2 2次元の世界に住む俺からすれば

第12位:アイあるセカイ/尾野けぬじ蒼竜社:プラザCOMIX]

アイあるセカイ (プラザCOMIX)

アイあるセカイ (プラザCOMIX)

 毎年言っているが大事な事なので繰り返させて頂くとラブコメとは「平々凡々な男(=主人公=読者)」と「美人でかわいくてスタイルもいい女(=ヒロイン)」が織り成す物語であり、その男女が恋愛関係に発展する際にはヒロイン側から積極的に身を寄せ身体を開かなければならず、主人公側から動いてはならない。主人公側は「動かない」ではなく「動いてはならない」のであって、なぜなら主人公側から動くという事は主人公から恋愛関係を申し入れる事になり、それによって主人公には「振られる」「馬鹿にされる」「嘲笑される」等のリスクが発生するからである。ヒロイン側から動いて主人公側のリスクをゼロにする事で、主人公と一体となっている読者は安心して頁を進める事ができるのである。
 という事で本作であるが主人公が振られる事はない、しかしヒロイン側から積極的に動くわけではないという微妙なもので、お互い(付き合い始めたカップル、「友達」を長い間続けている男女、サークル仲間である男女)が好意を持っている事は何となくわかっているので手探りの模索がなされ、ラブコメであるから都合良く性交渉へとなだれ込むのであった。もちろんラブコメの方法論としてはそれでも良い。ラブコメだからと言って常にヒロインが主人公へ過大な愛情をぶつければなければならないわけではなく、「お互いが意識して右往左往しながら次の段階へ踏み出す」事と、前述の「リスクゼロ」を両立すれば問題はない。
 ところが本作の場合、いくつかの短編においては行きずりのようなとりあえずの性交渉が展開されるため主人公(=読者)としては困るのであって、もちろんヒロインは「行きずり・とりあえず」で性交渉するような淫乱の色キチガイではなく(そんな作品はそもそもこの日本ラブコメ大賞に登場しない)、単に無骨だったり愛情表現が下手に過ぎないからそうなったのだが、「無骨」「愛情表現が下手」というのは男(=主人公=読者)側にのみ許された特権であって、ヒロインには許されない。更にヒョロリとしてやたらと細長い上半身で描かれたヒロインには色気が感じられず、色気が感じられない事で無味乾燥さが漂ってしまい、無骨もしくは無愛想なヒロインが主人公の恋人となった後もその「無味乾燥さ」の印象が強かったせいでチグハグは印象が残り最下位と判断する事になった。
 俺は本作を批判したいわけではない。この日本ラブコメ大賞に挙げている時点で本作は優れたラブコメである。しかし評価し順位をつける以上はこのような事も言うのであり、最後の短編(「あいつはすごい美人と結婚した」)のようなものばかりであれば1位となっていただろう。ラブコメとは奥が深いのである。
 
第11位:快感ループ/usi[芳文社芳文社コミックス]
快感ループ (芳文社コミックス)

快感ループ (芳文社コミックス)

 またしても毎年言っている事だが大事な事なので繰り返させて頂くとラブコメに必要な事は「救い・癒し・希望」であって、男女の刺激的な恋愛の駆け引きではない。「平凡でおとなしいどこにでもいる男が、なぜか美人でかわいくてスタイル抜群の女と付き合う」という事件によって読者は救われ、癒され、明日への希望を手に入れる事ができるのである。しかし「平凡でおとなしいどこにでもいる男が、なぜか美人でスタイルのいい女と付き合う」という「都合の良さ」に人々は戸惑い躊躇し尻込みするのであり、その躊躇その他の障害を突破する事がラブコメには必要なのである。果たして目の前にあるラブコメがその「都合の良さ」を突破してくれるのか、を瞬時に判断する目を持っている事こそ俺を世界のラブコメ王たらしめているわけだが(知らんがな)、それはともかく本作はその「都合の良さ」を易々と突破している見事なものであった。
 前作(2011・3位「幼なじみガール」)において「作品全体に『ハートフル』という言葉がぴったりの優しさが溢れ、恋愛関係に付き物の葛藤や苦悩を主人公(=読者)が感じないよう優しく包み込む工夫がなされている」と評したその癒しと安定感(安心感)は本作でも健在で、いかにも都合のいい話を作りつつも(生涯学習講座に参加→子供の頃に一緒に遊んだ女が年頃の女になって話しかけてくる、バイト先の常連女が主人公目当てでバイトの後輩としてやってくる)不自然さを感じないよう(読者が躊躇しないよう)瞬時にヒロインから主人公へ「なぜ私はあなた(主人公)へ話しかけたか」の説明がなされ、それによって読者は安心してこの都合のいい世界の流れに身を任せる事ができよう。それは制作側がその「都合の良さ」を踏まえた上で主人公(=読者)とヒロインを恋仲にさせようとする事に迷いがないからで、その姿勢こそ「救い・癒し・希望」を生み出すのである。当たり前だが、小手先のテクニックよりもまずはラブコメの根本をしっかりと把握する事が大事なのだ。
 但し本作は短編集であるから玉石混交、いい短編もあればよくわからん短編(「審判の時は来たあ!」「まもなくこの世界は次の世界で満ち溢れる」)もあり、顔に斜線を入れず眉毛で感情を表現するという独特の絵が男女の間に漂う臨場感を削いでしまっているのでこれぐらいの順位となった。次回作に期待している。
  
