闇の流れ 矢野純也メモ/矢野純也[講談社:講談社+α文庫]

闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社+α文庫)

闇の流れ 矢野絢也メモ (講談社+α文庫)

 

 本書は五十五年体制下の政治の物語であるが、では五十五年体制下の政治とは何か。一つは自民党が常に政権を握り続け、自民党総裁内閣総理大臣自民党の紅白試合によって決定せられてきた事であり、もう一つは野党勢力社会党公明党民社党、等)は政権を取るつもりはなかったという事である。野党でありながら政権を取るつもりがないのであれば自己矛盾どころか存在理由自体が成立しないが、その通りそのような野党はいずれ消える運命にあったから五十五年体制が終わると同時に「政権を取るつもりがない野党」はなくなった(日本共産党を除く)。

 しかし五十五年体制が続く限り野党には存在理由があった。日本社会党民社党はそれぞれ総評や同盟といった労働組合の支持団体があり、官公庁組合員の給与アップや民間企業組合員の給与アップを政財界へ働き掛けるためにも国政に一定の存在感を保つ必要があった。また原則として保守であり右派である自民党が常に政権を握り続ける事の世論の反発を吸収するためにも左派や野党の存在理由はあった。

 ところが高度経済成長によって安定化し複雑化した日本は右の自民党、左の社会党共産党では飽き足らなくなっていく。まず社会党が左派と右派に分かれ、右派は民社党となった。そして次に公明党ができた。しかし公明党は左派や右派といったイデオロギーとは無縁であり、また労働組合等の各種団体とも無縁であった。創価学会という、戦後日本の新興宗教の一つが結成した政党であり、主に創価学会という支持基盤によって運営され、公明党という国政政党を通じて創価学会を盛り上げ、また公明党の存在感を国政で確固たるものにする事で創価学会自体も多神教の国・日本で確固たる地位を築き上げるのが目的であった。

 その創価学会会員のほとんどがいわゆる中流以下の一般庶民であるから、当然のごとく反自民、野党となって活動するわけだが、もともとが「存在感を国政で確固たるものにする」ための政党であるから、骨の髄まで反自民、野党ではない。また社会党共産党のように資本主義体制そのものを変える気はないのであり、公明党民社党はあくまで「中道」であるから状況が許せば自民党と手を組む、連立する事もないではない。民主主義は数が全てであり、政権を握り続ける自民党はもはや政権党である事そのものが存在理由となり、政権を手放すくらいなら部分的に中道政党と手を握る、社会党共産党とは無理だが中道政党となら…となれば虚々実々の政界百鬼夜行が始まる。庶民の味方として野党生活に耐えてはいるが所詮野党は野党であり、政治家ともなれば大臣や政務次官となって「官職」の栄光に預かりたい。しかしそれで足元を見られては天下の自民党の事だからどんな取引を持ちかけてくるかわからない。

 五十五年体制下の中選挙区時代の自民党は派閥の連合政党であり、前述のとおり野党は政権を取る気がないため次第に与野党対決は本音と建前、馴れ合いへと変化する。野党は選挙による政権奪取ではなく国会における条件闘争、或いは国会での派手なアピールによってしか自らの存在理由を確立できなくなり、国会での見せ場を作ろうと自民党に相談し、自民党はそれに応える代わりに法案審議を進めるよう取引するのである。「国対政治」と言われたそれはしかし自民党各派閥、各実力者の思惑に加え、社会党民社党公明党それぞれの思惑も交わった大変なものであり、公明党書記長(後に委員長)を務めた作者もまたその思惑の中で流され、時には自身及び公明党が国会審議の流れを作る事もあったが、ほとんどは時の政府・自民党の権力闘争によって翻弄される。当時は明らかではなかったその「闇の流れ」の判明は俺のような政局屋には垂涎の資料である。

