3 早く復活させなければ

第12位:スキ=シテ!/ヤスイリオスケ[マックス:ポプリコミックス]

スキ=シテ! (ポプリコミックス)

スキ=シテ! (ポプリコミックス)

 はて…躍動感がない。作者はかつて1位を取った事があるだけに(2010年1位「ショッキングピンク!」)期待して読み、「ショッキングピンク!」で発揮された「底抜けの明るさ」は本作でも維持され主人公もヒロインも活き活きとしているが、いかんせん展開に躍動感がないので小手先の性交渉描写に終わった感がある。作者自身それを察しているのか主人公とヒロイン以外の性交渉(主人公の男友人と主人公の女友人、主人公の男友人とヒロインの姉)を見せて何とか盛り上げようとしているものの、もちろんラブコメ的には主人公以外の男の存在などマイナスであり主人公とも主人公の友人ともヤろうとする女など淫乱のキチガイなのだからもっとマイナスとなる。要はノリが悪ノリに流れてしまっているのであって、成年版ラブコメに求められるのは性交渉を通じての主人公(=読者)の希望・救い・癒しであり、それを補強するための「ノリ」でなければならない。しかしどうも期待外れであった。
 そもそも「ポプリクラブ」という、雑誌としては異例の2006年1位を受賞した伝統と栄光あるラブコメ&エロ雑誌に載る以上そのエロ漫画は「恋人同士の愛情がMAX」「甘々の更に甘々」なのは当たり前・織り込み済みなのであって、「恋人同士の愛情がMAX」をどう見せるのか、「甘々の更に甘々」とはどんな甘さか、を調理するのがポプリレーベルを選んだ作者達に課されているのである。作者は巨乳・爆乳の魅力を引き出しつつ可愛さを最大限に表現できるという優れた画力を持っているのであり、それでこのストーリー展開ではまさに宝の持ち腐れであった。奇を衒わず主人公とヒロインの関係一本で展開し、波風を立たせるためにヒロインのライバルを登場させ修羅場発生→回収、で転がして最後は結婚エンディング、で良かったのではないか。一番印象に残っているのが「彼女以外に性的興奮なんてしません、僕をナメないで下さい、二重の意味でね」では寂しい(いや、面白いけどね)。
 とは言えラブコメである事は確かなので買った事は後悔していない。次回作に期待する。
   
第11位:あまえたがり/桃月すずワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]
 大事な事なので繰り返すが成年版ラブコメに必要なのは「主人公とヒロインの愛の対話としての性交渉」であり、ただ流されるまま行きずりの性交渉へと至っても何の感動もない。「美人でかわいくてスタイル抜群なヒロイン」が「地味で平凡で冴えない主人公」に身体を開き、なぜ身体を開くかというと主人公を愛しているからだという理由付けがあった時、性交渉とラブコメは繋がるのである。しかしながらエロ漫画の宿命と言うべきか短編集だから仕方ないと言うべきか内容が玉石混淆で、収録短編のいくつかはヒロイン側が愛を表明する前に性交渉へとなだれ込んでいるので主人公側にいる読者としては戸惑うだけであった。もちろん力量があれば性交渉による身体と身体のぶつかり合いの最中で愛が芽生えるという説得も可能だが(これから何作かそのような作品が出てくる)、本作のような清潔感がある代わりに淡白な性交渉描写な作品であればそれも期待できない。これは中途半端というよりは作者側に「平凡で冴えない、没個性的な主人公」対「美人でかわいくてスタイル抜群なヒロイン」の構図に持ち込む事にためらいがあるからで、エロ漫画である以上性交渉シーンが優先される、という言い訳の下に性交渉シーンに没頭して「主人公対ヒロイン」の関係性をうやむやにしてしまっている事によるものであろう。しかしうやむやにしてしまえば「性交渉が始まった→性交渉が終わった」となるだけで印象に残らない。これは編集を含めた制作側の失敗であろう。
 とは言えいくつかの短編は持ち直してそのようなためらいを払拭し、ヒロインがいかに主人公(=読者)を欲しているかを起点に性交渉へと発展するので引き込まれつつ読む事ができ(「ずっと欲しかった主人公君の精子」「主人公の事が大好きだからずっと舐めていたいの」)、最初は恐る恐る身体を開いていたヒロインがやがて快楽に抗えない事が判明すれば主人公は遠慮なく性交渉に没頭する事ができ、読者は漲る力と共に希望・救い・癒しを感じる事ができよう。成年版ラブコメにおいて性交渉など所詮手段でしかない、大事なのは主人公とヒロインの関係性、そこから見える主人公(=読者)の姿である。
 