第10位:魔界ヨメ!/阿智太郎メディアファクトリーMF文庫J
魔界ヨメ! (MF文庫J)

魔界ヨメ! (MF文庫J)

 どうして俺がラノベ嫌いなのかと言えば主人公をヒーローにしようとするからである。ラブコメの主人公は「平凡以下」でなければならず、その「平凡以下」の主人公がなぜか美人でかわいくてスタイルもいいヒロインをあれよあれよという間にモノにするところがラブコメの魅力なのであって、しかしそれに耐えきれない人種はそのようにヒロインと「平凡以下の主人公」をくっつける過程で「この平凡以下の主人公は…実はかっこいい男なんだよ」と言い訳をするばかりか、どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れに代表されるいい加減な設定を主人公に押しつけるのであり、なぜかラノベにはその手のいい加減な作品が多いのである。自らを糞袋と認識できない幼い人間、「自分は清く正しく美しい」と主張したい人間がそれだけ多いという事なのだろうが、そのせいで俺が「反ラノベ」となって長い年月が過ぎた。今後もラノベ作品がこの日本ラブコメ大賞に大々的に取り上げられる事はないであろう。
 しかし本作の作者はこの日本ラブコメ大賞の常連であり(1998・2位「僕の血を吸わないで」、1999・1位「住めば都のコスモス荘」、2003・12位「いつもどこでも忍ニンジャ」、2009・13位「トラジマ!ルイと栄太の事情」)、俺はラブコメに命をかけているのでどんなに嫌われようが石を投げられようがラブコメのためならばゴミの中からでも探し続けよう。それに本作はいわゆる「空から美少女が降って来る」パターンで、
(1)親が用意した洋館に一人で住むように命じられて、
(2)その洋館に行ったら、「魔界からやって来た悪魔女」が現われて、
(3)偶然の結果によってその悪魔女を嫁にする事になった、
 のであった。それも「十万年もの間、誰一人として当てる事のできなかったわらわの名前(ペチャパイ娘のくせに→ペーチャ・パイーム・スメノーク・セニィー)、貴様はそれを当てた男だからな、正直好きになってしまったのだ」となるのだから、これは「どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れて…」的な偽善な世界の住人でなくとも主人公になれる、つまり読者は容易に感情移入できるのだから、素晴らしい設定なのである。よく「主人公が特に努力しなくてもヒロインを手に入れる」事を批判する文章を見かけるが、俺にはそれが不思議でたまらない。「特に努力しなくてもヒロインを手に入れる」事にフィクションの素晴らしさが存在するのであって、辛く苦しく悲しい現実でいくら努力しても報われない、或いは努力しても得られる対価はほんのわずかでしかない格差社会なのだから、フィクションの世界では存分にヒロインとヒロインからの愛を手に入れるべきであろう。
 話がそれたがそのようにして主人公(=読者)は魔界の悪魔女を嫁にして振り回されるのであり、しかし主人公なのだから振り回され被害者となるだけではなく物語を解決に導き、それによってヒロインは主人公に傾斜し、偶然で嫁を手に入れた主人公(=読者)はその偶然をテコにして主人公たる位置を強固なものにしていく…という夢物語が本作であるが、その過程においてやや歯の浮くような事も言ってしまうので(「グラマラスじゃなくったって、素敵な人は素敵なんだ」「二人とも強くて可愛くて、十分素敵なんだから」)この順位となった。やはりラノベの業は深い。しかし俺はあきらめない。
   
