4 反ラブコメでなければ許容(成年 14→1)

第14位:ギャルゲふぉるだ!/RAVEN[ジーウォーク:ムーグコミックス]

ギャルゲふぉるだ! (ムーグコミックス)

ギャルゲふぉるだ! (ムーグコミックス)

 ラブコメなら何でもいいとは言ったが、基本的な事はやってもらわねば困る。作画力が劣っていても一向に構わないが、ラブコメとは平凡で冴えない主人公とヒロインがどのように関係を持つかで決まるのであって、ただ女の裸を出せばいいわけではないし愛らしいポーズや魅惑的なポーズを決めればいいわけではない。本作のようにひたすら女の裸(と主人公の性器)だけを強調して描かれると一体誰がその女を抱いているのか、頭ではわかっていても視覚的に確認する術がないので実際の関係性がつかめない。これは主人公が平凡か否かを議論する以前の問題でありストレスが溜まってしまう。
 ではストレスが溜まってしまうのになぜ14位に入賞させたかと言うと主人公がギャルゲー好きのオタクの毒舌で、にも関わらず天才女優を棚ボタ的に手に入れたからである(と言っても記憶喪失の状態で「おなかすきました〜」などと言うので仕方なく相手してやっただけ)。そして成年漫画のセオリー通りに性交渉へと流れ込むが、そこで主人公が意識的に「普段からやりたかったエロゲー的な事をやる」と意気込み、その意気込みにヒロインが呼応する事で主人公(=読者)は肯定され、その「肯定されている」事を認識した時に主人公はヒロイン側の愛情を感じながらもその愛情という大義名分によって更に欲望を消化する事ができているのである。ラブコメとは読者の性欲処理も兼ねているのであり、本作はその性欲処理を自然な形で放出できている。ただし残念なのはヒロイン2人のうち1人が色気もなければ可愛げもないツンデレである事で、何度も言ってきたように「アンタが性犯罪起こす前にアタシが仕方なく相手してあげようと…」などと言われてどうしろと言うのだ。ラブコメとは男(=主人公=読者)が活躍する物語であって、マゾの物語ではないのである。
         
第13位:完全服従カノジョ。/みやもとゆう[マックス:ポプリコミックス]
完全服従カノジョ。 (ポプリコミックス)

完全服従カノジョ。 (ポプリコミックス)

 「完全服従」とわざわざ銘打っているのだからヒロインは主人公に身も心も捧げるのだろう、常に身体を提供して主人公の性欲を処理し、性欲処理としての存在になりながらも主人公に対する愛を表明するのだろう…と思っていると肩透かしを食らいます。少し積極的に「私は主人公が好きなので、主人公が望むのなら身体を提供する覚悟はできています」と言うだけの何が「完全服従」と思うが、まあ作者は女だから仕方ない。それよりも問題なのは主人公の性格等が積極的に描かれている事で、ヒロイン側が「きっかけ」を与えてもいないのに告白したりそもそも主人公が体育会系の部活動をしていたり明るく爽やかな陽性気質で描かれていたりもしているのである。だから作者が女だといかんのだ、「平凡で地味で冴えない青年」というものが原理的によくわかっとらんのだ、誰が「明るく爽やか」な主人公の話など金を払って読むのだ…ということなのだが、しかしその最初のいざこざさえ通過すればヒロインは主人公に愛を表明し、且つ主人公が求める様々な要求に愛をもって応え、更にヒロインは無意識のうちに積極的に主人公の要求に応えるよう身体が覚えていくのであり、それは確かに「服従」の一形態であろう。言わばヒロインはどんどんと淫乱になっていくのである。もちろん作者は女であるから淫乱と言ってもたかが知れているが、「甘口な淫乱」(この言葉自体に矛盾があるが、言いたい事はわかるだろう)になる事で結果的に「積極的に奉仕しながら、決して主人公より前に出ない」というラブコメの原則に沿ったものとなるのである。だから作者の作品は今までも下位ながら必ず結果を残している(2009年15位「ギュッとしてね」、2008年17位「おいしくたべてね」、2006年11位「いぢめないでね」)のであり、こういう作者も大事にしなければならんと思うのである。
    