第10位:調教→屈服→肉奴隷/秋神サトル[ティーアイネットMUJIN COMICS]
調教→屈服→肉奴隷 (MUJIN COMICS)

調教→屈服→肉奴隷 (MUJIN COMICS)

 さて成年版ラブコメとは「ヒロインが主人公に積極的に愛を表明する」事がスタートであり、その愛を確認するために性交渉の現場が描かれ、ヒロイン側から性交渉の機会を提供する事で主人公はヒロインを支配する事ができるわけだが、それを極限まで突き詰めればヒロインは「主人公(=読者)の肉便器である」事を肯定する事になろう。もちろん「肉便器」と言ってもそれは「主人公のために」身も心も捧げるという意味であり、ただの淫乱(「男なら誰でもいい」「挿入してくれるなら誰でもいい」)ではいけない。主人公(=読者)専用の肉便器であることが絶対条件となる。
 というような事を20122013年1位となった作者の作品(「つくろう!オナホ姉」)で書いたが、本作の場合なるほど調教し屈服させ肉奴隷化には成功したもののその過程において愛の表明がはっきりと描かれていないのがいささか残念であった。もちろん「はっきりと」描かれていないだけで調教の過程でヒロインが身も心も主人公のものになってしまった事は巻末の「HTT!」(腹ボテ・ティー・タイム)を読めばわかるが、やはり愛情と肉奴隷化は並行して描かなければ「ヒロインを肉奴隷にした」事の罪悪感を主人公(=読者)はどこかで感じてしまい楽しめなくなる(罪悪感が絶妙なスパイスとなる事もあるが、ややこしいのでここでは考えない)。ヒロイン側が主人公専用の肉便器になった事を肯定し心から喜んだ描写を見せる事で主人公(=読者)は無敵となり、欲望のタガを外し、獣と化す事ができるのである。
 とは言え本作が他の凡百のエロ漫画より優れている事は保証する。最初はぎこちなく(もしくは嫌々に)性交渉へと臨むヒロインが主人公と繋がる事によって主人公側に引き込まれ、積極的になり、主人公と共同して快楽を貪り更に主人公を要求し肉便器化し、絶対服従を誓う(「いじわるされても好きぃ」「何されても逆らえないものね」「チ○ポに使われたら絶対満足なのぉ」)描写は読者の征服欲を満足させ元気にさせよう。実にいいものだ。
   
第9位:エローライフ/かいづか[ジーオーティー:キャノプリCOMICS]
エローライフ (キャノプリCOMICS)

エローライフ (キャノプリCOMICS)