第9位:勇しぶ。〜勇者になれなかった俺はしぶしぶ就職を決意しました。〜/左京潤・柚木ガオ・戌角柾[スクウェア・エニックスヤングガンガンコミックス]
 原則としてこの「日本ラブコメ大賞」は書籍に与えられるものなので本書をとりあえず挙げたが、もちろん本作の原作はラノベ富士見ファンタジア文庫版)であり、しかし俺はラノベ原作を読んでおらず(何せ反ラノベなので)2013年放送のアニメでまず本作に接し、その時以来日本ラブコメ大賞に挙げたいと思っていたのでとりあえずコミカライズ版を挙げたわけで、今回の受賞は「勇しぶ」というメディア全体について与えられたと理解してもらえばよろしい。
 ということで本作の特徴は何と言っても「魔法が倒され、平和になって、勇者制度が廃止された世界」で生きる事を余儀なくされた「将来有望と思われていた勇者志望の予備校生」が、しぶしぶ中小の電気器具・家電販売店に就職し(「こんな裏通りのマジックショップでレジ打ち」)、小売業という未知なる職種に挑みつつもそんな自分を認められない(「ある日突然魔法が倒され、勇者も魔法もなくなった世界で俺は何のために生きていけばいいか…」)という、その落ちぶれ具合であって、読者は「いい気味だ」と鼻で笑いつつも「落ちぶれた者」である主人公に容易に感情移入できよう。なぜなら俺も含めたほとんどの読者は「若い頃は選ばれたエリートになれるかもしれない」という勘違いをしていたのであり、それが勘違いだと気付いた時少なからず落胆し悲哀を味わったからである。読者たる我々は将来有望だった若者が世間の冷たい風に遭い意気消沈する姿(「毎日職安にも通ったし、数えきれないくらい履歴書も書いたし」「平和な世の中になった今じゃ、俺らがこれまで学んだ事なんてこれっぽっちも役に立たない」)を見て「ざまあみろ、エリートなんか目指すからだ」と醒めた笑いを楽しむ事ができ、世間の急激な変化に対応できず劣等感を抱えて生きる主人公に共感し、最後には「人生そんなもんだよ、兄ちゃん」と諭すような大人の余裕も感じる事ができよう。
 しかしそこで終わるのではなく絶望からの「救いと癒しと希望」を与えるのがラブコメであって、主人公(=将来有望だった元エリート=読者)はヒロイン達(ヒロイン:魔法の娘→巨乳、副ヒロイン1:予備校時代の同級生→貧乳、副ヒロイン2:隣のコンビニの同い年くらいの女性→巨乳)に囲まれて少しずつ傷を癒していくのであり、労働の素晴らしさを知るのであり(「自分のために働いてお金を稼ぐ事が人の役に立っているんだ、働く事で皆が新しい物を手に入れて皆が笑顔になれるんだ」)、徐々に新たな生活への希望を感じる事ができるのである。この都合のよさこそラブコメの基本にして原点なのであり、本作は実は1位になってもおかしくなかったが、「元勇者志望の若者」を主人公にしたためにラブコメの主人公としてはふさわしくない言動も見られ(「魔人の前に一人の女の子なんだから」)、更に画力がそれほどでもない(コメディパートとシリアスパートの描き分けができていないので臨場感がない)ので作品全体に迫力がなくこの順位となりました。まあでも…そろそろ富士見ファンタジア文庫版を読む事にしよう。
    
第8位:繋がる個体/山本中学[講談社:モーニングKC]
繋がる個体(1) (モーニングコミックス)

繋がる個体(1) (モーニングコミックス)

