漫画讀本 1968年2月号[文藝春秋]


 1968年つまり昭和43年と言えば遠い昔であるが、明治や大正ほどの昔というわけではない。生活様式や人々の意識の根幹のところは今の我々とほとんど変わらない。当時既にTVがあり、電話があり、車があり、通勤ラッシュがあり、電気カミソリがあり、ヌード写真があり、ホステスがおり、仕事や家庭に苦労が絶えないサラリーマンはいたのであって、今の時代と違うところと言えばインターネットがないこととキャリアウーマン(この言い方自体が古いか。「総合職の女」のことです)がいないことぐらいなのである。というか、インターネットも総合職の女もないそっちの方が楽しそうというか生きやすそうな気がしないでもないが、まあそれはともかく、いくら後世に「高度経済成長の時代」「日本が元気だった時代」「希望に満ちあふれていた時代」と言われようと昭和43年当時の大多数のサラリーマンや庶民は仕事や家庭や社会に不安を抱えながら毎日を過ごしていたのであり、一時の清涼剤を求めて本書を買っていったのである。その本書は平成29年の我々が読んでも十分楽しめるが、しかし49年も前の本であるから時々今の感覚ではわからないところも出てきて、その違和感が俺のような昭和コレクターにはたまらんわけでありまして、皆さんも一緒に楽しんで下さいませ。
  
<ホステスをモノにするには>
 しかし、「君はよく働く」と言ったのは、口説き文句としては及第かもしれません。マンモス・バーに勤めている女は、長野、新潟、静岡出身が多いので、働き者と言われて喜ぶ傾向があるんです。
 このあいだ、同じようなセリフを言って、うちの女をモノにした男がいましたな。
男「君は実用的だね」
女「それ、どういう意味?」
男「所帯持ちが良くて、しかも、連れて歩いても恥ずかしくない女ということさ」
 ざっと、こんな調子でしたなあ。
<私の東京街歩き>
 夜遊ぶ事の楽しさを教えたのが六本木族であるように、極端な言い方をすれば、「みゆき族」は複数によるセックスの面白さを世間に広め、「ゴーゴー族」は秘密クラブに出入りする事のスリルを教え、「フーテン族」は、遊びの極まりつくところ、薬と怠惰とセックスしかない事を、大人達に実演してみせる。
 だから東京の盛り場は、かつて吉原にしろ浅草にしろ、とにもかくにも大人が作り上げたのに、今では全て若者の開拓したものであり、そこに特有の薄っぺらさ、安手な感じがつきまとい、遊びのルール、しきたり、粋という印象が皆無である。
<新年の女の子――そのプレーポイント>
 三ナシ嬢(家族なし、ヒモなし、金なし)は皆若く、紡績の従業員や喫茶店の店員から最近転身してきた素人っぽい子が多いというのである。
「この子らかて、お正月には人並みに祝いたいのに一人ぽっちやから、人恋しの一念に燃えとる。そこを誘うと、こら誰でも参るわけや」
 だから何がなんでもナオンちゃんと遊ぼうという連中は、抜け目なくお正月のアルサロに繰り込んでくるのである。お客と話し合いがつくと、午後8時でも、午後9時でも、
「マネージャー、お願い、早引けさせて」
とホステス嬢が頼みに来る。
<サラリーマンのための被害者学
 企業というものの中では、恐らく社長一人を除いて、あとの社員は皆被害者だ。まあ重役になれば、利益に応じて何パーセントかの役員賞与をもらうから、いくらかいいとして、あとはお仕着せ、どれだけ会社が儲けても、もらう給料は決まっている。
 ガミガミ言われ、ただ働き同然の苦痛を強いられ、税金だけはごっそり取られる…。あなたがサラリーマンなら、現代における最もみじめな被害者は自分である、ということが身にしみてわかっているはずだ。
 その認識がだんだん強まってくると、サラリーマンは二つの形のどちらかで反応を示す。一つは利権あさり、もう一つは逃避である。
<そんなこっちゃ浮気はできん!>
 浮気をするためには、まず女房を完全に征服しとかねばならぬ。ご主人が夜遅く御帰宅になっても、起きていて、玄関に出迎えるくらいの躾は、ちゃんとつけておきなさい。先に一人で寝ているようなら、布団めくって、蹴飛ばしてやるくらいの根性が必要。胸を張って、男が強くなれば、女は逆にアンタを、頼もしく思い、絶対服従するモンだ。男の行動に対して、女に文句つけさせないような訓練をしておく事だ。仕事と交際で常に生活にムラがあるんだということも理解させる必要がある。アンタの行動を信用させるためには、グンと高姿勢の方がいいんだ。
<その他の記事より>
 どうも最近のサラリーマンの根性というのは面白くない。毎月25日の給料日、会社によっては10日と25日の2回払いのところもあるが、午後4時過ぎになるとデスク周辺が騒然となる。ハンコをついて給料袋を貰うせいではない。手形交換所が臨時に開設されるからである。言わずと知れた麻雀の手形交換である。
   
 ハイミスは、暇な時には何にもしていない。
 本を読むでなくスポーツをするでなし、趣味の方はいたって不調法、夏の海岸に出てもウクレレ一つ弾けず、冬の室内パーティでは、エレクトーンなんかどう触っていいのかもわからず、野暮な長いスカートをはいてうろたえる。
 お稽古ごとや花嫁修業も、既に内心あきらめたのか、一向に手を出さない。女も26歳を過ぎると、お稽古ごとに対する熱意はがたっと落ちるのだ。一人住んでいる部屋の掃除をマメにすればいい方で、あとは本当に何にもしていない。相手がいないからだ
 
 日本のムスメたちは、純潔は「道徳的に」守られるべきだとは考えておらん。「世間や家族の目」を恐れ、「妊娠の不安」に怯えるがゆえに、彼女達はやむを得ず処女であるのだ。本来、人間女性は男性よりもスケベイなので、外部から来る脅迫や不安を取り除いてやるか、不倫の理由を与えてやれば、モロイものである。たちまちにして、処女は淫婦となってしまう。
 
 人件費がますます高くなっていますが、サービスだけはきちんとしないと店は繁盛しません。だから機械に任せられるところには、できるだけ機械を使う工夫が大切です。
「いやあ、驚いたねえ、ドアを開けるとすぐに、美しい女性の声で『また、いらっしゃいましたね。さあ、どうぞ腰を下ろして下さいませ』と来たね。それから『どうぞ、ごゆっくり…あら、そんなに緊張なさらないで、まあ顔を赤くなさって』だ。まだ続くんだ。『いつもたくさんのおみやげを恐縮ですわ。あの…すぐ水をお出ししますわ。おや、もうお帰りですの。では明日もまた、食事のあとでどうぞ』ってんだからまいったねえ」
「何だい?どこの喫茶店だ?」
「いや、そうじゃない。テープレコーダー付きの便所なんだよ」