55年体制の実相と政治改革以降 元参議院議員・平野貞夫氏に聞く/吉田健一[花伝社]

 だからオーラルヒストリーは難しい。歴史の証人に話を聞く、或いは故人の近くにいた人物から事件の真相・実態・実情を聞く事によって歴史の真実に迫っていく…としたところで、その人物が本当の事を言うとは限らない。実は自分の都合のいいように話しているだけかもしれない。特に政治家ともなれば自分が有利になるよう話す一方で不利な事やまずい事は徹底的に隠すか誰かにせいにする事を職業柄強制されているようなものだから、現役を退いたからと言って事実をありのままに話すわけとは限らない。それに政治家は国会議員をやめたところで政治活動をやめたわけではない。とかくこの世はしがらみだらけである。また大抵は自分の子供か関係者に後を継がせ、その後継者を援護しなければならないのだから、「あの時自分は実は悪い事をした」「〇〇をだました」などと言うわけがない。

 更に時間が経てば経つほど本人にその気がなくても本人に都合のいいように、「オーラルヒストリー」的に話が整理されている事もあろう。オーラルヒストリー本を読んでいる時にいつも思うのだが、世の中の大半は理路整然ではなくわけがわからないまま行われるのが常であり、政治や政策ともなれば様々な人間が絡みつつ、マスコミや世論、そして選挙によって左右されるのであるから、わかりやすい話にはならないはずである。一人の人間が話したところで歴史の真実がわかる事はなく、その政治的な事件や歴史的な政策、の内幕の一端をオーラルヒストリーで掴む事ができるだけで、真実への探求は永遠に続くのである。

 というわけで本書は平野貞夫という、元衆議院事務局の職員であり元参議院議員(1998年~2004年)、現役時代は一貫して小沢一郎の側近として「小沢の知恵袋」と称された人物のインタビューであるから、親小沢的なニュアンスで話は進行する。もちろん小沢一郎という政治家は二回も自民党を倒し政権交代を成し遂げた政治家であるから並の政治家ではないが、その政権交代による民主党政権(2009年~2012年)が終わってからまだ10年ほどしか経っておらず、2022年現在の自民党政権はいまだにその民主党政権のひどさを煽り続けているので評価しにくいところではある。田中角栄でも評価が定まったのは死後5年、10年が経ってからである。

 しかし平野氏はそんな事に構わず自らが経験した政治的事件の現場を語り、「宮澤喜一も政治改革には反対じゃなかった」と言って、インタビュアーが驚いて「宮澤さんは本心では反対で、しかも回顧録には政治改革は熱病のようなものだったとまで言ってますが」と聞き返すも「いや、そんな事はないよ、ただ、彼(宮澤)自身が中途半端な熱病だったんだよ。回顧録にそう書いているのは、弁解だよ。後からはそんな風に書きますよ」とはっきり言うのである。もちろん平野氏の言っている事(宮澤は本心では政治改革に反対していたのではなく、政治改革を推し進めようとしていたが中途半端な理解だったので結局やめてしまった)が正しいかどうかはわからないが、このように当時の現場にいた人(政治改革の中心にいた小沢一郎の側近)の話は自然と臨場感が出るのでやはり迫力が出る。その後の細川政権小選挙区比例代表の改正案が連立与党内の社会党の反対によってつぶされ、しかし当時野党の自民党総裁河野洋平と細川のトップ会談によって決まった事についてもインタビュアーが「自民党幹事長の森さんと小沢さんで合意したと、森さんが回顧録で証言しておられますね」と言うと平野氏は「いやいや、そうじゃない、森がそんな事できるわけがない、政治家の回顧録を信じてはいかんよ」「森・小沢会談でそんな話はしないよ、実際に詰めたのは市川(連立与党の公明党の幹事長)だよ」と断言して、この辺りはインタビューでありながら当時の臨場感が伝わってくるようで、それが平野氏の都合のいい事かどうかはともかく、歴史の現場に居合わせた事の重みが感じられよう。

 他にも民主党政権の失敗の原因である内輪もめ、つまり小沢対反小沢の構図の中で反小沢陣営の菅、仙谷、前原、野田、等が鳩山に「小沢を与党の幹事長にするが、政策には関与させない。選挙対策だけやらせる」事に成功して徐々に民主党内が自壊していく(「総理大臣が政策について、与党の幹事長に相談できない体制」「官僚の使い方については、少なくとも政権交代してから半年間は、何にも言わずに彼らのやる事を見るべき。そうでないと、とんでもない失敗をする」)様子が語られ、もちろん平野氏は小沢陣営の人間であるから小沢に同情的なところから話が始まっているが、しかし面白い事は面白い。とは言えオーラルヒストリーと面白さは関係ないわけで、やはりオーラルヒストリーは難しいのである。

   

平野 国対(国会対策)委員長というのは与党の国会運営を支える、これが始まりです。これが継承されていったわけ。戦前の時代はね、今の議院運営委員会に当たるものがあった。そこに各党の幹事長クラスが出ていって、国会運営の相談をしていたわけですよ。それ以降、今の国会というのは与野党の話し合いの場になっていきました。しかしこれはね、自社五十五年体制の本質というのはね、実質は自社の連立政権だったんですよ。