 トレンディドラマの主人公をイケメンではなく普通の平凡な男にして、正義漢でも悪党でもないその普通の平凡な男に「美人でかわいくてスタイルもいい女」をぶつければトレンディドラマも立派なラブコメになるが、世に「美人でかわいくてスタイルがいい」と言われている女優もタレントも2次元の世界に住む俺からすればゴミのようなものなので、結局トレンディドラマは永遠にラブコメにならない。
 なぜそんな事を言うかといえば本作は非常にトレンディドラマ向けだからである。平凡な主人公には付き合っていた女(ヒロイン1)がいたが別れ、しかしその女は同じ職場にいて気になり続けて、でも周囲にはフリーと思われているから仕方なく出た合コンである女に気に入られ(主人公側は特に何もしていない)、そのある女(ヒロイン2)は女子高生だと判明、「いやさすがに30歳のおっさんが女子高生に手を出すわけにはいかん、犯罪者だ、身の破滅だ」と焦った主人公は久しぶりに色恋沙汰を意識したせいかヒロイン1とよりを戻そうとして…というわけで、そこまでは非常にいいのだがそこからの流れが非常に安直、つまりトレンディドラマを見る視聴者(10〜30代の女性)向けで、
(1)ヒロイン2が酔って悪い男に連れて行かれそうになって、
(2)なぜ悪い男とヒロイン2が飲んでいるかというとその悪い男が「主人公さんも来るから飲みに行こう」と主人公の了承を得る事なくヒロイン2に言って、ヒロイン2は所詮は女子高生だからまんまとその誘いに乗ってしまって、
(3)そういう状況である事を主人公が知って「これはいかん、俺まで犯罪行為の片棒をかついでしまう」と即座に現場に直行して、
(4)無事、ヒロイン2を救い出す
 という経過によって見事ヒロイン2は主人公への気持ちを強固なものにするわけであるが、この方法(「天然で王子様やってんじゃん」)は俺が繰り返し言っている「どしゃ降りの雨の中、子犬が濡れているからといって傘を差し出し、自分はずぶ濡れ」に代表される偽善の優しさ、人間味が感じられない「いい人」とほとんど同じであるから著しくマイナスとなろう。ラブコメの主人公は「どこにでもいる平凡で普通の男」でなければならないのであり、トレンディドラマの主人公ではないのだから、即座に行動に移るようなすっきりした人間であってはならない。結局ヒロインを助けるとしても、悩み迷いの末に行動に移す…という風な丁寧さが求められるのである。
 では著しくマイナスである本作がなぜここに挙げられているかというと以上のような致命的なミスを回復させるほどヒロイン2が主人公に積極的だからであり(「ヒロイン1とは会社でずっと一緒なんでしょう?だったら私は家で一緒にいればいいんじゃないかな」)、且つとてつもなく可愛い(「待つのはいいの、待っている間『かわいい』って視線浴びるのは嫌いじゃないから」)からで、しかし主人公の心はヒロイン1にあるので読者は「主人公(=読者=自分)はこんなに可愛い女子高生に言い寄られて、しかも振る事ができるのだ」という優越感に浸る事ができるからである。更に言えばヒロイン1とヒロイン2は姉妹であるから修羅場が訪れ(「長丁場に備えてつまみ的なの注文したぞ」「ヒステリックになった方が負けだよ」)、まさにドラマの主人公になったようなハラハラドキドキが味わえるので読んでいて非常に楽しかったのも事実である。これでもう少し修羅場的見せ場を長く続けてくれたら5位以内には入っていただろうし…もしドラマ化されたたら絶対見てしまうでしょうなあ。
   
第7位:あやかし古書庫と少女の魅宝ドリヤス工場一迅社:REX COMICS]
あやかし古書庫と少女の魅宝 第1巻 (IDコミックス REXコミックス)

あやかし古書庫と少女の魅宝 第1巻 (IDコミックス REXコミックス)

 この水木しげる調…というよりモロ水木しげる風の絵で描かれた登場人物達はさておき、なかなかに懐かしい「高校生の冒険と恋」が詰まったラブコメであった。もし俺が中学生高校生の時にこの漫画と出会っていれば「こんなハラハラドキドキの大冒険的な日常を体験したい」と興奮して迷わず1位にしたであろうが、齢33ともなるとこういうものを敬遠してしまうのですが、そうは言っても世界のラブコメ王ですからラブコメであれば全てに目を通さなければいけません。
 というわけで平凡な生活を送っていた高校生主人公(祖父の古本屋を継いだ)が突如として日常とかけ離れた世界との関わりを持たされ(「この店に終戦直後に仕入れた外国の珍しい品があるはずよ、さっきの奴らはそれを狙いに来ている、このままではあんたの身も危ないわよ」「話が急すぎてついていけないや」)、その日常のかけ離れた世界とセットのようにしてヒロイン1(主人公のクラスの転校生。「性格はキツめ、主人公に無理難題を要求する事も」)やヒロイン2(主人公の先輩。「主人公に気があるよう」)がやってきて主人公を巻き込んで上下左右にドタバタが展開され、時々ヒロイン1とヒロイン2が主人公を意識するような描写もなされ(主人公も満更ではない)、そうなると主人公がヒーローだったり「女に軽口を叩いたり女と平気で話ができる」奴だったり人間味がないほどの「いい人」になってしまう危険性があるが、本作の主人公は大したことはない、大したことはないがそれなりの能力を持っている(「コピーアットワンス」…見た相手の能力を真似できるがそれは一回だけ)ので物語に大いに関わる事もでき、しかし「それなりの能力」でしかないからヒーローにならない事はわかっているので読者は安心して読む事ができよう。ラブコメの主人公はヒーローになってはいけない(ヒーローに感情移入はできない)のであり、さりとて何の能力もない一般人になってしまうと傍観者になって物語に必要ない存在となる危険性もあるわけで、そのあたりを上手く処理しているのが高得点であった。
 これでラブコメ描写をもう少し強くして(主人公をめぐってヒロイン1・2が取り合い、もしくはどちらかのヒロインが強烈に主人公にアプローチする)いれば3位以内には入っていたであろうが、ただでさえ色々と情報が錯綜している(「身体強化系能力者」「精神攻撃系能力者」「召喚使役系能力者」「時空間移動系能力者」「物質変容系能力者」)のに色恋沙汰まで追加されたらややこしいか。しかし面白かった。最近の中学生高校生が本作を読んでどう感じるか是非知りたいものですな。
   
