日本の特別地域 特別編集82 これでいいのか兵庫県/鈴木ユータ・編[マイクロマガジン社]

 「これでいいのか!」と言われたら「いいわけがない!」と答えるべきだが、しかし「これでいいのかって言われたって、その、ねえ」と答えてしまうような気がする。何せ兵庫県である。俺は兵庫県民である…と言う事のこの違和感と気恥ずかしさをわかってくれるだろうか。なぜなら兵庫県を出るまで「俺は兵庫県民!」と意識した事がなかったからで、就職して東京に出てきて、周りの人たちが「実家は茨城です」「故郷は秋田です」「生まれは徳島です」と言うので俺も「実家は兵庫県です」と言う事にしたが、ああ恥ずかしい、だって兵庫県に統一性なんてまるでないのだ。「兵庫県って言ったって、あんたのところ、バラバラじゃん」と詰め寄られたら何も言えない。その通り、兵庫県とは砂上の楼閣、実態はバラバラである。

 と言っている俺は播磨の人間である。ほらほら、「兵庫の人間である」と言うより「播磨の人間である」と言った方が違和感がないし、姫路や明石や加古川や赤穂の事を聞かれたら大抵の事は答えられる。「姫路?姫路城以外何もあらへんで」「明石?明石焼きはうまいけど、そんなめちゃくちゃうまいってわけちゃいまっせ。それより鯛ですよ」「加古川加古川っちゅう川があるだけや」「赤穂?あいつら年がら年中忠臣蔵や」とかね。

 ところが「神戸ってどう?」と言われると「いや俺は播磨の人間やから」と答えたい誘惑に駆られる。同じように「淡路島ってどう?」と言われても「いや俺は播磨の人間やから」。「尼崎ってどう?」「いや俺は播磨の人間やから」。「丹波ってどう?」「いや俺は播磨の人間やから」。「城崎温泉ってどう?」「いや俺は播磨の人間やから」…。兵庫県以外の人からすれば何だそれは、と呆れるだけだろうが、しょうがないのだ。むしろなぜ播磨の人間である俺に神戸や淡路島や尼崎や丹波や豊岡の事を聞くのだ、神戸の人間はとにかくオシャレで偉そうで、淡路島みたいな電車のないところに住む奴の気が知れない、尼崎はとにかく治安が悪くて危ない、丹波はあれ京都や何であれが兵庫県やねん、豊岡の城崎温泉なんか外人ばっかりやないか…である。

 だから俺は他の県も同じように、県内でいがみ合っていると思っていたんですね。例えば東京の23区の人は23区より外に住んでいる人を馬鹿にしているだろうと江東区に住んでいる会社の人に「やっぱりアレでしょ、23区が東京だ、それ以外は東京じゃねえって感じでしょ」と聞くと「いや別に」。同じように東村山市に住んでいる人に「やっぱりアレでしょ、23区の人間は俺達こそが東京だとか言って威張っているから腹立つでしょ」と聞いても「いや別に」。やっぱり東京はお上品なのかしらんと今度は北海道の旭川市に住んでいる人に「やっぱりアレでしょ、何で札幌市ばっかりチヤホヤされるんだって思うでしょ」と聞くも「いや別に」。宮城県仙台市に住んでいる人に「やっぱり仙台に住んでいる人以外は田舎者なんでしょ」と聞くも「いや別に」。栃木県の栃木市に住んでいる人に「やっぱりアレでしょ、何で栃木ってついてるのに宇都宮が県庁所在地なんだって思うでしょ」と聞くも「いや別に」…。皆が俺を奇異な目で見ている。そうか俺がおかしかったのか、普通は県内でいがみ合う事はないのだ。だって同じ県内だからね。札幌市と旭川市が喧嘩してどうする、宇都宮市栃木市が喧嘩してどうする、である。但し神奈川県だけは「横浜市ばかりがチヤホヤされている」と神奈川県小田原市出身の会社の後輩が言っていたが、それも何となく恥ずかしそうに言っていたから、播磨の人間が「何が神戸じゃ、あいつらええかっこしいなだけやないか」と言っているのを知ったらどう思うだろうか。

 というわけでそんなカオスでバラバラな兵庫県に未来はない?いや、そんなカオスだからこそ俺のようなカオスな人間が育ち、カオスの中のカオス、大都会・東京で今日も生き、このインターネット電子空間でブログやツイッターを連綿と続けていけるわけで、カオスでバラバラも悪くはない。大体、格差社会と成り下がった日本はもうどこもかしこもバラバラではないか。今にどの県も兵庫県のようにバラバラになり、いがみ合いが起こるであろう。兵庫県は日本の縮図である。但馬・丹波日本海の厳しい気候に苛まれ発達せず、播磨・淡路島・神戸・阪神は瀬戸内海の温暖な気候で工業地帯が発達した。しかし神戸は「神戸ブランド」によって特権意識と神戸ブランドの地位向上だけを目指した。それを横目に播磨・淡路島・阪神は神戸に反発と妥協を繰り返し、今に至るのである。

 ところが時代は地方分権を飛び越えて地方主権の時代となった。兵庫県は過去からの因縁、即ち「バラバラの5藩を一つの県に集約しただけ」という呪縛から逃れ、今こそ本当の意味で一つになる事ができるだろうか…と真面目に考えつつ本書を読んで苦笑して、兵庫県について思いを馳せるのも悪くはないでしょう。

 しかし赤穂が「ちょうどいい田舎」というのは違和感あるなあ…。兵庫県の人間(「播磨の人間」にあらず)ならわかりますよね?