの駄目って学校で決まってるの!」

「俺じゃなくてもいいだろ?」

「はあ?おにぃくらいしか暇人いないんだもん!」

       

第9位:月曜日のたわわ/比村奇石[講談社ヤンマガKC]

 よほど特別な出会いやドラマチックな出会いがなければ、「地味で平凡で冴えない主人公(=読者)」を「美人でスタイルが良くて性格もいい女(=ヒロイン)」が好きになるはずがない、そもそもお前達は女から話しかけられる事さえないではないか。それは確かにそうだが、それは我々が生きるこの現実の世界の論理であって、フィクションの世界が「我々が生きるこの現実の世界の論理」にそっくりそのまま従わなければならないわけではない。ラブコメとはモテない男の願望、或いは性欲処理と同時に現実の世界からの解放でもある。我々が生きるこの現実は厳しく辛く悲しいものであり、だからこそフィクションがそれに従う必要はない。世界のラブコメ王は君達の味方である。

 というわけで本作は「たわわに実った胸を持つヒロイン」に好意を持たれる、それも特別な出会いではなく、朝の通勤電車内、職場、学校といった普通の出会いでありながらいつの間にかヒロインに好意を持たれるというまさに「現実の世界からの解放」的な素晴らしいラブコメであったが、いかんせんヒロインの「たわわ」な魅力を描く事に注力し過ぎて主人公が霞んでしまっているのが惜しい。またそれぞれのヒロイン(電車ヒロイン、後輩ヒロイン、前髪ヒロイン)の相手役の主人公がなぜか目の一部が描かれておらず、それによって没個性化され主人公と読者を一体化させる事ができている一方で存在化が希薄になっている。更にそれぞれの主人公は髪型や体形がわずかに違うだけでかなり似通っており、対するヒロインがそれぞれ「たわわ」な存在感を主張しているので、主人公の存在感がますます霞むのであった。

 もちろんラブコメの主人公は「地味で平凡で目立たない」でなければならないが、それと「存在感が薄い」は違う。それどころか主人公の存在感が薄ければ「主人公がいてもいなくてもよい」となり、「主人公がいなくてもいいよね」的な悪ノリが必ず顔を出すであろう。それは暗黒の90年代ラブコメへとつながる終わりの始まりであって、主人公が邪険にされているのに主人公は「トホホ…」と言うしかないという、ラブコメでも何でもないキチガイ沙汰となろう(つい最近までそんなものが横行していたのだ)。これには全力で反対しなければならないが、それはともかくラブコメとは「地味で平凡で目立たない」というハンデを持った主人公(=読者)が、それにもかかわらず主人公となり、「地味で平凡で目立たない」からストーリーを引っ張る事はできないが、ストーリーを引っ張る「美人でスタイルも良くて性格もいい」ヒロインの行動の先に主人公がいる事によって存在感を主張するものなのである。要はやり方次第であって、本作はストーリーこそ主人公がいなければ成立しない構造となっているが、その「たわわな胸」があくまでヒロインの魅力のために使用され、「主人公はこんなたわわな胸を持つヒロインに好かれている」として「たわわ」が使用されていないのであり、典型的な宝の持ち腐れであった。

 とは言え過ぎてしまった事は仕方ない、世界のラブコメ王は「主人公はこんなたわわな胸を持つヒロインに好かれている」という部分を評価するのであり、その結果が9位である。しかし惜しい。「そんなに閉めたかったら、どうぞ」「好きって言って!」「おんぶ、だっこも可」等、いいシーンもあるのだが。

   

第8位:たんぽぽさんの詩/西岸良平祥伝社:BISHO COMIC]

 ラブコメとは「モテない男の願望漫画」でありそれゆえ嘲笑の対象となってきたが、その歴史は古いのである…とは当たり前であって、「モテない男」は昔から数多く存在したのでありそんな彼らの鬱屈を受け止め吸収するフィクションが昔からあったのは道理であろう。また昔はそのようなフィクションが批判される事はなかった。なぜなら社会的弱者である「モテない男」を叩く事に何の意味もないからで、そのようにして古き良き昭和の時代のラブコメを発掘していく事が世界のラブコメ王たる俺の使命であり以下のような作品を発掘してきたので参考までに載せておこう。

