下戸列伝/鈴木眞哉[集英社:集英社文庫]

下戸列伝 (集英社文庫)

下戸列伝 (集英社文庫)

  • 作者:鈴木 眞哉
  • 発売日: 2000/06/20
  • メディア: 文庫
 

 この世に酒というものがある限り、トラブルは尽きる事がない。酒を飲み酒に酔う事で人々は泣き、喚き、怒り、憎しみを他人にぶつけ、ぶつけられた他人もまたやり返す。ああ、なぜ人類は酒などというものを発明したのだろう。アダムとイブが楽園を追放され、その悲しみをほんの一瞬忘れるためだけに作ったのだろうか。

 それはそれとして人類の中には下戸という者が存在する。酒を飲む事によって体内に入ったアルコールの大半は肝臓の働きによってアセトアルデヒドに変えられ、これが顔を赤くする、心臓をドキドキさせる、頭痛を起こす元凶となるが、このアセトアルデヒドを無害化するのがALDH(アセトアルデヒド脱水素酵素)という成分である。ALDHはまたALDH1、ALDH2に分けられるが、このうちALDH2が体内で活性化すればするほど人は酔わない。そして体内でALDH2が、

①すぐに活性化するか

②徐々に活性化するか

③そもそも活性化しない(不活性型である)

 かどうかはその人が持って生まれた体質によるのであり、訓練すれば「①から②に進化する」「③から②に昇格する」となるわけではない。そして狭義の下戸とは③体質の人を言うが、②も場合によっては下戸と言われる。その①、②、③の割合は本書によれば①が57%、②が39%、③が4%という事であり(小数点以下四捨五入、端数は①へ)、③は圧倒時な少数派であるが、なに昔から偉人というのは少数派、奇人変人の類いと相場が決まっている。何を隠そう俺も③であって、しかしそのおかげで①や②の人達が酒に酔って本性を見せ本音を漏らす場面に遭遇して、サラリーマン生活に大いに役立たせる事ができた。ぬわははは、下戸には下戸の生き方があるのだ、そのようして歴史上の下戸な偉人、奇人、変人達もまた生きてきたのであり、それらを知る事で明日も酔っ払い達を観察する事にしよう(コロナが落ち着いたらね)。

    

江藤新平

 酒席や宴席に出る事を好まず、酒が飲めなかったわけではないが、酒席で長尻するものを極度に嫌っていた。彼は、短い人生で馬鹿な奴を相手にする事ほど無駄な事はないと常々言っていたという。

頭山満

 日頃から「酒と煙草と茶は嫌いじゃ」と言って、全く飲もうとしなかった。体質的に飲めなかったわけではないが、「好かん事はせんじゃった」と簡潔に答えている。また自ら「俺は飲まんでも酔うとる」とも言ったという。

菊池寛

 酒は全く飲まなかった、というより飲めなかった。しかしながら昭和10年の人物評によると一日の生活費に50円(当時、高級官僚の初任給が月75円)をかけていた。使い方としては、例えば銀座のサロンで本人は一杯80銭のレモンスカッシュかオレンジジュースをすすり、取り巻き達には1本3円くらいのビールを振るまい、番についた女給さんに2円、寄ってくる女給さん達には1円ずつ、合計30円くらいを黙って与える。と言っても誰かれかまわずではなく、綺麗な女性でも気にくわない者にはあっちへ行っとれと怒鳴ったりしたという。

東条英機

 夫人によれば、酒はほとんど駄目で、よくよく疲れた時などに「酔心」の一合瓶に印をつけて、あらかじめ目算したわずかな量を飲んでいた程度だという。その代わり、煙草はいつも手放した事がなかったし、コーヒーも一日たりとも欠かす事ができなかった。食べるものにはこれという好き嫌いがなかったが、スクランブルエッグにだけは目がなく、これを見ると、いつも幸せそうな顔をしていたという。

●宮崎繫三郎

 体質的に全く飲めなかった。それでも宴会ではサイダーを飲みながらニコニコと付き合っていた。

●淀川長春

 映画好きが高じて映画雑誌の編集長や映画会社の宣伝マンとなり、他人から見れば好きな映画で仕事ができて幸せそうに見えたものだが、全く酒が飲めないので苦労が多かったと本人は言っていた。一滴どころか匂いをかいだだけで駄目になるという筋金入りの下戸だが、映画関係の仕事は酒の席が多く、そのたびに酒を飲めと言われ、飲めないとは言えず四苦八苦した。そっとハンカチの中に吐いてもハンカチがびしょびしょになってしまうし、金魚鉢に吐いて金魚に迷惑をかけた事もあった。それが嫌で今日こそは会社を辞めようと思うも、ちょうど素晴らしい映画が入ってくる、この映画だけは捨てられないから、その仕事を片付けてから辞めようという繰り返しだったという。