14 バカヤロー会館

 さてそんなわけで、女というのは二次元でのみその存在を許されるのでありその二次元女でさえも自らにかしづかなければその存在を認めないという恐怖と狂気に支配された俺がやってきました。そしてそんな現在の俺の敵は涼宮ハルヒであります。あんな女はそれこそ凌辱してしまえいつも諸君がやっているように二人三人もっと多く多人数で。ん。あれっ。おかしいぞ純愛和姦の総本山たるこの俺が何を言っているのだ。荒れ狂う精神に軍靴の叫びはよく似合う。東京と故郷はあまりに遠く、社会人の壁は遥かに高く、最後の砦に行こう「脱走と追跡の読書遍歴」。
   
ああっ女神さまっ藤島康介講談社アフタヌーンKC]

 以前述べたように、俺にとってラブコメの元祖といえばまず「天地無用!」であり、その次に来るのが「ああっ女神さまっ」である。この2作品は俺がラブコメというめくるめく変態の世界に入り込むのをためらっていた時に優しく手をさしのべてくれた恩人であり、まさに本書によって人生が変わったと言っても過言ではないのである。それにこの2作品こそがラブコメの基本である「押しかけ女房」のパターンを確立し以後の漫画アニメゲームに多大な影響を与えたのだがにもかかわらずマイナー路線をひたすら忠実に守り続けておりその事も俺を喜ばせるのである。マイナー、それは心の棲家。
 約20年以上も続いている本作品のストーリーを改まって説明するのも変な話であるが、とりあえず何らかの手違いで平凡な青年の元に女神がやってくるのである。その青年と女神は微笑ましい静かな恋愛関係を育むのである。何とそれだけなのであるが、その話の展開たるや独特のスローさと穏やかさで読む者は批評する気力すら失ってしまうという奇書でもある(褒めてるんだぞ)。またヒロインへの徹底的に癒し系な描写も批評する気力をすっからかんに抜いてしまう要素であろう。ちなみに漫画版は割合おとなしめな恋愛描写であるがTVアニメではそのあたりを強めに描いており、俺としてはそちらの方が好みなのは言うまでもない。また俺がこの作品をきっかけに井上喜久子のファンになったというのは絶対に知られてはならない。
 本書の存在を知りはじめて購入したのは確か1998年である。何度も言うようにラブコメのみならず本を買うことは俺にとってライフワークなのであるから、今まで買った千冊以上の本の全てにおいてそれらがいつどこでどの値段で買われたかは俺の頭に刻み込まれている。更にその本を買った日、俺はどういう状況にありどんな精神状態にあったかもまるで昨日のように思い出せるのである。まあ何とも人に共感できないものに人生をかけているなあと思うが、たとえば本シリーズを買った日は以下の通りである。ちなみに買った順で並べる。
         
12巻:1998年5月10日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
13巻:1998年5月16日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
8巻:1998年7月10日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
7巻:1998年9月27日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
2巻:1999年1月24日 105円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
1巻:1999年2月4日 105円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
3巻:1999年2月5日 105円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
4巻:1999年2月6日 105円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
5巻:1999年2月13日 105円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
6巻:1999年2月28日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
9巻:1999年10月2日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
10巻:1999年12月5日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
11巻:1999年12月12日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
14巻:2000年1月30日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
15巻:2000年2月26日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
16巻:2000年3月18日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
17巻:2000年4月15日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
21巻:2000年7月17日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
22巻:2000年10月25日 315円(兵庫県糞田舎某大型古本屋B)
18巻:2000年12月9日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
19巻:2001年1月18日 262円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HN)
30巻:2005年3月27日 210円(兵庫県糞田舎某大型古本屋HH)
         
 これらの日付は諸君にとって何の感慨もないただの文字であろうが、俺にとってはこれらの日々のそれぞれの状況が鮮やかに思い出されるのである。しかし今気付いたが本作品は何と4年以上も買ってなかったのか。なるほど確かに俺が本作品にまさしく傾斜したのは高校生の頃(98年〜00年)であり、だからこそ本作品を思い出す度に高校時代の香りがするのか。特に1巻・3巻・4巻は3日連続で買っており、今でこそそんなことは珍しくないが当時からすれば俺の人生史上前代未聞の出来事であったのだ。その時の、ついにやってしまったという背徳感は甘美な過去の記憶として今も俺の頭に刻み込まれている。おおそうだそして本作品に熱狂的に夢中になっていた1999年2月といえば今も俺を苦しめている原因不明の発作がちょうど俺の身体にその兆候を見せ始めた時でもあるのだ。更に1ヶ月に1回の割合で定期的に本作品を買っている2000年前半といえば現在も続く俺のライフワーク(ラブコメ追求)をはっきりと意識し始めた頃ではないか。ああ、それにしても今放送しているアニメを俺が高校時代のあの頃にやってくれたらなあ。きっと狂喜したに違いなかろうに。この先もずっと本作品を追うであろうが、もうあの熱狂的な想いは俺の中から消えているのだ。なぜならあの頃から既に7年が過ぎているのだからな。それはそうと本作品をまだ読んだことのない人は、是非1巻と30巻を同時に読むことをお薦めします。理由はやったらわかります。
     
とねりこ荘奇譚/稲元おさむ朝日ソノラマソノラマ文庫

 うってかわって次はそれはもうマイナーマイナーどマイナーな作品である。しかしラブコメであればそんなことはどうでもよい。安アパートに下宿することになった主人公が、同じアパートに住むわけのわからぬ奴らにわけのわからぬ騒ぎに巻き込まれるという被害者型展開ものの典型作品である。主人公は例によって大家の娘といい感じになるのだが、この娘は実は超能力者なのである。後はまあそんなにひねったわけではない騒動が起こるだけである。それでも最近ほめられて天狗になっている糞ライトノベルより何倍もマシであって、本来ライトノベルというのは簡単に手軽に読めるラクな小説という意味ではなく屁理屈ばかりこねる純文学やそれ自身権威化して身動きが取れなくなり若者の支持を失ってしまったエンターテイメント系小説の代わりに用意された若い読者のためのものだったはずなのだ。それがいつの間にか「若い読者」のためではなく「オタク」のためのものになってしまったのだ。残念なことにそうなればラブコメの比率は減ってしまうのだ。えっ。結局言いたいことはそれか。とにかく本作品からはラブコメ史上の名言である「モテなくても…私がいるのに」が生まれている。
 本作品は2巻までしかなく、その2冊はいずれも青春の絶頂期である2003年に購入されている。当時の俺はラブコメならばさかりのついた獣のように片っ端から購入していたが、本作品のような誰も注目しないようなしかし俺にとっては大事なものを見つけた時の喜びは奇妙なほど胸に響いた。男ありき、この世に生を享けたならばやはり人とは違った自分だけの道を追求すべきだと確信したのもこの頃である。メジャーよりマイナー、流行よりも自らのものさし。ああ、この連綿と続く世界のなかで俺は一体何を残せるのだろうか。ただここに書いたことのみが残るのだろうか。それならそれでよし。人生よまだ終わってはならぬ。俺は書くのだ。