・うちのヨメはん(2018・8位)

・まあ失礼ね(2015・4位)

・追伸 二人の手紙物語(2014・3位)

・劣等生クラブ(20122013・12位)

・いらっしゃい青春(2011・6位)

 さて本作の舞台は昭和57年であり、携帯電話もインターネットもPASMOもない時代であるが、一方で電話はある、TVもある、クーラーもある(但し高いので買えない)、で特に生活に不自由はなく、駆け出しのカメラマン(主人公)と駆け出しのイラストレーター(ヒロイン)の夫婦は仕事に精を出しつつも自らの家庭(5~6歳くらいの娘が一人)を支え、妻は「四畳半の生活も狭いけど幸せだった」が「4畳半2間に台所、庭もついている」となれば「こんなに広い家、使いきれるかしら」と幸せを噛みしめるのであり、そこには「貧乏だけどつつましかな幸せ」といったやせ我慢もなければ「仕事と家事・育児の両立」というような深刻な覚悟もない。昭和の登場人物達にはごく自然に「明日はどうなるかわからないが、とりあえず何とかなるだろう」という考えが身についており、令和の時代の我々が「どこまでコストを減らす事ができるか」「どうすれば家庭をおろそかにせずに会社に貢献できるか」と血眼になっている姿と対比して慄然としよう。

 また主人公・ヒロインは5~6歳くらいの娘が一人いるとは言え30歳前後であり、令和の時代の我々からすれば「ずいぶん早い時期に結婚したんだな」という感想を抱くが当時はその時間軸が普通だったのであり、だからこそ「仕事と家事・育児の両立」についても若さゆえのパワーで乗り切る事ができるのであった。これもまた昔の人の方が合理的であった証拠で、30~35歳で結婚したとすれば子供が5~6歳くらいになる頃には35~40歳になっており、会社では管理職として働きかなりの体力を消耗し、家に帰れば家事・育児で更に体力を消耗する…となれば人生を賭けた大事業に映り、結婚して家庭を持つなど敬遠されよう。また昭和時代には「見合い」、或いは「結婚するまでの腰掛け女性社員」というシステムがあり、適齢期になればさっさと結婚するという暗黙のルールがあった。対して令和時代では一部の恵まれた男女以外は結婚できないようになった。ああ、なんという時代。

 話がそれたがそれでも人生はいつの時代も山あり谷ありで、主人公夫妻のような幸せなカップルもいれば別れるカップルもあり、自分達と違って才能あるカメラマン・イラストレーター夫妻の方が見切りをつけて普通の人生を歩み(「女って駄目ねえ、家庭に入ると居心地がよくって」)、自分達と違って才能もあって人気もあるカメラマンとイラストレーターの結婚に嫉妬するのであるが、昭和の奥様ヒロインは「女性はおしとやかで小ぎれいで」「子供のしつけもちゃんとして」「若々しく、旦那様とはいつまでも恋人同士でいたい」と願うのであり、嫌な事があっても「フルーツパフェとみつ豆とケーキを食べたらおさまる」のであった。つまり昭和57年のモテない男達はこのような女性を求めていたのであり、令和3年の我々もまたこのようなヒロインを理想としよう。昭和から平成を経て令和となってもラブコメは不変、むしろ厳しさが増す時代の中でラブコメの重要性はますます高まるであろう。

   

第7位:ネガくんとポジちゃん/森田俊平ADOKAWA:ドラゴンコミックスエイジ

 ラブコメとはロマンチックでウィットに富んだ、上品なコメディか。答えはノーである。そもそも「美人でスタイルが良くて性格もいい女(=ヒロイン)」と「地味で平凡で何の取り柄もない男(=主人公=読者)」がぶつかり、その化学反応を楽しむものであるから、むしろ破天荒なものでありギャグ漫画に近いのである。とは言えギャグ漫画となれば好いた・惚れた・誘惑した・ヤった・妊娠したという色気的な部分だけを切り取るわけにはいかないため長続きせず、我が日本ラブコメ大賞でもその数は少ない(最近では「スポイラー甘利」(2020・7位)、「オニデレ」(2017・10位)、昔の作品だと「ストップ!ひばりくん!!」(2001・1位)等)。しかし本作はその数少ない「ギャグ漫画系ラブコメ」に連なる事ができる優れた作品である。