 だから長編ハーレムものは難しい。複数のヒロインそれぞれを魅力的に描きつつも主人公は等分に複数のヒロインを相手にしなければならず、一方で正ヒロイン・副ヒロイン1・副ヒロイン2という序列はできているわけだからその序列も無視できず、また主人公は複数のヒロインと性的関係を持ちながらもその罪悪感を感じてはならず、ハーレム的性交渉を謳歌しなければならない。短編ならば「複数のヒロインと関係を持った」事によるインパクトのままフェードアウトできるが、長編ではそうもいかない。それらハーレムの条件をまとめると以下になる。
(1)ハーレムを構築した主人公が罪悪感を感じない
(2)ハーレムの構成員であるヒロイン達がハーレム及びハーレムにいる自分を肯定する
(3)ハーレムのヒロイン達それぞれを魅力的に描く
 というわけで本作だが上記(1)〜(3)のどれもが中途半端であって、まずヒロイン達の魅力で言うと正ヒロインが断トツ(「伽に参りました!こんな身体でよろしければ存分にお楽しみ下さい」「旦那様に悦んで頂くのが私は一番嬉しいです」「旦那様のお世話は全て私の役目なんですから」「旦那様の熱くて逞しいモノを、お恵み下さい」)のために副ヒロイン2人の魅力がかすんでしまっている。また正ヒロインが身体を提供する際には真摯な愛の告白があるのに副ヒロイン2人はコミカル色が強く(巫女はともかく忍者というのはよくわからん)、読者にしてみれば主人公は流されるままに性交渉へと至っている印象を与え、それが副ヒロインの位置付けを不鮮明にしてしまい、結果として主人公(=読者)はハーレムを構築しながらもそのハーレムを肯定的に受け止める事ができないのであった(「俺みたいな中途半端な奴にそんな価値ないのに…ここに来たのだって実家から逃げ出して来たようなものだし」)。また本作の場合それを克服できるほどの画力があるわけでもなく(性交渉描写はもちろん、背景についても「ひなびた田舎」感が感じられない)、中途半端であった。やり方としては正ヒロインと主人公の関係を基本として進め、話の途中で主人公・ヒロイン間に他の女が割り込むという構成にした方が良かったのではないか。
 とは言え正ヒロインの立ち振る舞いや主人公に対する接し方、また主人公に一途に身体を開く展開は読み応え十分であり、数多のエロ漫画の中から頭一つ抜け出しているのは確かである。次回作に期待している。
   
第8位:実妹の膣内/ブラザーピエロクロエ出版:真激COMICS]
実妹の膣内 (真激COMICS)

実妹の膣内 (真激COMICS)

 総合力というものを例える時によく使うのだが、野球でリーグ優勝したチームのリーグ内成績が打率1位、防御率1位であるとは限らない。それぞれの個人プレー、個々のテクニックが優秀であっても勝たなければ、優勝しなければ意味がない。逆に言えば勝ちそして優勝すればそれでいいのである。成年版ラブコメでも同じ事が言えて、エロければいいというわけではないし(もちろんエロくなければ元も子もないが)、絵やセリフ運びが上手ければいいわけではない。「地味で平凡な主人公に顔・スタイル・性格その他抜群に優れたヒロインをぶつける」及び「ヒロインが主人公に対して最大限の愛情を表明し、その愛情を性交渉において表現する」事をエロ漫画という枠内でどう表現するかである。
 そうすると本作の表題作などまさに「個々のテクニックはそれほどでもないが、読み終えた後はパーフェクト」というものであって、線は粗っぽいしヒロイン達はどう見ても10代には見えない(20代後半と言っても通用しそうだ)がパーフェクト中のパーフェクトであって、
(1)ヒロインが主人公に好意を持つ理由の証明(幼い頃に妹2人をまとめ上げた)
(2)主人公をめぐってヒロインがその身体をアピールしつつ修羅場(「お兄ちゃんが好きなのは巨乳なの」「兄さんは私みたいな美脚美人が好きなの」)
(3)ヒロイン1と主人公が関係を持つ事によりヒロイン2も参戦
(4)ヒロイン2人による飽くなき性交渉の饗宴(「あなたはその牛みたいな乳を揺らしていただけよ」「お兄ちゃんイク時私の胸見てましたー」「私、兄さんのためなら何でもするわ。頼まれたらケツ穴でも舐めるわよ」「わ、私なんて実の妹だけどお兄ちゃんの子供孕みたいから危険日でも生で中出しさせるもん!」)
(5)いつか終わりが来ると見せかけて永遠に続くハーレム宣言(主人公は逃げるように東京の大学へ進学→「私達、東京の学校に転校が決まったの」)
 が一分の隙もなく繰り広げられるのであり、正直なところここまで完璧なストーリー構造を用意されるとそれ以外の短編の印象が薄くなってしまうが、それでもいい、テクニックが多少劣っていたとしても誰でもこのような奇跡の物語を作ることができるのだという希望に包まれて俺は満足である。
 しかしタイトルに「実妹」とつけておきながら妹とは関係ないヒロインの短編まで収録するのはどうなのだ(しかもヒロインと主人公の関係は曖昧なまま性交渉へと突入する)。エロ漫画の宿命・玉石混淆は常とは言えそのあたりに気を遣っていれば5位、いや3位は確実だったはずだ。うまい事いきませんなあ。
  