 本書の読みどころは多々あるが、やはり前半の「二階堂擁立構想」が素晴らしい。1984年秋、中曽根総裁の再選を阻止するため鈴木派・福田派が編み出した作戦は自民党副総裁であり田中派会長でもある二階堂進の立候補であり、しかし田中派は中曽根再選の方針である。そのため鈴木派会長・鈴木善幸が考えた戦略は公明党民社党を抱き込む事であった。これにより中曽根派が反対したとしても公明党民社党の数によって首班指名は可能であり、この事実を前にして田中派に二階堂擁立を承諾させるというもので、いよいよ自民党が中道政党を政略に使おうとしたのであり、これに野党暮らしの悲哀、またいつまでも意固地に時代遅れの現実を認めない社会党との付き合いに疲れた公明党の竹入委員長・矢野書記長(作者)、民社党の佐々木委員長が乗り気になる。しかしいきなり自民党と手を組むとなれば公明党にしろ民社党にしろ党内は大混乱となる事は確実で、反対論によって自身の地位さえ危うくなるだろう。この危険な賭けに乗るべきかやめるべきか。苦悩の末に一発勝負に出る事にした作者達だが自民党内もまた大混乱となる。しかし自分達は自民党ではないので待つしかない。実直で人間的にも信頼できる二階堂を信用したとしても自民党内は鈴木、福田赳夫、そして田中角栄の長老支配に対抗してニューリーダー・安竹宮(安部晋太郎、竹下登宮沢喜一)へと動き出しているのであり、また最大派閥・田中派でも竹下・金丸信が派の実権を握ろうと暗闘のさなかにある。

 結局は「野党に自民党を売ってまで中曽根総裁を下ろす事は認められない」という田中角栄の判断、そして総務会長・金丸信の粘りによって乱は抑えられた。公明党は竹入も作者も表面上は無傷にやり過ごす事ができたが民社党は佐々木委員長が辞任する。自民党の権力闘争の恐ろしさを身にしみた作者だったが、時を置かずして竹下・金丸による創政会発足が勃発し、また「死んだふり解散」に振り回され、委員長に就任した後も消費税が待ち受ける。それぞれの局面、即ち政局で、野党として或いは公明党としての存在感の発揮に考えを巡らせ、国会審議においては複雑なバックボーンを抱える社会党民社党との連携に苦悩し、また個性溢れる自民党各実力者との交渉の当事者となり一瞬も気の休まる暇はないが、このような戦いの連続の中に政治の姿、政治を動かす政治家たちのドラマがある。だから政治は面白い。

  

 (1984年12月3日)夜、田中元総理より突然電話。「よー」の第一声に、矢野、吃驚する。

田中「もう顔の病気はいいんか。まだか。駄目だな。まあ、いい。竹入君と相談しているが、二階堂は今は無理だよ」

矢野「はあ。失礼ですが、あなたは当分、自分より年齢の若い人や、自分の派からは総理を出さない考えでしょう」

田中「なぜだ」

矢野「まさかですが、あなたの将来の総理の布石だという人もいます」

田中「馬鹿言うんじゃない、馬鹿、馬鹿」

矢野「馬鹿ですよ、どうせ。若輩が失礼だが、いずれ、やはり二階堂という私らの判断が正しいって先生も言うんじゃないかな。竹下さんだって、いくら子飼いでも世代交代だってね。やっぱり、あるんです。いつまでもは無理です」

田中「馬鹿な。そんな事はわかってる。俺もな、ここまで来てケチな事は考えてないぞ。が、それは駄目だね。政治には自然な流れがある。今の日本の政治には中曽根君がいいんだ。二階堂が福田赳夫三木武夫と組んでやっていけるか。馬鹿言えだ。二階堂がやるなら、いずれ木曜クラブが押し出す。竹下の時代も来る。が、まだ早い。『一に二階堂、二に後藤田、三に竹下』だ。人材はたくさんいる」

矢野「竹入はあんたの本当の親友ですよ。私はその下請けです。だから一体です。十月の二階堂潰しはご都合もあったんでしょうが、二階堂さんはあなたに忠実な人ですよ。冷たいよ。酷すぎましたよ」

田中「冷たい?うーん、そうか、それはそうだ。悪かった。だが仕方なかった」

矢野「それだけ聞けば、私はいいんです。ご無礼しました。あなたにも昔、お世話になった。だから、あんたをこれ以上困らせたくない。二階堂さんもご迷惑でしょう。竹入と自重するよう話し合います」

田中「いや、そこまでしなくてもいい」