 ところで「美人でスタイルが良くて性格もいい女」は周りからチヤホヤされる。更に頼みもしないのに周りが助けてくれるから世の中は優しい人ばかりと勘違いし当然ポジティブになる。一方で「地味で平凡で何の取り柄もない男(=主人公=読者)」には誰も優しくしてくれないので当然ネガティブとなる。もちろん人生は短いのであるから無理にでもポジティブに生きた方がいいに決まっているが、しかし理由もなくポジティブであればそれはただの阿呆だ、しかしポジティブな方がいい、しかし容姿は平凡以下、頭脳も身体能力も平凡以下、気の利いた話術もなく運も度胸もない、そんな人間はネガティブになって身構えて生きていくべきである、しかし…というところでラブコメの出番であって、ポジティブな役割はヒロインが担い、そのヒロインの意中の人物たる主人公にスポットライトが当たる事で主人公(=読者)もポジティブの恩恵を受ける事ができよう。そこにギャグのスパイスが混ざれば効果はてきめん、ヒロインはなぜか主人公を好いているどころかすぐにでも付き合うし結婚できると思うくらいにポジティブなのであり(「主人公君と二人で日直だよ、これはもう付き合ってるって言っても過言じゃないね」「確実に結ばれるとわかっているので全く悩んではいません」)、底が抜けそうな破壊力であった。

 そのようにして「陰気の塊、ギングオブ根暗、クラス一キモいゴミ人間である」主人公はヒロインのポジティブさに影響され「今こうして話せるのだってたまたまクラスが同じだからなだけで、クラス替えしたら二度と喋る事もない、そうやってそのうち大人になるにつれ、ヒロインさんの記憶からも忘れ去られていく」という苦悩を突破するために一世一代の行動に出るのであり、しかしそこはギャグ漫画且つ「陰気の塊、ギングオブ根暗、クラス一キモいゴミ人間」であるからわずかな事しかできず(或いは何もできず)、ところがヒロインは阿呆寄りのポジティブ人間であるからますますネガティブ主人公を好きになり結果オーライ、ラブコメは使いようによって変幻自在に我々を常に楽しませてくれる、究極のポジティブなジャンルなのである。

    

「もうすぐ付き合えそうなんだ、秒読み!」

「って事は毎日のように電話したりとか」

「うーん、電話はした事ないなあ」

「毎日メールとかメッセージのやり取りしたりとか?」

「うーん、そういうのもした事ないなあ」

「学校でよく話すとか?」

「3日に一回話せばいい方かな、もうすぐ付き合えそうなんだー」

   

第6位:推しのアイドルが隣の部屋に引っ越してきた/脊髄引き抜きの刑一迅社:REX COMICS

 本作は今年、いや長い日本ラブコメ大賞の歴史の中でも評価がかなり難しい部類に入るが、俺は世界のラブコメ王であるから(しつこいな)見事に評価してみせよう…というわけでラブコメの主人公は「追うのではなく追われる」側でなければならない。「地味で平凡で冴えない主人公」が追う側になればそれはもう「地味で平凡で冴えない」にならないからで、また「追う」という事は追った結果つかまえた事によるリスクを背負わなければならない。「そっち(男)から告白してきて、それに応えてやったのだから、自分(女)の言う事には全て従うべきだ」という力関係が出来上がってしまうため、いい事は一つもない。ラブコメとは「男が女より優位に立つ」思想なのであり、そのための設定でありストーリーである。