第12位:嫁まみれ/さきうらら[ティーアイネットMUJIN COMICS]
嫁まみれ (MUJIN COMICS)

嫁まみれ (MUJIN COMICS)

 タイトルにもある「嫁」の前にまず嫁に対応する夫(=主人公=読者)はどうかという事を気にしなければならないが、それぞれの夫は総じて平凡で地味でこれと言って特徴がないようなのでよろしい。ではヒロインたる「嫁」はどうかだが、その前に「嫁」とは何なのかを考えよう。配偶者の事を「妻」と呼んでも「嫁」と呼んでもその対象は同じだが、「妻」と「嫁」では明らかに対象に向ける視線が違う。配偶者を「妻」と呼ぶのは何十年経っても可能だが、何十年も連れ添った妻を「嫁」とは普通は言わない。なぜなら「嫁」という言葉には結婚してそれほど時間が経っていない新鮮度があり、また「妻」という言葉にはない色気がある。それに「妻になる」とは言わないが「嫁に行く」とは言うのであって、「妻」という言葉の裏には生活の表も裏も味わい尽くした苦みがあるが「嫁」に生活感はない。そこを成年漫画及びラブコメで活用できるのであるが、しかし成年ラブコメにおけるポイントは「嫁」とは既に夫のものになったという事であって、しかも夫のものになって間もないから夫へと向ける愛情は非常に濃いものとなる。ラブコメとはその一番濃い部分(おいしい部分)だけを無駄なく効率的に刈り取る事に他ならない。
 というわけなので本作はかなり良い出来になるはずだったのがこのような順位となったのは「嫁」になって間もないはずの夫婦達が導入部時点では愛の対話を凝縮させていないからである。「平凡で地味で冴えない主人公が美人と結婚できている」という事でラブコメの第一関門は突破しているが、既にヒロインは「嫁」となったからには最大限の愛を主人公にぶつけなければ嫁になった意味がないのにただ「主人公が好きだから」の延長線での性交渉しか展開されず、それではラブコメの第二関門である「主人公に貢献する・献身的になる、最大限の愛情を持って応える」、そして最終関門である「主人公に支配される」には至らないのである。本来の意味での「嫁」としての性交渉は後半の「日本一の出生率を誇る町であり子宝に恵まれる名物温泉」場面まで待たねばならず、そのスロースタートぶりにこの順位となった。最初から名物温泉での性交渉を出しておけばかなりの高順位になっただろうし、そもそも「嫁」に限定しない方が良かったのではないか。「嫁」と全く関係ない短編(アイドル隊長とアイドル)の方が「アイドル親衛隊隊長の家に突然本物のアイドルが」→「アイドルがアイドル親衛隊に積極的にアプローチ」→「愛を確認しつつ性交渉、性交渉しつつ愛を確認」→「結婚、アイドルは嫁に」という事でラブコメのテンポもいいし「嫁」の持つキュートさが鮮やかに表れている。まあ、次回作に期待というとこですかな。
         
第11位:いちゃらぶっ!/もずや紫エンジェル出版:エンジェルコミックス]
いちゃらぶっ! (エンジェルコミックス)

いちゃらぶっ! (エンジェルコミックス)