第6位:元ヤン娘だけど恋をしたっていいじゃない!/かすみりょう少年画報社:YKコミックス]
 ヒロインが2人いるわけだが、一人は「キミキス」(2007年9位)の水澤摩央に、もう一人は「アマガミ」(2010年5位)の七咲逢に似ているような気がして、一旦そう意識してしまうとどうしても甘めの順位となってしまいそうになるのを何とか我慢したわけですが(何を言っとるんだ)、両ヒロインともに元ヤンキーである(タイトルを見ればわかるが)。もちろんヒロインが悪魔でもヤンキーでも構わない。大事な事は地味で平凡な主人公(=読者)に対してヒロインがどれだけ積極的にアプローチするか、どのように主人公(=読者)に対して愛を誓い忠誠を誓うかであり、やってはいけない事はヒロインを暴力的にする事である。かつて「ヤンキー」に限らずともやたらとヒロインを暴力的にする事がラブコメだと勘違いされた暗黒時代があった(90年代中盤〜後半)が、それはさておき(話すと長くなる)、本作のヒロインは「元」ヤンキーであるから今は単なる「美人でかわいくてスタイルもいい」ヒロインであり、ラブコメのセオリーに則って都合良く主人公(=読者)に身体を寄せ(「二人きりになれる場所を探していたの」「先輩のシフト確認してますから」)、恋人となった後にヤンキーだった過去を知った主人公(=読者)はむしろ「昔バリバリのヤンキーだった(メチャクチャ強くて容赦がなくて、とにかくおっかない)女を手に入れた」という優越感に浸る事ができるのであった。そして恋人となった後もヒロインの強さが強調され、そのような強いヒロインを手に入れた主人公(=読者)は自分も強くなったような錯覚に浸ることができ、更に言えば「昔バリバリのヤンキーだった女」を性交渉において虜にする事で征服の感覚さえもたらされよう。しかも最後はヒロインのうちの一人はめでたく主人公(=読者)と結婚するのだから、これは癖になりそうだ(何を言っとるんだ)。
 毎年言っている事だがラブコメとは「男が女より優位に立つ思想」である。しかし昨今の女尊男卑の世の中において、男の意見が取り入れられず女の意見だけが取り上げられる時代において、女はますます強くなっていくという時代の流れがある。その中で優位に立つためには「社会的・経済的・物理的に強くなった女」を精神的に従属させる事が必要なのであり、本作は大いに参考になろう。時代の流れに抗うような無駄な事はしない、ラブコメが生き残るために時代を利用すればよいのだ。「電車のつもりがまさかのタンデム」。
 
第5位:おくさまはヴァンパイヤ/ボウイナイフ[秋田書店チャンピオンREDコミックス]
おくさまはヴァンパイア (チャンピオンREDコミックス)

おくさまはヴァンパイア (チャンピオンREDコミックス)