 しかしながら本作の主人公は「苦しめられる」のであって、ヒロインは主人公をストーカー的、つまり犯罪的な周到さによって徐々に追い込み、追い込まれた主人公の姿を見る事によって快感を得るという、悪魔的というよりは変態的なヒロインであった。アイドル(但しTVに出るような売れっ子アイドルではない)の追っかけをしている主人公は、その追っかけの対象であるアイドルが隣の部屋に引っ越してきた事に戸惑い、お隣さん(=アイドル=ヒロイン)が気軽に話しかけてくる事に更に戸惑うのであるが、それはヒロインの罠であり、ヒロインは主人公が自分の追っかけであるという事を知ってその上で隣に住むメリットを活かして彼氏が家に入ったように見せかけてウブな主人公を混乱させ、下着泥棒の疑いをかけて主人公を慌てさせ、追っかけ仲間の女性ができたかと思えばそれはお隣さん(=アイドル=ヒロイン)の変装で忽然と姿を消して…という風に主人公を苦しめ、その一方で必要以上のスキンシップも図り(「困った時はお互い様ですから、私が倒れた時は助けて下さい」「部屋まで…腕…お借りしてもいいですか」「次の土曜日、私と映画、観に行きませんか?」「最後にもう一回、手つないでもいいですか?」)主人公を地獄から天国、地獄、天国…と翻弄し続け、それでもヒロインはそんな主人公を「かわいすぎて、好きになりすぎて、壊したくなる」とその狂気を維持し続けるのであった。まるでサスペンスホラーのような展開の連続であるが、絵柄がふんわりとして切れ味がなく、また「売れないアイドルとそのアイドルオタク」という関係性がどこか間の抜けた雰囲気となって深刻さが消え、結果としてラブコメとしても楽しめよう。

 いわゆるメンヘラやヤンデレの変型版であるヒロインは歪んだ愛情を主人公(=読者)にぶつけるのであり、その手法は不法侵入、盗撮、本人の知らない間にGPSを仕掛ける、等の本格的な犯罪行為であるが、ヒロイン(しかもアイドル)がそれほど主人公に夢中になっているという事実(「好きな男に看病されるって最高」「頭の中、私でいっぱいになるくらいに元気にしてあげるんだから」)がその犯罪行為を帳消しして「アイドルにそれほどの愛情を向けられている」事の魅力に転換し、読ませる作品に仕上がっている。3巻まで読んだが、一体この先どうなるのか皆目見当がつかない。本作はラブコメの基本原則である「モテない男の願望漫画」でもなければ、読者の性欲処理にもならないが、危険な魅力に溢れた実に面白いラブコメであった。

    

第5位:絶頂ラブ×ボイス/滝智次朗竹書房:BAMBOO COMICS COLORFUL SELECT]

 まずタイトルが悪い。本作は「地味で平凡で冴えない主人公」をヒロインが優しく包み救ってくれるハートフルな短編集であって、恥ずかしがらずにもっと内容に見合ったタイトルをつけたらどうだ。「君のボイスに夢中」とか「ハートフル・ラブ・ボイス」とか「君と僕のラブ&ボイス」とか。こっちの方が恥ずかしいか。

 ラブコメとは「地味で平凡で冴えない主人公」を「美人でスタイルが良くて性格もいい女」が好きになる、という都合のいいものであるが、「都合のいい」とは一から十まで女(ヒロイン)の指示に従っていればいい、或いは手の平で踊らされていればいいというものではない(それでは女尊男卑と変わらない)。男(=主人公=読者)側から積極的に行動してはいけないが、一方で主導権は男(=主人公=読者)側が握らなければならない。つまり女(ヒロイン)の方から、男(=主人公=読者)側が動くようアシストしつつ、「ヒロインがアシストしたから動けたのだ」と主人公に悟らせてはいけないのであり、その微妙なさじ加減が本作は非常にうまいのであった。

