ぼくが電話をかけている場所/レイモンド・カーヴァー(訳:村上春樹)[中央公論社:中公文庫]

 なるほど。これは村上春樹だ。いや本書の場合の村上は翻訳者でしかないので村上春樹的と言うべきか。いやいや、そんな事は言うべきではないのかもしれない。しかしながらそう言わざるを得ないのは俺が村上春樹的なものに毒されているからか。何だそれは。大体俺はそういう「村上春樹的なもの」を嫌ってここまで生きてきたのだ。筒井康隆的なドタバタを好み、人間の欲と野望が渦巻く政治の権力闘争、モテない男の願望漫画を好む人間が俺である。都会の片隅で「人生なんてそんなものさ」などと言いながらビールを飲みながら、「女も所詮は人間に過ぎないのだ」などと言いながら女(それも細身というよりガリガリに痩せた女)を抱く奴は大っ嫌いである。

 話がそれた。本書の作者は村上春樹ではなくレイモンド・カーヴァーアメリカの短編小説の名手による短編集である。「読ませる短編で、文章はきびきびとして、シチュエーションは刺激的」である。「人間存在の有する本質的な孤独と、それが他者とかかわりあおうとする際(或いは他者とかかわりあうまいとする際)に生じる暴力性が重要なモチーフ」…という訳者の解説はよくわからないが、確かに読み進めていくうちに不安と孤独がどうしようもなく渦巻いてきてしまう。とは言え、破滅へと向かう確かな道筋が見えているわけではない。むしろ何事もなく過ぎ去る事もわかっている。しかし少しずつ、足元から崩れ落ちようとしている。或いは自分から落ちようとしている。更にそこから、いっそ落ちた方がいいのだという奇妙な感覚も芽生えはじめている。それがごく自然な感覚なのである。冷静に考えればとても恐ろしい、実に刺激的なシチュエーションである。しかし登場人物たちは取り乱してはいない。しかしながら冷静でもない。彼らは朝食を食べ、昼食を食べ、夕食を食べ、合間にコーヒーやビールを飲み、子供がいれば子供と話し、親がいれば親と話す。今にもこの場所や生活や現在の社会的地位、が落下する危険性を感じている。しかし本当に落ちてしまえばその先には破滅、死、愛する人との耐えがたい別れがある。どうする。いや、どうなる。

 もちろんそのようなドラマチックな事は起きない。人生はそれほどドラマチックではない。「私が経験したと思っている事が本当に私の身に起こったのかどうかさえよくわからない」からである。そして何とも言えない余韻だけを残して短編は終わる。人生は続く。それでいいのか? たぶん、それでいい。たぶんね。

  

 彼は砂糖を入れて、紅茶をかき混ぜた。「あなたが緊急の事だからと言うんで私はここまで来たのだよ」

「ああ、そうだったわね、アーノルド」と彼女は向こうを向いて言った。「どうしてそんな事言っちゃったのかしら。一体何を考えてたんでしょうね」

「それで、別に何にもないんだね?」と彼は言った。

「ええ。ええっていうか、そうね」と言って、彼女は頭を振った。「あなたの言うとおりね。何もないの」

「なるほど」と彼は言って、そのまま紅茶をすすった。「変な話だ」。彼は少し間を置いてから、まるで自分に言いきかせるみたいに、そう言った。「まったくもって変な話だ」。彼は弱々しく微笑んで、カップをわきに押しやり、ナプキンで唇を軽く押さえた。

「もう帰っちゃうのね?」と彼女は言った。

「帰らなきゃならんのです」と彼は言った。「うちに電話がかかってくる事になっているのでね」

「まだ行かないで」