オヤジの知恵/早坂茂三[集英社:集英社文庫]

オヤジの知恵 (集英社文庫)

オヤジの知恵 (集英社文庫)

 むしろそう思ったものだから、今日のように18時退社・19時帰宅・19時半夕食・読書・うたた寝・風呂・ブログ更新という生活をするのが長年の夢であったのだ。まさに仕事にプライベートに充実した「できる大人」みたいではないか。やっぱりね、仕事はスパッと切り上げないと駄目ですよ。周りみんな残ってるし帰ろうと思えば帰れるけどとりあえずこれやっとくか、なんていう妥協一辺倒な業務姿勢ではいかんのです。などと言いながら近々我が職場に爆弾が落とされそうな気がするのです。そして白羽の矢が立つのが俺だったりして。ああいやだいやだ無責任サラリーマンバンザーイ。
 さて戦後政治のスーパースター・田中角栄の人気は絶えることがない。ついこの間もガソリン税の元祖は田中角栄だとニュースでやっていたが、新潟の寒村の家に生まれ、牛馬の糞小便の臭いが漂う中で飯を食いながら育ち、やがて位人臣を極めた男の物語は日本人の胸を打つのである。今は田中のタの字も知らぬ若者たち、グローバルのITの合コンのセレブな阿呆たちもいつか年齢と共に静けさを身につけ必ずや田中角栄(について書かれた本)と出会うだろうし、その時まで田中と23年間苦楽を共にしてきた「語り部」である作者の本は是非とも残しておくべきである。
 あの立花隆でさえも「とにかくスケールのでかい男だった」と言わずにはいられない金権巨悪の権化・田中角栄の言葉は、なぜこれほどまでに人々の心を打つのか。早坂曰く、それは田中が「政治とは生活である」と終始一貫胸に抱き続けていたからだという。「政治家は国民に三度のメシを保証して、外国との争いを起こさず、国民の邪魔になる小石を丹念に拾い、岩を砕いて道をあける。仕事は、それだけでよい。日本は高度に発達した議会制民主国家だ。国民の知的レベルは高い。箸の上げ下ろしまで口出しするのは、余計なお節介だ。為すべきことをして、国民に希望の灯を示し、ふだんは目立たず、後ろに控えている。政治家は吹き過ぎていく風だ。役割を終えたら消え去るのみ。それでいい」。
 政治家の役目とは国民を幸せにすることであり、つまるところ家族が健康でご飯が食べれて夜ぐっすり眠れるあたたかい布団があるように万全の処置を講ずることであるという。その通りであり、「箸の上げ下ろしまで」口出しする必要などないのである。国を愛する心とか世界をリードする国際人たれなどと政治家に説教されるいわれはない。「役割を終えたら消え去るのみ」というのもいい。小泉や安部のように役割を終えた後も気楽に外野席からのうのうと喋って金をもらう姿を田中や早坂が見れば何と言うだろう。
 「空は落ちてこない。山より大きな猪は出てこない。お互い命までは取られない」「世の中はいいことなど少ない。いやなことばかりだ。いやなことは、その日に忘れろ。明日また、いやなことがワンサカやってくる。それにいちいちかまけていては戦さができない」「食って、寝て、いやなことは忘れろ。お互いは唇に歌を持ち、前進を続けたい」…。世の中には「落ち込んだ時に読む本」とか「あなたを元気付ける言葉」とかいう自己啓発本がゴミのように溢れかえっているが、本当の「癒し」とは作者のような本当の修羅場を潜り抜けた者によってのみ意味を持つと思うのである。
 もちろん、修羅の巷で糞小便する世間の穢溜めをいやというほど見てきた彼らの言葉は優しさばかりではない。「政治とは結果責任の世界だ。終わりよければ、すべてよし。それ以外に正否を断ずる価値尺度はない」として、いかに潔癖で愛妻家のマイホームパパの徳の高い人物であっても結果を残さなければ何もならないと言う。「指導者が無類の女好きで手当たり次第に女を抱き、酒を浴びるほどに飲む男であったとしても、事に臨んで沈着冷静、剛毅果断、決断と実行で人民に平和を保障し、仕事を与え、国じゅうに一家団欒の日常を実現したとすれば、後世の史家は彼を有能な指導者と評価し、歴史に記録する」。これは別に政治家でなくてもあてはまるのであって、たとえオタクでデブで童貞で風俗好きであっても仕事ができ会社に貢献すればそれで問題ないのである。いやむしろ一般人ならば飲む打つ買う何をしてもOKだが政治家になれば週刊誌ワイドショーの監視下にあって何もできないというのが現状である。しかし作者も言っているように、酒も女も知り尽くさずに人間の本性を棚に上げて小さな正義、見せかけの良心、内容空疎な建前論を振り回すだけではどうしようもないのではないか。
 話は変わるが小沢一郎は今年1月に行われたテロ特措法の採決を欠席した。世論は大非難キャンペーンを行い、俺は呆れてしまった。小沢にではなく、その程度で大非難を叫ぶマスコミにである。政治は学級会ではなく、参加することに意義があるオリンピックではないのだ。与党が3分の2を占める国会の椅子に座ってただ青札を持って歩くことに何の意味があるのか。政治家は「国民の生活を守ること」が唯一のそして最大の義務である。師・田中角栄の言葉を小沢は忘れてはいない。小学生でも結果がわかる本会議に出席することが最大の責務であるかのように言うマスコミは、まさしく作者の言うように「偽善者にすぎない」であろう。作者は田中角栄を通して、様々なことを教えてくれるのである。