 またトレンディドラマによくあるような「男(=主人公=読者)はうっかり者で能天気、女(ヒロイン)はしっかり者」的な図式も使ってはならない。それによって女(ヒロイン)側が男(=主人公=読者)側を馬鹿にする空気がどうしても生まれてしまうからであり、根拠もなく自信満々なアホ男ならともかく(トレンディドラマの主人公は大体そうである)、そもそも男(=主人公=読者)側は「地味で平凡で冴えない」という劣等感を抱えているのだから、馬鹿にされてしまえば関係性は閉ざされ終了となろう。それらの懸念を制作側はわきまえた上でヒロインは優しく主人公を誘導し(「あの格好とかヘッドロックとか、私なりに誘ってたんだよね」「人に寄り添える優しさとかマメさもあるし」「私にとってはヒーローだよ」)、ようやく火がついた主人公はヒロインを組み敷くが、ヒロイン側は自分が誘導した事に気付く事なく(或いは意識せずに)主人公に抱かれた事及び主人公と恋人同士になれた事に幸せを享受するのであった。

 本作のような、大事件が起きるわけでもない「男と女の出会いの物語」においてはヒロインの描写が重要であり、

①男女関係のきっかけ・馴れ初めは女(=ヒロイン)側による積極的な行動で負担(但し、その行動はあくまで誘い水・呼び水程度の枠を出ない)

②それでも躊躇する主人公に対して、好意を最大限に表明する

③主人公がヒロインを抱く

④ ①・②によるアシストをヒロイン自身は意識しない

 をベースにして展開させなければならず、本作はこの①~④を愚直に守っており、それによってヒロインには主人公(=読者)を優しく包みこむ母性、床上手のような妖艶さ、好きな男を前にした若々しさが自然と発揮され、主人公(=読者)は素晴らしい女性を手に入れた事に安堵し、救われ、明日への希望を見出すのであった。本作は精神安定剤としてこれ以上ない名作である。これで明日も仕事その他を頑張れそうだ。

  

第4位:かわいい後輩に言わされたい/川村拓秋田書店:SHONEN CHAMPION COMICS

 さてラブコメとはヒロイン→主人公でなければならない。具体的に言えばヒロイン側から主人公(=読者)に「好きです、付き合って下さい」と告白しなければならない。なぜなら主人公とは読者の分身なのであり、読者の分身である主人公が女へ告白すれば主人公と読者は別の人間となるからである(女に告白するような男は分身ではない)。しかしながら男(=主人公)が女(=ヒロイン)に告白する場合と違い、女(=ヒロイン)から男(=主人公)に告白するのは難しい。「男から女に告白するのが当然」という風潮、常識、或いは女尊男卑的思考、等はまだ根強く残っており、これだけリスク管理が叫ばれ効率化が尊ばれているにも関わらず、「男から女に告白する」という、人生におけるかなり危険な冒険だけが当然のものとなっている事に大いに意を唱えたいところだが、とにかくそのような世間の風潮によって主人公もまたヒロインに告白するのであり、それでは日本ラブコメ大賞に名を並べる事はできない。しかし本作は「言わされる」事に主眼を置いている。だから問題ないのであった。

 最初こそ主人公は後輩ヒロインを前にして「好きな人がいるので告白しようと思う」と言うのであるが(とは言えその好きな人とは目の前にいる後輩ヒロインの事なので、言わば様子を探っているのであり、正式な告白ではない)、それ以後は事あるごとに後輩ヒロインから「これはかわいい私と放課後デートするチャンスですよ」「私はこう見えて先輩のことが大好きなので、もっとグイグイ来てもらっても全然大丈夫なんですよ」「私はこう見えてかなりちょろい性格なので、大好きな先輩に『かわいい』と言ってもらえるだけでますます好きになってしまうのです」という誘い水、呼び水を向けられ、それらによって何とか主人公は後輩ヒロインへ想いを口にする、或いはデートに誘ったり手を繋いだりしていわゆる彼氏らしくリードする事ができるのであり、後輩ヒロインは「主人公(=読者)に言ってほしい・行動を起こしてほしい」且つ「主人公(=読者)が言ってくれた・行動を起こしてくれた」事に喜び、更に要求し、主人公(=読者)も戸惑いながら喜びを隠す事ができず青春を堪能するのであった。

