ペログリ日記94~95 震災ボランティア編/田中康夫[幻冬舎:幻冬舎文庫]

 恐るべき本、と言ったらいいのか。ちょっと違う気がするな。破廉恥な本? 露出過多な本? 自らの華やかな生活をひけらかす本? いずれも当てはまるようで当てはまらない。本書は「日記」という体裁であるから、詳細な批評や論考はない。例えば有名で名門なレストランやホテルに行ったところでその味、サービス、店の雰囲気等のいい点・悪い点を詳細に述べるわけでもなくその時の瞬時の印象が記録され、そこにいた同伴の女性も記録されている。S嬢、K嬢、U嬢、A嬢、B嬢、その他大勢の女達(スチュワーデスやら人妻やら、とにかくまあ大勢の女達)と「おショックス」(お食事とセックス)に励みながら、原稿を描き(本などという代物を開く時間は皆無)、テレビラジオに出演し(テレビラジオは見る聞くものではなく出るもの)、一般的にイメージする「職業作家の華やかな部分」を存分に見せつけられよう。1956年生まれの38歳(当時)、何と俺(1983年生まれの38歳)と同じではないか。畜生め、同じ人間なのにどこをどう違ったらこんな豪華絢爛な生活が送れるのだ…とは言えそれ以外の部分、宅八郎からの「攻撃」(無言電話攻撃、家の水道・ガスの元栓を勝手に閉める、等)、震災ボランティア、大企業ダイエーからの抗議による連載中止も同じように淡々と記述され、平凡な一市民たる読者及び俺はその波乱な人生を楽しみまた嘲る事ができよう。所詮有名人は華やかに彩られている分、どこかでこういう事件に巻き込まれていつか野垂れ死にするのさ。ざまあみろ。人が有名人の日記を読むのは、ハイリスク・ハイリターンな生き方を選択したその天国と地獄を、安全な場所から眺め、楽しみ、いたぶりたいからだ。

 しかし作者はその事を知っているからこそやや露悪的に日々を書き、提供し、それによる天国と地獄すらも自身で楽しみつつまた提供するのだ。そういう事ができる作者はやはり類まれなる完成を持つ作家なのだろうし、それを読むだけで満足する俺はやはり凡人なのである。それにしてもよくぞこれだけ女をとっかえひっかえできるものだ。それぐらい旺盛でなければ作家兼タレントなんぞやってられんという事だろうか。くわばらくわばら、俺は平凡な一市民でよかったよ。

      

(1994年)2月21日

 原稿が数多、滞積するにも拘らず、文化放送の番組終了後、全日空27便にて大阪。在阪の関係者と打ち合わせ後、川崎市在住の日航スッチーY嬢と。茶屋町の阪急インターナショナルホテルの下二桁01、21の客室はバスルームが窓際にあり、地上を見下ろしながらの交歓はお値打ち。

   

10月15日

 人妻のU嬢と代官山のオ・コション・ローズでフランス料理。レ・フォール・ドゥ・ラトゥール85(ワインの銘柄?)。六本木の金魚で相も変わらずドンペリ二本。飯倉のキャンティで酔い醒ましのエスプレッソを飲むはずが、その前に隣のビルの屋上で東京タワーを見ながらペロペロちゃんグリグリちゃん。U嬢の矯声が響き渡る。バッグからウェットティッシュを取り出して後始末。「食後」にダブル・エスプレッソを二杯も飲んだら今度は空腹を覚え、麻生十番の鳳仙花でカクテキ、豆腐サラダ、パジョン、冷麺を摂ったらさしもの二人も共に、胃袋が今度は悲鳴。

  

(1995年)8月7日

 日航104便で羽田。文化放送の後、ラジオたんぱ。帝国ホテルのオールドインペリアルバーでU嬢と待ち合わせ、客室で夕寝。生理前で普段にも増して敏感なるも、恵比寿西のラブレーで「週刊ポスト」W氏らと新連載「ワイン・ストーリーズ」で扱う四本を試飲すると、気分が悪いとU嬢。再び客室で横になり、深夜に彼女のみ帰宅。