第7位:発情御奉仕乙女/肉そうきゅー。[マックス:ポプリコミックス]
発情御奉仕乙女 (ポプリコミックス)

発情御奉仕乙女 (ポプリコミックス)

 何度も言うようにヒロインが身体を許すにあたっては理由がなければならない。理由もなく股を開くのは単なる淫乱であって、我々は淫乱女と一時の快楽を得たいわけではない。「この女は俺を愛していて抱かれたくてたまらないから身体を開くのだ」と読者(=主人公)が納得してこそ深い満足と快楽と癒しを得られるのであって、ではなぜその女は俺(=読者=主人公)を愛しているのかと言えば「前々から好きだったから」であり、なぜ前々から好きだったかと言えばヒロインは主人公の従妹、幼馴染、もしくは神社の神様(?)だったりするからである。そのような都合のいい設定を惜しげもなく披露しながらも強引さが感じられないのは、ヒロイン側から主人公にアプローチすると同時にそのアプローチに至るヒロインの想いを主人公にぶつけ、それに主人公(=読者)が応えて性交渉を行っている時も性交渉が終わった時も継続してヒロインは主人公に対して大いなる愛情を身体全体で表現しているので強引さがなく、また愛情表現のダイナミックさ(「もっと躾けて下さい、私、お兄様好みの犬になりたいんです」「お兄様の犬としての私なら、もっと自然に振る舞えるかも」)に主人公(=読者)は包まれ安心できるのである。
 更に言えば作者の描くタッチはどことなくほんわかとして淫靡さがないのでこちらも「安心」を感じさせてくれる。読者を性的興奮に掻き立てる事を第一とするエロ漫画においてそれは短所であるが、ラブコメ的雰囲気を第一とするポプリクラブレーベルであればそれは長所となり、その事を制作側もわかっているからこそ後半の「調教彼女」のような、エロとしても四コマとしても中途半端なものを堂々と描けるのである。もちろんこの場合の「中途半端」とは褒め言葉であって、この「中途半端さ」(エロではないが、非エロでもない。エロ漫画雑誌に載せる必要はないが、さりとて非エロ漫画雑誌に載せられるかというと難しい)が不思議にポプリクラブとこの作風には合うのであり、やはり作者及びポプリクラブは大事にしなければならんと思うのである。早くポプリクラブを復活させなければな。
 
第6位:アイドル☆シスター/大友卓二富士美出版:富士美コミックス]
アイドル・シスター (富士美コミックス)

アイドル・シスター (富士美コミックス)

 ラブコメの長所は社会的地位の高いヒロインを主人公(=読者)が手中に収める事で主人公の地位も高くなったかのような錯覚を覚える事ができるところにある。主人公自身の社会的地位を高めるとすれば多大な労力と時間が必要になるが、成年漫画の文法を使えばただヒロインを手篭めにしてしまえば社会的地位は上がる(と錯覚できる)ので実にスムーズでなのである。殊に表題作ではヒロインはアイドルであり、アイドルのような芸能的存在に社会的地位があるかどうかはともかく、世の多くの男達の羨望の的であるアイドルを性的奴隷にする(「主人公のおちんちん超ステキ」「もう主人公の事しか考えられないです」「主人公のためならどんなに恥ずかしくてもエッチになるよ」「主人公のモテモテおちんちん独り占めだよ」「主人公のおちんちんで子宮満たされるのって最高に幸せ」)事は男にとってステータスにも勲章にもなろう。
 しかしながら重要な事は本作のヒロイン達がアイドルとしてどれだけ「羨望の的」となっているかであって(いわゆる「地下アイドル」的なものであれば大した事はない)、ヒロイン達についてはハワイで単独ライブをするほどだから相当の人気なのだろうが、性交渉描写に力を入れるあまりヒロイン達の社会的地位については言及されていないので読者側で「ヒロインがいかにすごいアイドルか」「世の男達を出し抜いた」を想像するしかなく、その想像をしている間は「希望や救いや癒しを感じる」事ができないので読み終わった後の印象が物足りないものとなった。これは主人公とヒロイン達の「性交渉前→性交渉→性交渉後」の一連の流れにも言えて、表題作にしろその他の短編にしろ主人公とヒロインの性交渉描写を描きつつストーリー的描写にも力を入れ、そのどちらも一定のレベルを保っているが肝心の「いかに主人公(=読者)はおいしい立場にいるか」の説明が物足りないためぎこちない感じを受けよう。ラブコメとは「地味で平凡で冴えない青年」でも最小限の努力で最大限の果実を得る事ができる夢物語の事であり、それを作者が意識して描いていれば間違いなく1位となっていただろう。しかしながら本作のヒロイン達の、主人公(=読者)に夢中になって身体を提供する事の可憐さ愛らしさの表現は素晴らしい。次回作に期待している。
  