 ラブコメとは消極的(=読者)な主人公に代わってヒロイン側が積極的になる事である。そして本作のヒロインは主人公に数々の要求をするという十分に積極的なヒロインであるが、実際に行動を起こすのは主人公(=読者)なのでやはりいくらかは主人公側がリスクを背負う事になる(「キスはオトリ!本命は別れのハグなんです」)ので若干のマイナス面はあるが、一方で主人公(=読者)が行動を起こすという事で世間一般でいう「男らしい」男、或いは世間が要求する男の振る舞いを満たすことができているという満足感も得られよう。またヒロインが要求したからそうしたんだという言い逃れの余地も主人公(=読者)には残されているのであり、ラブコメの完成度も高い。もし最初の主人公からの告白シーンさえなければ1位になっていたほどであった。

「私の事お弁当を作ってくれる『自慢の彼女』だと、周りにも言ってくれていいですからね」

「私がベタベタしてきたら先輩だって嬉しいでしょう?」

「本当は先輩の事めちゃくちゃ大好きなのに、ついついクールにふるまっちゃう、だからこうして今、先輩が眠っているのをいい事に(起きてるけど…)、本音をささやいているのです」

「そういえば今日って付き合いはじめて三か月の記念日ですけど、当然先輩に期待してもいいんですよね」

「そういえば先輩って、私にキスしたいとか思わないんですか」

    

第3位:俺だけが入れる隠しダンジョン~こっそり鍛えて世界最強~/瀬戸メグル・樋野友行・竹花ノート講談社シリウスKC

 非常にバランスがいい作品である。ラブコメとは主人公が地味で平凡で何の取り柄もない少年or青年or中年であり、そのような主人公になぜか美人でスタイルがよくて性格もいいヒロイン(複数の場合もある)が寄ってくるものであるが、それだけでは奥行きがなく読者に飽きられてしまうので作品内で事件を起こさなければならず、また奇抜な設定を大々的に展開させなければならない。しかし事件、或いは奇抜は設定が優れたものであればあるほどラブコメ色は薄まってしまう。そのバランスが肝となるのであり、本作はある程度は奇抜な設定を用意しているがそれほど驚くようなものでもなく十分にラブコメを堪能する事ができ、しかし主人公の冒険譚へと注力する余裕もあり、読み物としてのバランスがいいのであった。

 本作はいわゆるファンタジーものであるが、いきなり「主人公は司書の仕事に就くはずだったが上位の貴族にその仕事を奪われる」ことから話が始まる。司書!これが素晴らしい。まさに主人公は地味、しかし悪い奴ではない、そして読者が一体化できる人物である事が即座に了解できるのであり、その後も、

①仕事を奪われた主人公は就職に有利な英雄学校の試験を受ける

②試験に受かるためにはレベルアップが必要

③偶然と幸運によって、主人公は「スキル(創作・付与・編集)」と呼ばれる魔法の術を手に入れる。これによってレベルアップが可能となる。

④しかしスキルを使うにはLPが必要であり、LPは使えばなくなるので補給が必要(LPがゼロになれば死ぬ)

⑤LPは幸福度によって変換される。つまり性欲、食欲、物欲、等を満たす事によってLPが貯金できる

 という複雑ではないが単純でもない設定で主人公はファンタジーの世界を生きるわけだが、下級貴族(準男爵…元平民が国に貢献した結果出世した身分で、いわゆる高貴な生まれではない)出身でエリート貴族からは疎まれている事を随所に強調する事で庶民性を強化し読者との一体感を深め、しかし幼馴染のヒロインがいる事で特別感を演出して(「あんた達恋人同士じゃないの?」「はい、まだ違います」)読者を安心させ、更に偶然と幸運によって得たスキルで類まれなる活躍をする事で幼馴染ヒロイン以外の女も夢中にさせ(たとえ主人公さんが私を見限ってもかまいません。その時は自分を磨いて貴方に相応しい女になるだけです)、それらラブコメ的なドタバタを展開させる一方で強力なモンスターや敵と戦いレベルアップに勤しみ、主人公(=読者)は一歩ずつ「世界最強」の冒険者への道を辿るのであった。