 毎年のように言っているがラブコメとは「夫婦になる」までを描くもので、夫婦になってしまえばそれで終わりとなる。「地味で平凡で冴えない男」を我が物にしようと複数のヒロイン達が争うところがラブコメの最大の魅力なのであって、そのうちの誰か一人が主人公のハートを射止めて夫婦となってしまえば(一夫多妻パターンもあるが、それはまたの機会に)魅力は失われ、終了となる。しかし夫婦という形態には社会的に認められているがゆえに何をやってもいい(どれだけ変態的な、けだもののような、キチガイな性生活を送っても文句は言えない)という安心感と強さがあり、その上ラブコメであれば妻は「美人でかわいくてスタイル抜群」、それでいて「妻=生涯、夫だけに尽くし夫だけを愛さなければならない」という拘束を進んで受け入れ、常に夫(平凡・地味・冴えない)を求めるのであり、それによって妻が夫に依存している事を夫(=主人公=読者)は認識し、「優位」を超えて「支配」までできよう。
 この支配関係を使わない手はないという事で我が日本ラブコメ大賞は数多の夫婦ものを推挙してきたわけで、それこそが日本ラブコメ大賞に深みを与えてきたわけだが、それにしても「夫(=主人公=読者)は人間、ヒロインは非人間」のパターンは他に思いつかない…というわけで本作だがバンパイアで人間界に慣れない妻(=ヒロイン)とそんなバンパイヤを妻にした夫(=主人公=読者)は当然大なり小なりの騒動に巻き込まれるが(飲み比べ対決、人狼のおかしな行動、住人全員が半バンパイア状態)、そのような騒動の元となるバンパイア妻は常に夫(=主人公=読者)に寄り添い夫(=主人公=読者)のために戦い、最後は必ず夫(=主人公=読者)を求めるのであって、それによって読者はこのような騒動の元となる、「物語の中心となるヒロイン」の夫(=主人公=読者)こそが本当の中心である、という満足感に浸る事ができよう。ラブコメの主人公はその平凡性ゆえに物語の中心にはなれないが、中心にいるヒロインを支配する事で、ヒロインの夫という特権的な地位によって、結果的に中心へと躍り出る事ができるのである。
 そして繰り返しになるがヒロインである妻は「生涯、夫(=主人公)だけに尽くし夫(=主人公)だけを愛さなければならない」のであり、主人公はヒーローになる事なくその平凡性を維持しながら、物語全体の特権的地位を確保できるのであった。ラブコメとはすごいものなのだ。
 
第4位:星川くんちの天瀬三姉妹/一夢[竹書房:BAMBOO COMICS COLORFUL SELECT]
星川くんちの天瀬三姉妹 (バンブーコミックス COLORFUL SELECT)

星川くんちの天瀬三姉妹 (バンブーコミックス COLORFUL SELECT)

 勢いは大事である。目的に向かって冷静沈着に作戦を立てて攻略していくのもいいが、迸る情熱のまま、激情に身を任せて、力の全てをぶつける事も時には必要である。人生は辛く苦しく悲しいのだ。時にはそのような滅茶苦茶をやらなければバランスが取れない…というわけで本作を読む際に必要なのは何よりも勢いであって、特にこれと言って目立ったところのない主人公(=読者)は冒頭からヒロインのフルスロットルの愛情を浴びるのであり(「私のおっぱいに反応してくれたの?」「だったら私にお手伝いさせて?」)、続く副ヒロイン1、副ヒロイン2も主人公(=読者)への強い想いを瞬く間に放出し(「昔から主人公のこと好きなの」「ヒロインや副ヒロイン1と仲良くやってるみたいだし、ここで私もフラグを立てておこうと思ってね」)、副ヒロインと主人公が関係を持った事を知ったヒロインはかわいらしく怒り(「私は怒ってないよ?でも嘘は駄目だと思うの」)…というジェットコースターのような展開を消化するにはのんびり読むような姿勢ではいかんのである。勢いが大事なのだ。
 しかし毎年繰り返し言ってきたようにハーレムものは難しい。なぜならラブコメとは読者にとって「救い」「癒し」でなければならず、複数のヒロインと性交渉を持った事で主人公(=読者)が負い目や負担を感じてしまえば癒しどころの話ではなくなってしまうからで、エロ漫画ならば「酒池肉林のハーレムを手に入れた」として処理する事もできようが、本作は一応非エロ漫画であり(正確には「エロではないが、非エロでもない」竹書房レーベルではあるが)物語を回収しなければならず、しかしその回収の方法(最終的にヒロインを選ぶ→ヒロインと結婚する)すら副ヒロイン2人に委ねる(「私に主人公との最後の思い出をちょうだい」)事で、そしてそれをヒロインも許容する事で主人公は何の負担も感じる事なくただ流れるままにヒロインと家族(「美人三姉妹と家族になりました」)を手に入れる事ができたのであった。ストレスフリーとはまさに本作の事を言うのであり、このような「都合のいい」を倍にしたような都合のいい物語を楽しむためには勢いが大事なのであり、その勢いの波に乗れば「救い」と「癒し」、そして希望がやってくるのである。ラブコメとはすごいものなのだ。
 