第5位:デキる妹はいかがですか?/089タロー[キルタイムコミュニケーション二次元ドリーム文庫
 活字のいいところは視点を複数持つ事ができる事で、主人公視点、ヒロイン1視点、ヒロイン2視点でストーリーを説明できるため、ある事象(事件)についてヒロイン1及びヒロイン2がどう思ったかを知る事ができ、それによってヒロインそれぞれがいかに主人公を欲しているか愛しているかを読者は確認する事ができる。もちろん漫画においてもセリフとは別に心の声が吹き出しに出てくるが、風景に絵に文字にと一挙に出ては整理ができない。やはり小説は人類が作り出した英知なのである。そのため二次元ドリーム文庫フランス書院美少女文庫等にもできるだけ手を出していく…と何年も前から言っているが今年も本作のみとなった。来年こそは頑張ります。
 さてその本作であるがまず実妹2人はひたすら兄にぞっこんであり(序章の段階で兄を想像して自慰に耽る)、そこに義妹2人がやってきてこれまた兄にぞっこんなものだから誘惑合戦を繰り広げ(「どうぞお兄様。お気に入りで、正真正銘、脱ぎ立て、です。お兄様に差し上げます」「お兄様が望むのでしたら今すぐここで処女を捧げます!」)、快楽の虜となったヒロイン妹4人は主人公への愛情のみならず献身や忠誠心まで身につけ全員が孕み、それでもヒロイン妹4人は兄(=主人公=読者)を求め続けるという極めて常識的で平和的なハッピーエンドで幕を下ろすのであった。特に中盤以降におけるヒロイン妹4人のくどいほど兄(=主人公=読者)への愛を表明し身体を提供する描写は何度読んでもいいもので1位は確実と思われたが、残念な事に主人公を「人間味がないいい人」、つまり「どしゃ降りの雨の中、動物がびしょ濡れだからと言って傘を差し出し、自分はずぶ濡れ」的な描写があった(ガラの悪いナンパ男達に女達が絡まれている→無視はできない、黙っていられないと助けに入る)のでこの順位となった。21世紀も15年が過ぎようというのにそんな古臭い関わり方があるか、もっとやりようがあるだろう、反省しろ反省。
  
「どっ―どういう事!?まさかお兄ちゃんが脱がせて…ううん、お兄ちゃんはそんな事する人じゃない。さては美月さん、あなた!」
「くす。お兄様が私の下着に興味を持たれたので、脱ぎ立てを差し上げたんです」
 箒をびしっと突きつけられても美月は落ち着いたものだった。簡潔に経緯を話すと、上品に微笑んで余裕すら見せる。
「そんな…し、下着くらい別にして!いくら家族でも女の子としてそれくらい!」
「家族だからこそ一緒ではなくて?それとも真奈さんは、お兄様には見せられないと?」
「え?そ、そういう意味じゃ…」
「私は平気です。だって夫婦として寝食を共にしたいと思っていますもの」
 美月の平然とした言葉に、真奈は仰天して突きだした箒を落とした。
「ふ、夫婦って、無理に決まっているじゃない、あなたは妹になったのよ!」
「っ…けれど諦めませんわ。お兄様への私の愛はそんなに安くありませんもの」
「冗談じゃないわ!お兄ちゃんは―私達のお兄ちゃんよ!」
  