 言い忘れたがエロいかエロくないか(自慰に使えるか使えないか)という基準は成年漫画編日本ラブコメ大賞においても関係ない。性交渉描写が淡白であっても問題ない。「ラブコメとして優れているか否か」というそれだけが問題で、一般部門と同じく「主人公は平凡」「主人公が消極的、ヒロインが積極的、しかしヒロインは主人公より前に出ない」等を中心に評価していくわけだが、そうは言っても成年漫画は性交渉がメインなのだからそれをどうラブコメとリンクさせるかである。性交渉という男女の関係の最も根源的で最終的な行為をラブコメとして料理していくことが求められるのである。
 というわけで本作であるが、短編集であるから玉石混交であるとは言え「消極的な主人公(もちろん、地味・平凡・冴えない)に積極的なヒロインが攻める」というストーリーラインは確保されている(そうでないものもあるが、その分は減点してこの順位となった)。各短編とも性交渉へと一足飛びに展開するのではなく律義にヒロイン側から主人公へ愛を告白した上で性交渉へと流れるが、しかしヒロインによる告白とは「巻き餌」程度で、その「巻き餌」によって主人公もヒロインに応え、応える事によって元来積極的だったヒロインは更に積極的に性交渉を展開し、それら快楽の共通認識によって主人公とヒロインは一体化するというのが本作の特徴である。そのため主人公は「地味・平凡・冴えない」「消極的」である基本設定はそのままに快楽によってヒロインより優位に立ち(快楽を与えるのはあくまで男側である)、ヒロインはその主人公に従いながら「積極的」という設定は維持しているので今後も性交渉前後はヒロインが積極的に出ながら性交渉となった場合主人公が優位に立つという繰り返しが行われる事の期待を抱かせながらフェードアウトしていくのである。性交渉前→性交渉→性交渉後の工程が非常に安定しているので読めば読むほど味が出てくる作品であった。
 しかしどのおっぱいも何となく垂れている気がするのは俺だけか。それとも巨乳ってのはこんなもんなのかな(知らんがな)。
   
第10位:デレメロ/幅ヒロカズ若生出版:WAKOH COMICS]
デレメロ (ワコーコミックス)

デレメロ (ワコーコミックス)

 とりあえず「主人公はどこにでもいる平凡な青年」で、「ヒロインはやけに積極的に主人公に絡んでくる」にしておけばいいわけだが、しかしそれだけでいいわけではない。「どこにでもいる平凡な青年」は本当に平凡なのか読者が100%何の疑いもなく「平凡」と認識できるのか、ヒロインが主人公に絡んでくる過程でいつ主人公に愛を表明するのか(或いは持続できるのか)、ただ性交渉をするだけではなく主人公とヒロインの愛の対話として必然性があってその性交渉は描かれているか…を評価しなければならないわけだが、本作の評価が難しいのは各短編のどれもが平均点を取りながらこれといった特徴がない事で、中身がスカスカなわけではないが(そうであればそもそもここで取り上げない)、主人公はどこにでもいる高校生・大学生・サラリーマンで、ヒロインは主人公に好意を持っている或いはいつの間にか好意を感じ始めている事が主人公(=読者)にはわかっているが、しかしもう一歩のところで盛り上がりに欠けている。何となく淡白なのである。
 断っておくが俺は本作を批判したいのではない。数多くのエロ漫画の中から本作を取り出す以上、そして「平凡な主人公」と「美人でかわいいヒロイン」という難しい組み合わせを勇気を持って選択した本作は優れたラブコメであり作者には敬意を払っている。しかし主人公とヒロインが出会って性交渉へと流れる一連の作業がまるで一本の線のように起伏がないのは確かで、読めば読むほどキャラクターや性交渉の印象が薄くなっていくのであった。各短編は「ヒロインから主人公に愛を告白する」「成り行きで性交渉」「それによってお互いの気持ちに気付く」等の段取りを踏んではいるものの、ではなぜヒロインには主人公が必要だったか、どうして2人は性交渉へと至ったかが読者に迫らずに進められ、特に作画力が優れているわけでもエロさが強烈なわけでもないので印象に残らないのである。それは結局のところ熱意の問題で、精神論は好きではないが、タイトルにあるように「デレデレでメロメロ」なエロ漫画にするのであればヒロインが主人公にデレるとはどういう事かを作者が吸収し消化しなければヒロインの中から「デレ」は生まれないのである。そのためどこかで見たような「デレ」をヒロインにくっつけただけに終始して印象に残らないのであった…とは言うものの、本作が優れたラブコメである事は保証する。特に性交渉後の余韻の見せ方は他の作品にはない穏やかな雰囲気で包まれている。あとは「性交渉前→性交渉」へと至る際の見せ方の問題である。次回作に期待しよう。
   