第3位:あねくらべ/東雲太郎白泉社:JETS COMICS]
あねくらべ 2 (ジェッツコミックス)

あねくらべ 2 (ジェッツコミックス)

 ラブコメで近親ものだと兄妹がほとんどで、姉弟ものは滅多にない。なぜならラブコメとは「男が女より優位に立つ思想」だからで、「主人公(=読者)対ヒロイン」においてヒロインが姉、つまり生まれた時から上の立場におり、且つ家族であるから幼い時の事も全て知り尽くしている、のであれば男(=弟=主人公=読者)を優位へと導く事は難しいからである。そのような「上の存在」であるヒロイン(=姉)を屈服させ支配する事もラブコメの方法論としてはありえるが、エロ漫画ならともかく一般のラブコメでそのような複雑な事をやっても労多くして実り少ないだけである。
 一方で本作はタイトルを見ての通り姉ものであり、どのようにして支配したのかと期待して読んだところヒロイン達は実の姉ではなく「幼い頃から姉同然に育ってきた仲のよい幼なじみ(主人公の家の合鍵を持っている)」であった。なるほどそうであれば「姉と弟」という関係性を行使して弟である主人公(=読者)は姉(=ヒロイン)に甘えつつも本当の姉弟ではないのだから男としてヒロインより優位に立つ事ができ、ヒロイン側も姉弟として存分に主人公を独占しておきながら「いつまでも主人公君のお姉ちゃんではいられないの」「男の子として好きって事よ」と好き放題に主人公へアタックする事もできるのである。言わば主人公とヒロイン達は一種の共犯・依存関係の中で生きており、その依存と共犯の中で居心地のいい誘惑合戦が繰り広げられ、それでも姉ヒロイン4人は近親ではなく幼なじみであるから決定的に対立する事なく(近親憎悪に陥る事なく)、いつまでもぬるま湯状態が維持されるのであった。
 と、ここまでが1巻のストーリーで、この時点で既にかなり優秀なラブコメであるが、2巻においてその4人を上回る姉ヒロインがやってきたところで更に面白くなる。何せ既存ヒロインと違って2巻ヒロインは主人公の貞操を奪おうとするばかりか4人を分断しようとするのであり(「やせ我慢なんかしているから好きな男を取られちゃうの、この私から奪えるものなら奪いなさい」)、その大混乱の原因はただ一人の弟(=主人公=読者)なのだから、混乱するヒロイン達の戸惑いを描けば描くほどいかにヒロイン達が主人公(=読者)に対して常日頃から想いを抱いているかがわかり、読者は深い満足を覚え、それでも結局は分断・対立する事はなく2巻ヒロインも加わったぬるま湯ハーレム状態が維持され、そのハーレム状態を姉ヒロイン全員が肯定しているのだから、主人公は罪悪感を感じる事なくいつまでもそのぬるま湯ハーレムの中で生きる事ができ、読者は辛く苦しく悲しい現実から逃げる事ができるのである。「救い・癒し・希望」が揃った、ラブコメのお手本のような作品が本作であった。
  
第2位:小あくま日和/片桐兼春[芳文社芳文社コミックス]
小あくま日和 (芳文社コミックス)

小あくま日和 (芳文社コミックス)