 剣と魔法の殺伐とした世界でありながら主人公には幼馴染ヒロインがセットされ、その幼馴染ヒロインが二次元のセオリーに則って「上級貴族出身で美人且つ聡明だが下級貴族出身の主人公にぞっこん」であるから主人公(=読者)は穏やかな気持ちをキープでき、また英雄学校とは別のいわゆるバイト先の受付嬢ヒロインもいつの間にやら主人公にぞっこんになりお決まりのヒロイン同士の痴話喧嘩もあり(「近寄らないで、あたしと主人公は死ぬまで一心同体なの」「邪魔しないで、主人公さんとは今、大事な局面を迎えているんです」)、更にオーソドックスなブラコンの妹もいい味を出して、読者はいい意味で生温い状態で作品世界を堪能できよう。そしてそれは特別な「スキル(創作・付与・編集)」なる魔法を手に入れた事に端を発するのであり、ファンタジー的手法とラブコメをミックスさせ成功した稀有な作品であった。

  

第2位:ふたりソロキャンプ/出端裕大講談社:イブニングKC

 ラブコメとは「地味で平凡で冴えない男」が主人公であればよい。まずはそのような人間を主人公にする事である。「地味で平凡で冴えない」からと言って臆する事はない。どんな平凡な人間であっても人生は多くの出会いと偶然のドラマがあるものだ。また何歳でもよい。ラブコメの主人公となるとどうしても10代後半~20代にしがちであるが、トレンディドラマではないのだから、30歳だろうが40歳だろうが気にせず「美人でスタイルが良くて性格もいいヒロイン」をぶつければいい…というわけで本作の主人公は34歳のおっさんであり、ソロキャンパーである。ソロキャンプを愛してやまない、いわゆるキャンプオタクと言ってもいい主人公は「独りが好きだ、街を離れ自然の中で自由を感じる、独りでいるという贅沢を咎める者は誰もいない」「楽しそうとか知らん、なるべく他に人がいるところは避ける」「俺は誰かと何かをやるってのが苦手なんだ」などと言う結構面倒臭いおっさん(「コミュ障だし、無愛想だし、口は悪いし髭はボーボーだし」)であり、読者にとっては親近感を持てるタイプであった。そしてそんな主人公(=読者)は運命のいたずらか神様の皮肉か、20歳のピチピチのヒロインにまとわりつかれ(「押し倒しといてそいはなかでしょ!」「あ、ありゃ、お前が袖を引っ張ってきたから…」「襲おうとしたって言いますよ!」)、当初は本気で嫌がっていた主人公(=読者)であるが(「人の都合もお構いなしにわがままが通ると思ってやがる、優しくしてもらう事に慣れきっているタイプ、俺の最も嫌悪するタイプの女」)、そこはオタクの性でキャンプの魅力に目覚めつつある人間を放っておく事はできない、また話してみれば素直にこんなおっさんの言う事を聞くようだ…としてついついこのヒロインに関わってしまい、ヒロインはヒロインで何となくおっさん(=主人公=読者)といても嫌じゃない上にキャンプがますます面白くなってきたので「あたしは主人公さんとふたりソロキャンプやりたいんです!」となり、めでたくおっさん&20歳ヒロインの組み合わせができるのであった。

 また主人公がヒロインを徐々に気にしてしまう描写が巧みで、34歳といういい歳のおっさんでありながら「自然を愛している、火を水を木を土を、それと同等に孤独である自分の生き方を愛している」などと自分の世界を作り悦に入っている面倒臭い人間である事を主人公自身も自覚しており、そんな自分が他人と関わりを持ったところで嫌われるだけだと「俺といてもつまんなかったろ」とわざと卑下するのであり、それでもヒロインは「あたしは主人公さんとふたりソロキャンプやりたいんです!」「あたしだってよくわかんないけど、主人公さんとがいいんです!主人公さんといるのつまんなくなんかないですから!」と主張し、主人公の中で徐々にヒロインの存在が大きくなるのであった。

