自民党、公明党、官僚

 今回の都議選の結果は予想通り自民党の惨敗で終わったが、最も強く印象に残ったのは公明党が候補者23人全員の当選を果たしたことだった。そして公明党が全員当選したのに自民党が10人も落選したということは、公明党の票を自民党にまわすことができなかったということであって、これで自民党公明党に頼る理由がまた一つなくなった。もはや自公体制というのは事実上崩壊していると断言できる。
 議院内閣制においては数の力が唯一絶対である。過半数を制した勢力が首相を選び法律を決めるのであり、そのために二つの党が連立を組むという手段も取られよう。しかしながら衆議院自民党過半数どころか絶対安定多数を占め、一方参議院では自公合わせても過半数に満たない。これでは連立を維持する理由がない。残る理由と言えば「選挙協力」であるが、都議選を見ての通りもはや公明党は自党の選挙で手一杯である。自民党も「小選挙区は自民に、比例は公明党に」と叫んで今までの選挙を乗り切ってきたが、今回の選挙は間違ってもそんな事は言っていられない。テレビカメラの前でいくら親密さをアピールしてもこの状況が続く限り今の連立に意味はない。ただどちらも別れのきっかけがつかめないだけの話である。
 思い出してほしいが、2007年11月に福田首相民主党小沢代表に大連立を申し出たのはその状況を福田も小沢も認識していたからであり、自民党にとって公明党と手を切るチャンスであった。大連立自体は民主党内の反対により頓挫したが、不信感を募らせる公明党福田首相を辞任に追い込んだ。続いて登場した麻生首相が主張する8月上旬選挙の日程も、8月下旬にずらすことに成功したようである。全ては自分たちの選挙に有利になるためであり、それに自民党は結局最後まで抵抗できなかった。今度の選挙で負けるとわかっていてもなお、公明党組織力に一縷の望みを託したいからである。そしてその姿を我々は見ている。
 俺は公明党を批判しているわけではない。宗教法人が政治活動を行うのも自由である。だが創価学会にとって重要なのは池田大作を守ることであって公明党ではない。今後民主党が政権を取ってなお公明党が一野党としてただ与党を批判するだけとはとても思えない。そこで重要になってくるのは都議会でも参議院でも民主党は第一党ではあるが過半数を満たしていないという事実である。恐らく水面下で様々な企みが動き出しているに違いない。
    
 時代は新興勢力に味方する。今回の都議選で感じたのはもはやこの流れは止められぬ、誰が良くて誰が悪いということではなく変革の時が訪れているということであって、かつて佐藤栄作から田中角栄へ、田中角栄から竹下登へ、経世会支配から小泉へという風に政治は常に劇的に変転してきたのであり、それは結局「時代」によるものであった。だが今回は自民党とそのバックにいる官僚体制そのものが変わるかもしれないのである。明治維新以来この国の中枢にいたのは官僚である。官僚たちは自分たちの敵を倒すために「政治家は政局しか見ていない」「政治家は金に汚い」という風潮を世間一般に知らしめ、「官僚こそ天下国家を背負っている」と誇らしげにその支配体制を築き国民もそれに異を唱えなかった(城山三郎の「官僚たちの夏」はその最たるものである)。だがこの国は民主主義の国である。国民は自分たちの代表を選び、自分たちが選んだ政治家にこの国の運営を任せなければならない。既にアメリカが「核密約はあった」と堂々と公開し、外務事務次官経験者がそれを証言してもこの国の官僚たちは決して真実を話さない。今度の選挙で問われているのは自民党の裏側に存在する、そのような官僚支配である。それゆえ官僚たちはこれまで以上に民主党を攻撃するであろう。去年俺は「自民党の断末魔が聞こえる」と書いたが、西松事件や郵便不正事件や鳩山の虚偽記載問題を見ていると、官僚の断末魔もまた聞こえてきそうである。