合理主義/会田雄次[PHP研究所:PHP文庫]

合理主義―ヨーロッパと日本 (PHP文庫)

合理主義―ヨーロッパと日本 (PHP文庫)

 さて合理主義という言葉はわかりやすいようで大変わかりにくい。何となく「合理的」と言えば丸く収まることがあるがよく考えればどういう意味か皆わかっていないのである。大抵は「経済的」「効率的」な意味で「合理的」という言葉を使うのであって、もっと広く思想的な意味合いで「合理的」とは何なのかを教えてくれるのが本書である。
 近代国家は全て合理主義的である。どのようにすれば民衆の力を利用できるか(米や税金を搾取できるか)、どういう機構を作れば効率的に国家を運営できるかを考えながら発展してきたのが近代国家である。そうして成立したヨーロッパ近代国家に日本を除くアジアやアフリカ諸国は植民地化され、独立後は遅ればせながら何とか近代国家として立ち上がったのであり、合理主義こそ近代・現代を生きる人間の方法論なのである。西欧で湧き起こった思想に世界が支配されたわけで、つまり合理主義を知るには西欧を知らなければならない。
 ヨーロッパの自然は非常に穏やかである。日本のように時に豊作、時に大災害をもたらす気まぐれなものではない。また大地もやせており、耕した土地に小麦をばらまき、しばらくほうっておいて実ったら刈り取るものであって、日本の稲作のように土地を耕したら水を与えて灌漑や排水設備を整えて苗床に育てた苗を一つまみずつ植えて草を手でかき取るというような丁寧な作業も必要としない。職人的な技術も根気のいる細かい作業も必要なく、自然の気まぐれにもさらされないわけで、そういう二倍働けば二倍儲かるという仕組みの中でヨーロッパ人は「自分がやろうとすればそれは必ずできる。自然は人間の思いのままに動かすことができる」という考えを強めていくのである。ここに合理主義の原点がある。
 一方日本である。精魂を込めて作った稲作等を暴風雨や冷害で何の前触れも無く突然破壊され尽くし、人々は自然を恐れ、自然と慣れ親しみ何とか調和しようとするのであるが、農業技術が飛躍的に向上し自然の克服に成功する江戸時代には合理主義を身につけはじめ、それが明治維新後すぐ世界の大国たりえる下地になったわけである。あるいはポルトガル人が持ってきた鉄砲を自分たちで勝手に分解してあれこれ調べて本家より優れた鉄砲を作り、非常に高度な数学理論を知的遊戯として争うことも合理主義的側面としてあげられよう。まあこのあたりは少し日本賛美的で好みが別れるだろうが、本書で紹介されている勝海舟はもとより坂本龍馬豊臣秀吉やずっと時代はあとになるが田中角栄に至るまで、日本では「身分は低くても能力があれば登用する」という実に合理的な国だったのである。これは素直に誇っていいのではないか。
 合理主義とは、「どんな事も努力さえすればできる」という思想である。それは「何でも機械化・数量化できる」ということになろう。さて、それに日本人はどう向き合うだろうか。「みんなみんな世界に一つだけの花だ。大切にしよう」と言うのは大変結構な事だが、アメリカ・ヨーロッパを中心とする合理主義の国々が「グローバル経済」を錦の御旗にして我が神国・ジャパンに攻めてきているのである。かつて植民地国を合理主義に則って工場化して繁栄を築いたように、今また自国を守るために他国を犠牲にしようと各国が死闘を繰り広げようとしている。
 作者は言う。「もはや、ヨーロッパ諸国と同じような競争場裡において、自分の能力だけを足場に、世界に対抗しなければならないという現実から、目をそむけることはできません。真の意味の日本の興亡がここにかかっているのです。つまり、ここで一歩も後退しないためには、ヨーロッパの合理主義というもの、それによって生み出されたところの近代的な社会というものを、それが本当にどのようなものであるかということを自覚し、それが持つ恐ろしい側面を、徹底的に体得しなければならない。そうすることによってしか、この激しい対決に臨む道はないのです」。
 
 と、いうわけで都議選に行ってきます。いやあワクワクするなあ。