「もう、やっぱりお兄ちゃんの食事は私が作ってあげないとね。はい、今度はダシ巻き卵ね。いっぱいあるから遠慮しないでどうぞ」
 料理では真奈に分があった。実母を亡くして長いため家事経験は美月の比ではないのだ。これまで後手に回ってきた分を取り返すように真奈は元気になる。
「はいどうぞ。うふふ、お兄ちゃんっていっぱい食べてくれるから…大好き」
 ライバルの笑顔を見て、美月はむむぅ、と悔しげに唸る。
「っ…でしたらお兄様、こういうのはいかがですか?」
 何か策を思いついたのか、美月は背を向いてごそごそし出した。
 ややあって振り向いたその姿は―何とおっぱいが丸出しとなり谷間にはサニーレタスが挟まれていた。
「み、美月さんっ。む、胸で、何をっ」
「くす、ささやかながらの味付けですわ。さあお兄様、召し上がって」
 
第4位:僕の山ノ上村孕ませ日記/甲斐ひろゆき富士美出版:富士美コミックス]
 不思議だ。「性交渉とはあくまで手段で、メインは主人公とヒロインの愛の対話であり、その結果としての性交渉である」と言い続けて15年以上が経つこの日本ラブコメ大賞において、そのような「愛の対話」的描写がほとんど見られない本作がどうして4位になったのか。それをこれから解明していくわけだが、もちろん愛の表明がないと言っても本作のヒロイン達は「男なら誰でもいい」的な淫乱ではない。いや、それもよくわからないのは、設定が「女しかいない、人口の少ない村」で、そこにやって来た主人公は出会ったヒロイン達(美人で巨乳ばかり)に片っぱしから誘惑され性交渉に励むわけであるが、ではヒロイン達は出会った瞬間に主人公に惚れたのかというそうではない。とは言え「この街は昔から女しか生まれないので、旅に訪れた殿方から精を頂くのです」という義務から主人公とヤッている…わけでもなく、ヒロイン達は主人公を気に入ったからヤるのである。しかしこの「気に入った」からヤる事のスムーズさが主人公(=読者)にとってストレスフリーのお手軽さとなり、救いと癒しに繋がり、身体を重ねる事によって愛情が生まれる事がまた救いと癒しになるのであった。
 そのようにして主人公(=読者)はヒロイン達の好意に甘えて快楽に流されるままヤり続けるのであり(「もうセックスしてない女はいないくらい、セックスしなかった日ってあったっけ?というくらいのセックス三昧の日々である」)、主人公の絶倫(「山ノ上の種馬」「一日百発」「ご立派様」「女殺し」「アルティメットウェポン」)の虜になったヒロイン達はその大きな胸をフルに活用して主人公に抱かれようと積極的に身体を開き、居心地のいい日々が続く中で最後は見事ヒロイン9人全員を孕ませ大ハーレムを達成すると共に主人公は「皆、かけがえのない僕の嫁達だ」と宣言し「この村で暮らしていく」との決意を胸に秘めて終わるところなど誠に爽やかであった。エロ漫画で「爽やか」というのも変な話だが、しかし爽やかなのだからしょうがない。主人公(=読者)に身体を委ねたヒロイン達の潔さ、大ハーレムを許容する村(を描写する作品世界)が読者を癒し、希望を与える。これこそ成年漫画版ラブコメである。
 ちなみに俺にしては珍しく一番気に入ったヒロインは高校生ちゃんである。
 