 所詮人は独りが好きといっても他人と触れ合いたいのであり、しかし人にはそれぞれ性格や好みや流儀がある。「同じ焚き火は一度とてない」ように、男と女の出会いも千差万別、そのようにしておっさん&20歳ヒロインのコンビがどうなるか、ハラハラしながらページをめくるのが待ち遠しい一方で「テントの設営とは」「焚火のいろはとは」とドヤ顔しながら解説する主人公のオタクぶりを他人事ではないおかしさで楽しむ事もできよう。しかし34歳のおっさんに「ちゃんと名前で呼んでください!」「(名字で読んだら)あの…できれば名前の方で…」とリクエストする20歳の女というのはすごいな。俺も一生に一度でいいからそんなリクエストをされてみたいものだ。

    

第1位:帰ってください!阿久津さん/長岡太一ADOKAWA:角川コミックス・エース

 いわゆるギャルがヒロインである。俺が知っている昔(90年代後半)のギャルはヤンキー、且つ不良と不純異性交遊をする忌まわしい存在でしかなかったが、もはや「不良」は20世紀の遺物となり不純異性交遊云々はなくなり、とは言え世間知らずの女子高生であるから不良がいなくなったからと言って「地味で平凡で冴えない」同級生へと向かうわけではなくジャニーズ系などのアイドルに夢中になるのが普通だろうが、多様化が進んだ現代では「地味で平凡で冴えない主人公」に自ら進んで接触するようなギャル女子高生がいてもおかしくないのであって、いい時代になった、やはり長生きはするものだ…というわけでここ最近「ギャルとオタク(もしくは地味で平凡で冴えない男)」ラブコメは優れたものばかりなので改めて紹介しておこう。

・ブラック学校に勤めてしまった先生(2019・1位)

・やんちゃギャルの安城さん(2018・4位)

・ギャルごはん(2018・6位)

はじめてのギャル(2017・2位)

 そこで本作であるが、全く唐突に、ヒロイン(ややヤンキー風)が一人暮らしの主人公の家をたまり場にする事から物語が始まる。いきなり理由もなく「一人暮らしの主人公の家」に何の躊躇もなく上がり込むのであり、もちろんヤンキー風ギャルヒロインが主人公を好きだという事はなく単なるパシリ程度の認識であるが、一方でヒロインは必要以上に主人公にスキンシップを図り(「巨乳マニアのお前からみて私は巨乳なのか?」「ゲームとか漫画貸してくれるし、主人公は特別にパンツ見てもタダでいいぞ」)、主人公は戸惑い、意識し、調子に乗ったヒロインは更にからかい、飽きたら漫画を読みゲームに没頭し、お菓子を食べ、眠くなったら寝るというただそれだけの展開が続く…と思いきや次第にヒロインが主人公を意識し出すのであり、当初は主人公(=読者)が一方的にヒロインの一挙手一投足に右往左往していたはずがいつの間にか攻守交替でヒロインが主人公を何となく意識し(「私以外が主人公をパシリにするの、何かわからないけどむかつくんだよ」)、意識する事によって戸惑い、もちろん主人公(=読者)はずっと戸惑っているのだから二人はぎくしゃくし、しかしそこは単細胞なヤンキー風ギャルヒロインであるから必要以上に動き回った結果ドツボにはまり(「触んな、主人公は私のだ」)、ドツボにはまって焦る自分に更に焦る…を繰り返す中で「あたし、主人公(=読者)の事を好きになっちゃったのか」と自覚し、自覚すると同時に否定しようとして更に空回りをするのであるが、そのヒロインの自覚に至る過程が実に自然で、なるほど相性とこんなものなのだろうと妙に納得しよう。

 そしてヒロインは2次元の強みを活かして「めちゃくちゃ美人でかわいい」のであり、ただでさえ「めちゃくちゃ美人でかわいい」ヒロインが、主人公の一挙手一投足に恥じらい、期待し、喜び、嫉妬する事で更に魅力的になるのであり、そのようにヒロインを魅力的にさせているのは他ならぬ主人公(=読者)であるから、読者は独占欲を満たす事ができ、しかしヒロインの可憐さに癒され、独占欲と癒しによって生きる勇気が湧いてくるのであった。ラブコメとはこの辛く悲しく寂しい人生に立ち向かうためのものである事を本作によって再認識させられた。文句なしの一位である。今後しばらくは「ギャル」がラブコメの最重要キーワードとなりそうだ。

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20211218