第9位:ふたりきりの放課後/槍衣七五三太コアマガジンメガストアコミックス]
 本作者の別の作品(2009年成年2位「あいらぶ!」)で俺は「『男にとって都合のいい女』の行動をラブコメ描写の流れに乗せることをちゃんとわかっている」と述べたが、本作でも同じ事が言える。その証拠に性交渉描写においてもエロを描こうとはせず、ひたすら主人公とヒロインの愛情の対話としての身体を求め合う図式に持ち込んでいる。ヒロインに成年漫画特有の「淫乱さ」がないのは、やろうとしている事は性交渉であってもそれは肉体的な快楽を得たいという即物的なものではなくヒロインが主人公ともっと深いところでつながりたいと願う事から来る行動であるからであり、それが読者には手に取るようにわかるのである。何度でも繰り返すが、主人公(=読者)が特にこれといって特徴のない平凡な青年で、ヒロインが「男にとって都合のいい女(美人でかわいい)」であればそれは優れたラブコメになのである。また独特の「丸い」絵で表現されるヒロインの「愛らしさ・可愛らしさ」の中に「消極的な主人公に積極的にアタックする」事も内包され、「都合のいい女」である事の違和感を感じさせないのも素晴らしい。
 自慰に使えるかどうかが成年ラブコメのポイントなのではない。主人公(読者)にとって「都合のいい展開」でありながら、それがヒロインにとってはどうしても必要な展開だった(主人公と結ばれる事が必要だった)、そしてその主人公は「地味、平凡、冴えない」等の俺及び諸君と変わらぬ男である事にラブコメの快楽と目的があるのであって、性交渉描写自体はあってもなくてもよいのである。しかし成年漫画である以上は性交渉描写が必ず必要なのであり、その強制された関係性の中で主人公とヒロインの結びつきを描く事でラブコメが生まれよう。作者はその関係性をうまく料理している。成年ラブコメとはそのようにして回転していくのである。
 というわけで本作は3位以内に入ってもおかしくないのに9位となったのは…本短編集の一つに「穴兄弟」的な話があったからである。アホか、それではただのしょうもない変態だ、「主人公とヒロインの関係性」云々を議論している俺の顔に泥を塗る気か。よく考えなさい。
    
第8位:おとなりカノジョ。/蜜キング[マックス:ポプリコミックス]
おとなりカノジョ。 (ポプリコミックス)

おとなりカノジョ。 (ポプリコミックス)

 俺は孤高の世界のラブコメ王なので最新の業界事情には疎いのだが、エロ漫画界にも女の進出が目覚ましいのだろうか。それは基本的にはいい事ではない。所詮女に男の生理の感覚はわからない。男なら感覚でわかるはずの「都合のいい展開」「都合のいい女」がわからない。そして致命的な事に女が描く男は「女の理想」が入ってしまうのでとても「地味で平凡で冴えない男」とは言えない。編集がチェックすればいいという問題ではない、女による「女が考える男」の感覚は油断している隙にストーリーや台詞やストーリー全体の雰囲気に忍び寄りラブコメを破壊させるのである。しかしそこは妥協で、ラブコメを破壊させなければそれなりに評価はしよう。世界のラブコメ王が偏狭であってはいけないのである。というわけで本作であるが、一応「平凡、地味、冴えない」な主人公(2次元の女に夢中で三次元の幼馴染には気付かない、等)を出してはいるが、その主人公はやはり「女が考える『平凡で地味で冴えない』男」なので展開がギクシャクして読む側としても戸惑ってしまう。何度か言ったことがあるが、オタクであろうが草食であろうが所詮男はドスケベなのであり、その身も蓋もない男の欲望願望を男ならば生理感覚として自然に描写できるが女はそうではないのでいちいち「この主人公はドスケベ」→「そのドスケベに対応するヒロインを出そう」→「主人公はドスケベなのだからヒロインは積極的にさせなければ」という段階を踏まないと前に進めないのでスピード感が損なわれてしまい、ページをめくるのがぎこちなくなってしまうのである。
 しかしながら本作が8位となったのは各短編のヒロインは主人公との関係云々とは別次元で積極的だからで、男が考える「積極的なヒロイン」となるとどうしても「主人公に愛情を持っている」事と同時に「エロ」「淫乱」が出ざるを得ず、それは「ヒロイン→主人公」という愛情のパワーを何割か打ち消してしまうが(この女はただ淫乱なだけだから俺に股を開くのではないか)、作者が女であるためにそのような「エロ」「淫乱」は無縁で、更に積極的でありながらも可愛らしさも表現するという男作者ではできない事をやっているのである。後半の金持ちお嬢様ヒロインと執事主人公の短編を読めばわかるが、男が描けば確実に痴女的になるだろう暴走気味のヒロインの行動を女が描く事でかわいらしく憎めないよう、しかし主人公に最大限の愛情を持っている事が料理されている(笑顔で「今後は基本ハメ撮り致しましょう」と言っても…ドン引きにはならない。少し引くぐらい)のである。そうであれば問題ない、ラブコメの可能性はまた一つ広がったのである。
      