第3位:義妹禁断衝動/志乃武丹英富士美出版:富士美コミックス]
 妹とは兄にとって大変都合のいい存在である。何せ生まれた直後から自分の下に位置するので常に自分(兄)は優越感に浸ることができ、また自分の意のままに操ることができ、それでも家族であるから自分に対して好意を持っている事は保証されているのであり、そのような都合のいい存在が年齢と共に誰もが羨む美人となり性的興奮を掻き立てる身体を備えて自分(兄)に寄りかかってくるのだから、妹とは天使でもあり女神でもある。しかし本作のように血がつながっていない義理の場合は主人公とヒロインの関係(なぜヒロインは主人公に身体を許す事になるのか)の説明が必要となり、性交渉へと至る事ができたとしても血がつながっていないので主人公が不安を感じる(いつか別れてしまうのではないだろうか)危険性すらある。そしてラブコメにおいて絶対にやってはいけない事は主人公が不安を感じる事である。それでは救いにも癒しにも希望にもならない。
 とは言え本作は前作(2014年2位「義妹処女幻想」)でも述べたように義理の妹ヒロイン達が「義理の兄(=主人公=読者)しか見ていない」事は明らかで、義兄(=主人公=読者)の事を好きで好きでたまらないので全力でぶつかりつつもキュートさを失わないその愛くるしさは遊んでほしそうに寄ってくる子犬か子猫のようであり、また主人公との性交渉を求める一途な様子はもし断ればショックで死んでしまうのではないかというぐらいの真剣さであるから、読者は「自分はヒロインにこれだけ愛されているのだ」という満足感を噛みしめつつ義理の妹であるタブーと安心感という矛盾の快楽の中で性欲を解消する事ができよう。
 繰り返し言っている事だがラブコメとは地味で平凡で冴えない主人公がヒロインを支配する事が究極の目標であり、とは言えその支配の関係は強制されたものではなくあくまでヒロインが合意したものでなければならない。そうでなければ手中におさめた事の永遠は保証されないからで、永遠に保証された後、主人公(=読者)は人生における性交渉のパートナー問題から解放され希望に包まれる。その点、妹という存在は兄より下の立場にある事が自然であるため通常の男女よりも手中におさめる事がたやすくなり、それを十分に発揮している本作は「いいよ、お兄ちゃん、絶対に後悔しないから」「赤ちゃんできてもいい」「お兄ちゃんのお嫁さんにして下さい」としてヒロインも主人公も永遠の愛と快楽の世界を漂う事ができるのである。主人公は支配欲を満たしつつも愛しい妹を手に入れた事に歓喜し一生かわいがっていく事を決意するが、それを読者も自然と受け入れる事ができるところが妹の良さなのである。エロ漫画とは所詮性欲処理のための一時的な刺激的な絵の集合体であるが、一時的な刺激よりも永遠の愛と快楽を獲得する事がより刺激的である事は言うまでもない。ラブコメとはすごいものなのだ。
 
第2位:あねこもり/DISTANCE[ワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]
あねこもり (WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL)

あねこもり (WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL)

 何度も言うように成年版ラブコメにおけるヒロインは主人公に積極的になるどころの話ではなく身体を提供するのであり、しかもそれを「男なら誰でもいい」等の淫乱的性質によるものではなくあくまで「主人公に抱かれたい」ための行動として統一しなければならないのだから、「主人公に抱かれたい」という「勢い」が必要となる。しかしその勢いを正面切って出してしまうと「単なる都合のいい女」に終始してしまう危険性があり、もちろん「都合のいい女」でも構わないが、読者が癒され、希望を感じ、明日もまた生きようと思い直すためには「地味で平凡で冴えない青年であっても、美人で性格良くてスタイル抜群な女から愛を告白され、性交渉へと至る」方が「都合のいい女とヤる」よりいいに決まっているのであり、いかにして「勢い」と「ヒロイン→主人公」の関係性を両立させるかがラブコメのポイントとなる。
 そこで本作であるが、ヒロイン達が主人公(=読者)に積極的に身体を提供し(性交渉を行っ)た結果主人公に依存する様子を描く事で「都合の良さ」感を消し、主人公を心の底から愛している事を証明し、しかもその依存を甘く描く事で(「ちゅーしてぎゅーって抱っこしながらいっぱい射精して」「今日のHでちゃんと孕んであげるから」「相思相愛のカップルが愛し合う姿を見ようなんて」「撮って撮って、先生(主人公)に愛されている姿」「もうずっと私の膣内にいてくだひゃい」)「勢い」と「ヒロイン→主人公」の関係性の両立に成功している。特にそれを効果的に見せているのが「膣内射精・妊娠」の見せ方で、もちろん膣内射精などエロ漫画では当たり前の事だが、本作におけるヒロインは主人公に依存している状態から一歩進んで主人公の子種を本能的に欲しがるのであり、それを見る主人公(=読者)は自分がヒロインの理性を征服し本能を剥き出しにさせる事に成功した事に気付き、「征服」という野性的な感覚を知り、男としての自信まで得るのである。この見せ方はありそうでなかなかなかったもので、素晴らしいの一言であった。後半の短編は前作の第2シーズンという事だが、第1シーズンを知らなくとも全く問題ない、優れた作品の前には瑣末な事などどうでもいいのである。
 「おこちゃま丸出しの恥ずかしい甘々プレイ」はいいものだ(何じゃそら)。しかし…乳輪が大きいですなあ。
 