 さて本作のヒロインもフルスロットルで主人公(=読者)に対して愛を表明するが、こちらの方がより直接的・具体的・強力で、17歳も差があるにも関わらず(主人公37歳、ヒロイン20歳)「いつパパに言ってくれるの?私をお嫁さんにするって」とその身体を武器に主人公(=読者)を誘惑し、部屋に忍び込み、策を弄し、主人公(=読者)が「歳が離れているから」「(ヒロインは)恩人である社長の娘だから」「(社長の命令で)お見合いする事になったから」とヒロインから逃げようとすればするほどヒロイン→主人公への誘惑攻撃は過激になっていく(「じゃあ主人公君のお…おち…おち…にコレで印つけるんだから!」)という寸法で、主人公(=読者)側としては「これだけ誘惑攻撃を繰り広げるという事は、それだけ自分の事を欲しているのだ」という確認が何度もでき、揺るがないヒロインの愛情に勝者の余裕すら感じる事ができよう。
 また副ヒロインの見せ方もうまい。「完全無菌室育ち」という設定によって(「お股…吸ってから…頭の中が四六時中主人公さんの事でいっぱいに…」)37歳のおっさんと見合いをする事の違和感を消しているばかりか、本作のピークであるヒロイン・副ヒロインによる主人公の奪い合い(「両手に花状態」「二人の柔らかいおっぱいが、僕を優しく圧迫しつつ…」)も違和感のないものにしており(完全無菌育ちなので)、一線を越えないがゆえに長い誘惑対決はエロ漫画よりもエロを感じさせよう。「37年間ですっかり童貞をこじらせた」というパッとしない主人公(=読者)をめぐって二人の見目麗しい女が戦いを始め、戦いが激しくなればなるほど戦いのゴールにある主人公(=読者)の存在が大きくなるのであり、両ヒロインの尋常ではない誘惑合戦が更に主人公の存在を大きくして、読者は男としての自信すら得る事ができよう。
 それでもライバルである副ヒロインはあくまで「スパイス」的存在で、主人公とヒロインは当初から相思相愛だったのでめでたくゴールインしました、とストーリーはすっきりと流れ、その二人の愛の交歓まで力を抜く事なく描く事で、読み終えた後は力作・大作な作品に接した後のような満足感も得る事ができた。素晴らしい。大作とは実に本作のような作品を言うのである。「NO 歳の差 NO LIFE」。
  
第1位:若林くんが寝かせてくれない/音井れこ丸双葉社:ACTION COMICS]
 さて1位であるからもう一度ラブコメとは何か、をおさらいしておこう。ラブコメとは「主人公は地味で平凡で冴えない男」でなければならず、その主人公に対してヒロインが積極的に好意を表出して立ち回らなければなければならず、しかし積極的過ぎて主人公より目立ってはいけないという、大変難しいものである。また副次的な効果の一つに「主人公はツッコミ役に回る事ができる」がある。積極的なヒロインの行動が常軌を逸したものであった場合は主人公が冷静にツッコミを入れざるを得ず、それによって「自分はヒロインと違って冷静」という優越感を手に入れる事ができよう(但しこれがラノベになるとやたらと難解な言い回しを駆使したツッコミを入れる事で自分の語彙力の高さを自慢するようになるので逆効果だが、ここでは省略)。
 翻って本作はというとまずヒロイン(女子高生)は主人公(=教師)が好き過ぎて(「お腹、首の肉、鼻の穴の中、ヤバイ!美しい」「よし、チュウしてこよう」)構ってもらおうとして昼休みに睡眠を取ろうとする主人公を妨害するのであり、主人公はただ寝たいだけなのでヒロインの妨害に困惑しつつツッコミを入れるが、ヒロインからはそのツッコミを超えた反応が返ってくる…という風に話が進められ、傍目からすればただじゃれ合っているようにしか見えず、その主人公(=読者)とヒロインのじゃれ合いによって読者自身が癒される効果を生むのであった。特にこの主人公が年齢は不詳だが(30代前半〜後半?)髭面の太ったおっさんであり、その髭面の太ったおっさんに花も恥じらう女子高生ばかりか女子大生までが構ってもらおうと参戦(「私を主人公先生の彼女にしてもらえませんか?」)するのであり、髭面の太ったおっさん及び髭面の太ったおっさん予備軍である読者にとっては救いであり癒しであり希望ともなろう。また適度にヒロインの学園生活を描き(文化祭や友達同士のお泊り会など)、このヒロインはどこにでもいるありふれたヒロインである事を踏まえた上でしかし「主人公(=読者)が好き過ぎる」事を強調する事で、読者はいかに主人公(=読者)が恵まれた立場にあるかを噛みしめつつもヒロインの一挙手一投足に大笑いし、繰り返される主人公(=読者)とヒロインのじゃれ合いによってヒロイン達の想いを受け止める準備をする事ができるのである。
 本作のような「ヒロインが主人公を好き過ぎる」事自体がギャグになる、というパターンは2009年1位「鬼龍院冴子探偵事務所」を想起させるが、しかし「鬼龍院〜」は「主人公・ヒロイン」の関係の前提として「探偵事務所が舞台」という設定が必要であったが、本作の場合は「主人公・ヒロイン」のみで成立しており、高校が舞台である必要はない(別に魔界でもいい)、しかし両者の関係性は「鬼龍院〜」より強固なのである。これは新しい。このようなラブコメが生まれるとは想像できなかった。ラブコメは今年も、来年も進化し続けるのである。
 
 というわけで次は成年部門編です。どうせ皆そっちしか読まないんだからなあ、もう。