第7位:かなことおじさん/大守春雨コアマガジンメガストアコミックス]
かなことおじさん (メガストアコミックスシリーズ No. 350)

かなことおじさん (メガストアコミックスシリーズ No. 350)

 ずるい言い方になるが、もし表題作を長編にしておけば1位であった。それほどまでに素晴らしかったが、短編集であるから各短編の点数の合計で評価しこの順位となった。しかし表題作「かなことおじさん」は素晴らしい。主人公は売れない小説家(32歳)であり、ヒロインは主人公の姪で女子校生(中学生?高校生?)で従順で家事全般何でもオッケーの理想の嫁さんでありながら主人公を篭絡しようと様々な手を使うのである。その籠絡しようという立ち回り方が絶妙で、無防備にその若々しい身体を主人公にさらけ出す事で主人公を野獣化させ、「赤ちゃん出来ても大丈夫だよ」と性交渉へとなだれ込み、「法律上叔父と姪は結婚できない」のだからクールダウンしようとする主人公(「ちゃんと避妊してやろうね」)にそうはさせまい既成事実を作ってやると更なる誘惑を仕掛けながらしかし最後は主人公を野獣化させヒロインは主人公の軍門に下る…という構図に持ち込んでいるのである。成年漫画に限った事ではないが何も最初から最後までヒロインが積極的で主人公が受身でなければならないというのではないのであり(それではただのサドとマゾだ)、所詮は男が女を組み敷くのが(騎上位ならいいだろうという事ではない)本来の性交渉の姿である。しかしその「男が女を組み敷く」までの決意をヒロイン側に肩代わりしてもらう事で主人公(=読者)は存分に野獣化でき欲望の限りを尽くす事ができる。それが成年版ラブコメの極意なのである。
 表題作以外の短編も状況に応じてヒロイン側が臨機応変に主人公を野獣化させる(睡眠薬を入れて叔母が甥を…え?)事に成功(して性交)しているが、やはり表題作のように「主人公との既成事実を獲得するため時間をかけて作戦を練る」というインパクトを前にしては小粒な感じは否めなかった。ラブコメとは「平凡以下」の主人公に対してヒロイン側が愛を持って応えるものであり、成年漫画であれば具体的な性交渉及び性交渉へと至る過程においてその愛を確認できるものなのである。しかしながら「ヒロインが主人公を犯す(つまり逆レイプする)」という手法は取らず、最終的には主人公側が合意の上で犯す事が大事なのである。本作によってそれを再確認できた。
   
第6位:孕みたい彼女/笑花偽エンジェル出版:エンジェルコミックス]
孕みたい彼女 (エンジェルコミックス)

孕みたい彼女 (エンジェルコミックス)