第1位:7×1/榎本ハイツコアマガジン:ホットミルクコミックスシリーズ]
 大事な事なので何度でも繰り返すが、ラブコメツンデレは認められない。「平凡で冴えない男」が「絶えず周囲の注目の的になるほどの美人」に惚れられるのがラブコメの大原則なのであり、「あたしみたいな美人が、何であんたなんか好きになるのよっ」などと言われたらそれで終了である。「照れ隠しや本心を悟られないためにわざとそう言ってしまう」という事なのだろうが、ラブコメとは「周りに人がいる」にも関わらずヒロイン側が主人公(=読者)に愛を告白することにより「このヒロインは人目もはばからず自分に愛情を宣言する→そんなに俺の事が好きなのか、じゃあ何をやっても大丈夫か」となって主人公(=読者)はヒロインより優位に立ち、「勝者の喜び・支配者の優越感・無限の快楽」に浸る事ができるのである。
 翻って本作はと言うと分類としては「ツンデレ型ヒロイン」になるのだろうが単に口が悪くて凶暴なだけで、「主人公の事なんて好きでもなんでもない」的な事は一言も口にしないばかりか、事あるごとに飯を作りに来てくれたり理由をつけて主人公の家にやってくる(主人公とヒロインはイトコ同士)というデレデレなヒロインであった。更に主人公がフラフラと別のヒロインに流されてもそれを許すのみならず必死で主人公を繋ぎ止めようと身も心も主人公に開放するのであり、空回りばかりする主人公にはっきりと「私(ヒロイン)が働いて養う」「私(ヒロイン)にてめー(主人公)の人生賭けろ、てめー(主人公)を幸せにして私(ヒロイン)も幸せになる」と宣言し全てのお膳立てを用意し、やっと主人公は「俺、ヒロインと結婚する」と応じて大団円となるのであった。まさに至れり尽くせりであり、「内助の功」とはこういう事を言うのである(違うかな)。
 優れた成年漫画はラブコメよりもラブコメ的である。一般のラブコメ作品では性交渉描写があったとしても淡白にせざるを得ず、結果として主人公とヒロインがどこまでお互い依存しているか、お互いを欲しているかを強調する事ができないが、成年漫画であれば遠慮なく性交渉描写を盛り込む事ができ、性交渉描写を激しくする事で主人公とヒロインがいかに愛し合っているかを表現する事ができるのである。本作の主人公とヒロインはそれぞれの事件を経た上で性交渉を重ねることによって絆を深くしてゆき、これはまさしく恋愛と人生そのものであった。また以下のようなストーリー展開のテンポの良さ
(1)主人公とヒロインが関係を持ち、
(2)主人公の前に副ヒロインが現われ、
(3)主人公・正ヒロイン・副ヒロインによる修羅場が発生、
(4)主人公は正ヒロインを選択、
(5)主人公と正ヒロインに最大の危機が発生、
(6)危機を乗り越えた二人は結婚を約束、
 は8位と並んで一般漫画でもなかなかお目にかかれないレベルの高さである。本作は性交渉シーンがなかったとしても一般部門で1位か2位となったであろう優れた作品であり、断トツの1位となりました。