大正時代の身の上相談/カタログハウス・編[筑摩書房:ちくま文庫]

 さて新聞にある「人生相談」、あれが昔からどうも理解できなかった。人生における様々な諸問題、即ち進学、就職、恋愛、結婚、離婚、子育て、病気、友人問題、親戚付き合い、その他、その人にとって大変重要な問題を、いくら高名な作家・評論家・その他その道で大を成した人とは言え見ず知らずの人に相談してちゃんと答えてくれるのだろうか。またどんな悩みであれそこには様々な経緯、或いは相談者の生い立ち・性格・現在置かれている立場・その他が複雑に絡み合っているはずであり、また相談の対象である人のこれまた経緯、生い立ち、性格、置かれている立場、その他、を考えた上で答えなければならないはずである。当事者や関係者一人一人からじっくりと話を聞いた上で答えるならまだしも、ただ手紙を読んだだけで何がわかるのか、それで「人生の諸問題の悩みを解決してさしあげます」とは何か。思い上がりも甚だしい…。

 しかしながら俺もだいぶ歳を取って世間というか人間というものが多少はわかってきた。「人の不幸は蜜の味」というのは誠に事実であって、人間という生き物は他人の幸せを妬み他人の不幸を願わずにはいられない。そのため「人の悩みを知りたい」という欲望がある。この場合、その人の悩みが解決するか否かはどうでもよく、どこかで誰かが自分と同じような悩みを抱いている、こんなつまらない事で悩んでいる、とんでもない災難や不幸に見舞われて悩んでいるという状態を知って安心したいのであり、その欲望に焦点を当てたのが新聞社だったのである。その回答で悩みが解決すれば、或いは参考になればラッキーであり、解決しなくてもどうでもよいのである。

 かくして新聞紙上で悩み相談は続くわけであるが、長く続けば続くほど、その時代の人々の常識や意識がわかり、それが現代と共通するものもあれば現代ではすっかり忘れ去られたものもあるという副次的な効果も出てきた。本書は大正時代の「読売新聞」上で実際に記載された「身の上相談」を収録したものであり、大正時代の常識・非常識がわかってかなり面白い(処女信仰や親との関わり)が、回答するのは名のある作家・評論家等ではなく一新聞記者達であるから、回答内容もまた当時の常識・非常識を踏まえた平均的なものであり、結果として大正時代の雰囲気を感じる事ができるのであった。

 そして今や令和の時代である。昭和の常識・非常識はおろか、平成の常識・非常識も崩れ去ろうとしているが、それでも時代を越えて人々は世間体を気にするのであり自分だけ不幸で周りの人は皆幸せそうに見えるのであり、「人の不幸」という蜜の味を吸い続けるのである。

    

Q:私は許婚のある者ですが、以前ある男子に接吻された事があります。(中略)その方から結婚を申し込まれましたが父母は許さず、その方は「あなたの身を汚したのだから、どうしても結婚してください」と申しておりました。

 はたして接吻は、古来、日本でいう意味で身を汚すも同様でしょうか。もしそうなら、こんな汚れた身をもって、純潔な許婚の夫と結婚する資格はないと思います。それゆえ、一生独身で送ろうと思いますが、いかがでしょうか。

    

A:あなたが、心から許して接吻されたのでない以上、けっして身を汚したとは言えません。その男があなたの身を汚したと言ったのは、あなたをもらいたい言いがかりに過ぎず、許婚の方に話して詫びるだけの価値もないと思います。(中略)どうぞ、その清い乙女心を一生失わないように願います。

    

Q:私の夫は、以前、子供が2人もいたのに、貞操の事で9年間暮らしていた妻を離別しました。その後妻に来たのが私です。

 私は当時、夫の心を知らなかったものですから、自分にも過去のある事を隠して継子をみるのが罪滅ぼしと思ってきたのです。そして今では、合わせて4人の子持ちです。

 ところがこの頃になって、夫は私の過去を知って大いに怒りました。

「俺は処女を知らなかった。男と生まれた生きがいもない。処女を妾として置くから、公然と承知せよ」と迫り、現に薄給の身も構わずに、そっちの方面に金をかけて家政を顧みません。(中略)どうかして、怒る夫に妾を置かせずにすませる工夫はありますまいか。

    

A:処女と信じて結婚した婦人が二人とも処女でなかったと知って憤ったというあなたの夫には、同情せずにはいられません。夫婦の関係上、これくらい苦い思いはないでしょう。夫は欺かれたとも、辱められたとも思うことでしょう。前にはそういう事情で離婚したとのことですが、今度は憤っただけで何らかの方法でその不平を紛らわそうとしているのは、いっそう同情に値します。(中略)あなたはこの上もっと身を責め、夫や子供を愛する事によって夫の許しを請わなければなりません。

 それが、この問題の解決のしかたです。

 夫が妾を持つのをやめさせる工夫はありません。夫は薄給だからなどと、あなたは目前の都合ばかりを主にして考えているようですが、夫の感情はもっと深刻なもので、あなたにはそれが汲み取れていないようです。あなたはもっと夫の心をお汲みなさい。それが問題です。

   

Q:私は24歳の青年で、26円の月給で郵便局の電信事務を取り扱っています。このほど家内をもらいましたが、田舎の事ですから少しの余裕はあります。が、どうも今の仕事に興味が持てません。思い切って辞め、新聞記者になろうと思います。生意気ですが、生活の保障は得られてもそれだけでは満足できないのです。一人の人間として、自分をより高く育てていきたいと思います。(中略)私の希望の方面にゆくよい手蔓はございませんか。不躾ながら記者様のご意見をお伺いします。

     

A:平記者にはやっと休憩する時間があるばかりで、勉強時間があるというのは見当違いです。日によると昼夜兼勤で寝るひまもありません。行く末はどうなることかという感慨は、何業でもたいてい同じです。要するに大磐石の上に座ったような気持ちで生きるのは、職業の別よりも、心持ちの別です。現在の位置で、苦心する事も必要だと思います。あなたの給料は標準から見れば安くはありません。その境遇で善用されることを。