サラリーマンよ殺意を砕け

 だからこそ日に日に感じてしまうのは「もう俺は大学生ではないんだな」ということであり、行く手には巨大な経済時計の歯車が俺を挟み込もうと待ちかまえているということである。責任、結果、利益、効率といった諸命題が重圧となって俺の肩にのしかかり、それに抗うこと自体が無意味なのではないかと、いやそれは前々からわかっていたのだが幾分切実と切迫感を持って感じてしまうのである。
 入社2ヶ月のくせにそんな大層なことばかり考えているから胃腸炎なんかになるのだ。だが俺をめぐる状況は仕事はともかく私生活では順調である。もちろんあの兵庫県の糞田舎の懐かしき故郷の俺の部屋も本だらけであったが、今は東京一人暮らし1LDK家(俺、世帯主)の四方八方を本で囲むようなインテリア(デザイン?)の家に住んでいるのである。つまり家に帰れば、静かな夜のなかでラブコメや政治やその他の本を誰にも邪魔されずに読むことができるのである。当然エロ本だって隠す必要もなくおおっぴらに本棚に並べることができるのだ。これがまた楽しいのなんの。本棚にズラリと並んだこの「ふたりエッチ」1巻から27巻の壮観さに圧巻。え。28巻ってもう出たのかい。
 給料を貰っている以上会社の役に立たなければならぬ。だが入社して2ヶ月の新人に対して「君たちは会社の役に立っていないのに金をもらっているのだ」と言う奴がおるのである。それはまあ2ヶ月目の新人だからその通りだ、と開きなおればいいのだが生憎俺は本気でそう思い落ち込んでしまいこのまま会社にいても向こう一年間は給料泥棒としての生活を余儀なくされるとも思いかくなる上はどうかクビにして下さい、と死を覚悟して上司に言ったのである。そうすると向こうは「新人がわからないことに臆する必要はない」「どんどんハメを外し、我々を困らせてこそ新人だ」「我々にも新入社員の時代があった。その時は我々だって何もわからなかった」などと言ったのである。大変気を遣っていただき申し訳ないことをした、などとまた考えてしまうから胃腸炎になるのである。ええいどうなっとるのだ。学生気分でいてもいいということか。大馬鹿者。え。誰が。
 おお、今回はまたなんという支離滅裂さだ。俺は何が言いたいのだ。ああそうだ社内での派閥対立についてだ。どこの企業にもあろうが、やはり実力主義ではない裏の取引による「出世と左遷」と言うものがあり、俺の会社で先日行われた人事異動でその一端を垣間見ることになったのである。
 簡単に言えば、今流行の「外部からの改革者」をめぐっての反発と困惑の度合である。2年前からじわじわと外部の圧力がかかり実際に外部の人間が役員や取締役になったりして社内では反発を買っていたのだが、今回の、火曜日に「金曜日にこの人事案をプレス発表します」という突然の人事異動は飛びぬけて社内の反発を買った。何せ社長と専務(ナンバー1とナンバー2)が外部の人間となり、役員は株主が占め、支店長・工場長・本店部長クラスまで大幅にローテされてしまったのである。そんな大事なことが社内の人間にはほとんど何も知らされず、そうなると夜の飲み会では「あいつは専務に嫌われてたから飛ばされたんだ」とか「あいつに海外勤務なんてできるわけない。完全な嫌がらせだ」とか「あそこに行ったらもう東京に帰ってこれんぞ」とか「子会社の社長なんてのは出世じゃない。リストラだ」とか「あいつは人を蹴落として失敗を人のせいにし続けてあそこまで登りつめたえげつない奴だ」とか「数字ばかりで現場のことを何ひとつ知らない奴が偉そうにしやがって」とか「経理の人間が営業に行かされるなんて辞めなさいと言ってるようなものだ」等・等、俺みたいな下っ端が見ているぶんには面白いかもしれんが今最前線に立っている会社の人たちにとってはたまらぬだろうことが議論されているのである。やれ今の実権を握っているのは専務だ、あいつは現場思いだから部長から煙たがられているだ、あいつは総務部長に嫌われたから営業に飛ばされたんだと先輩上司から聞かされるたびに思うのは日本人の派閥好きであり、実力主義から遠くはなれた日本型組織システムである。もちろんそれを改革する真っ最中であるのが今という時代なのであるが、これではまるでどこかの企業小説だ。過去の栄光に甘んじる奴がいる。3年前に何やらものすごく黒い事件があったらしい。そしてその事件に関してかなり灰色な奴が今、上のポストにいるらしい。更に色々とどす黒い霧が。ああ。これが会社というものか。やはりあるのだゴマスリ出世。
 それにしても、「内向的で人見知りで小心者で世間知らずの」(「星はいつでも屋根の上」)この俺が、どうしてまた営業なんぞに駆り出されたのだろう。どう見ても総務、経理、人事の人間ではないか。一体どう見れば会社の花形として華々しく活躍する人間に映るのだ。だがサラリーマンの一寸先は闇であり、いつ総務や経理の人間が営業に行かされるかわからんのである。ざまあみやがれあの野郎め。総務部総務課で楽しいかもしれんがいつ営業部に飛ばされるかわからんのだぞ。その時こそ俺の苦しみを知りやがれ。けけけけけけけけけけけ。あ。これは不健康な笑い方だ。自戒せねば。で、「どうして俺が営業なんですか」の問いに対し、彼らは「君が営業に向いているか向いていないか、とりあえず実際に仕事をやってみて、3年ぐらい経ったら結論を出しなさい。それぐらいの時間を経てやっと自分の向き・不向きがわかるのだ。それがサラリーマンだ」と答えた。
 ああ、またしても時間がない。自戒は、ではなく次回は、「俺はなぜ彼女が欲しくないか、もとへ、結婚したくないか」をお送りします。