自民党分断工作が始まる

 細川元首相が都知事選挙に出馬した事を「殿、ご乱心」「晩節を汚す」と報じているのを見て、やはりマスコミというのは過去の事を振り返らない・物事を単純に(表面的に)しか見ないのだと再認識させられた。20年前、非自民連立政権の首相だった細川は突如辞任し、緊急避難的に跡を継いだ羽田首相も態勢を整える事ができず2ヶ月で辞任した後、自民党は長年の敵であった社会党と手を組むというウルトラCを編み出して政権に復帰した。自民党・官僚・財界が主導し社会党他の万年野党が補完して政治を行う「55年体制」に代わる新体制を構築する試みは失敗に終わり、連立政権を実質的に取り仕切っていた小沢一郎新生党代表幹事は「もう1年頑張れば自民党を粉々にできたのに」と悔しがったが、生き延びたそれからの自民党は官僚やアメリカにひたすら依存する事で延命を図り、日本はバブル後の「失われた20年」を歩む事となった。そして小沢を排除した後の民主党政権は実質的には自民党政権と何ら変わらず、「3・11」の大災害を前にして何もできなかった。
 つまり55年体制を完全に倒す事ができなかった20年前の辞任の方が細川にとって「殿、ご乱心」「晩節を汚す」だったのである。辞任の理由は政策の失敗ではなく個人的な金銭スキャンダルであり、スキャンダルに群がる日本のマスコミの問題はともかくもし辞めずにあと1年耐えれば日本の政治体制を代える偉業を成し遂げる事ができたはずであった。細川にはこのままでは死んでも死に切れないという思いがあったに違いない。
 一方の小泉元首相であるが、まず「3・11」でこれまでの原発政策への考えを変えたと言う政治家として当然の反応を「過去に原発について発言してきたわけではないのに無責任だ」と非難する方がおかしいのである。政治家のやるべき事は「国家と国民を守る事」であり、国家と国民に大損害をもたらす危険があればそれを除去する事である。そのためならばそれまでの考え方を180度変えることも躊躇してはならない。「3・11」で明らかになった事は大災害があったとしても情報を隠蔽し一握りの人間だけで物事を処理しようとする官僚と、その官僚やアメリカや既得権益にすがろうとする勢力が政治家にも財界にもマスコミにも大勢いるという事であった。しかしその現状を打ち破るのは並大抵の事ではない。そのために元首相のタッグという並大抵でない組み合わせが都知事選挙において誕生したのである。本気で体制を変えようとすればそれぐらいのインパクトが必要なのである。
 思えば20年前の自民党下野の時もそうだった。自民党を永遠に支配すると思われた最大派閥・竹下派(旧田中派)は分裂し、派閥の中枢を担いいずれは首相になると思われた小沢は自民党を離党し自民党と対決する道を選んだ。それは当時の常識からすればありえない、並大抵ではない選択であった。今の最大派閥は小泉や安倍首相を生んだ町村派(旧福田派)であり、その礎を築いた小泉が安倍に戦いを挑んでいる。これも並大抵の事ではない。その小泉の目的は都知事選で細川を勝利させる事ではなく自民党に動揺をもたらす事である。脱原発を提唱する小泉・細川によって「誰が東京オリンピックを率いるのにふさわしいか」という争点は吹き飛び、原発問題がクローズアップされた。「東京オリンピック」「アベノミクス」に反対する自民党の人間はいないが、「原発」はそうではない。この都知事選挙自民党分断工作の第一陣なのである。4月になれば消費税が増税され、「アベノミクス」によって広がった富裕層とそれ以外の層による格差は更に広がる事になろう。その時にまた自民党分断工作が始まるのである。
 かつて小泉は国民の反対が根強かった郵政民営化について「状況とムードはクルッと変わる。徳川末期、開国論は異端だった。それが維新後は開国派に切り替わった。戦争中は鬼畜米英だったが手の平を返すように戦後は親米となった」として郵政選挙で勝利した「政局大好き人間」である。政局を制する者が政治を制するのである。