 ハーレムものには3つの事が求められる。「ハーレムを構築した主人公が罪悪感を感じない事」「ハーレムの構成員であるヒロイン達がハーレム及びハーレムにいる自分を肯定する事」そして「ハーレムのヒロイン達それぞれを一人の女性として魅力的に描く事」である。だからハーレムものは難しい。短編ならば「複数のヒロインと性交渉できた」という「両手に華」感覚で逃げる事も可能だが、長編であればハーレムである事の理由を見出さなければならない。そこで本作であるが、いきなり「百万人に一人の運命の相手」としてヒロインに逆ナンされた主人公(没個性的で、一目で何の変哲もない平凡な人間であるとわかる)はまぐわう(「性交渉する」ではなく「まぐわう」と言った方が本作には適しているのでこう言う事にする)。そしてまぐわいを繰り返すうちに誘ってきたヒロインの方が主人公にのめり込んでいく事が主人公(=読者)にわかり、くの一であるヒロインから技を授けてもらった主人公はその技によって様々な魅力的な女と関係を持つようになるが、その女達は「主人公にはヒロインがいる」事をわかった上で主人公と性交渉になだれ込むわけだから主人公の罪悪感は軽減され、むしろ主人公は「自分にモテ期がやってきた」という希望と高揚感を味わう事ができるわけである。後半に入るとその「主人公とヒロインと主人公のモテ期」とは別に「忍びの者たちの戦い(蓮華流VS不動流…でいいのかな。よくわからんなあ)」が展開され主人公とヒロインにも危機がせまるが、主人公はそこでも技を使って刺客の女を性的に征服するのであり(ただしそこで「できる事なら心の傷を少しでも癒してあげられたら…」と歯の浮くような事を言うので減点となったが)、危機に対処するための性交渉という事でここでも罪悪感が軽減される。とは言え罪悪感が完全になくなるわけではないが、終盤近くになって「実は主人公は一族の救世主となるべき男」という事で「一族の救世主となるような男ならば一人の女に独占される事はない」ということでそれまでの主人公の行動を肯定させ、しかしヒロインには「結婚を前提に付き合ってくれませんか」と改めて発言する事でヒロインとの関係も回収しているのであった。
 しかしながらハーレムものの醍醐味は何と言っても「孕みエンド」であり、本作ではヒロインを含めた4人の女が「もうすぐ会えますね、私の赤ちゃん」「喧嘩はやめましょうよ、私たちは主人公の子供を産める仲間なのですから」と言う事でハーレムがある、ハーレムにいる事も肯定されているのである。これぞ男のロマンであり、このようなハーレムを自分にも構築できるかもしれないと希望を抱かせる(百万人に一人なら自分にもチャンスがあるかもしれない)事がラブコメなのである。
  
第5位:そとの国のヨメ/睦茸ワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]
 12位で長々と説明したように「嫁」というのは特別な存在であり、やや嫉妬深い嫁1と一途な嫁2に囲まれハーレムとなる本作は1位となるはずだったが、それよりもまず主人公の平凡性はどうなのかというと「やる時はやる」(セックスの事を言っているのではない)主人公なので(「何年の付き合いだと思ってるんだ」「遠慮なんかさせないからね」)この順位となった。かようにラブコメにおいては一般・成年を問わず「主人公は平凡か否か」が絶対的に重要視される事を繰り返しになるが言っておこう。
 で、内容であるが、ヒロインを2人配置し、1人は主人公に対しツンデレ、1人は主人公に最初からデレデレにして、ヒロイン1とヒロイン2が諍いを起こす事でヒロイン達が内に秘めている想いが発現され、その発現によってやる時はやるが(セックスの事を言っているのではない)普段は特に何という事もない平凡な主人公の存在が物語上でクローズアップされ、主人公の存在感に比例してヒロイン2人の想いも大きくなりヤる時はヤる事で(セックスの事を言っている)ヒロイン2人の中で自分(=主人公=読者)がどれだけ大きい存在であるか、依存されているかがわかり、ハーレム状態(不安な3人4脚)へと流れ込む事を自然に浸透させる構成となっている。そのため読む方は「肩の力を抜いて読む事ができる」どころか、頭をカラッポにして読む事ができ、読後は充電完了した携帯電話のようなパワーを持つ事ができよう。
 また本作者の別作品(2010年成年6位「あまみドコロ)でも述べたように、本作もその甘さに特徴がある。とにかくヒロイン2人は主人公がいなくては生きていけないほどベタベタなのであり、それはサキュバスだからという設定上の問題なのであるが、その設定すらも主人公とヒロインの愛情の中に落とし込んでいるので主人公(=読者)は安心して性交渉に励む事ができる。またヒロイン達はサキュバスに生まれて主人公(=読者)と出会った事を心から幸せと感じており、本作は性交渉を通した甘い愛の物語であった。ラブコメとは主人公とヒロインと愛の物語であり、その愛をいかに主人公(=読者)に都合の良いものにするか(甘ったるいものにするか)が問われているのである。
 ところで、性転換ものって本作のヒロインのような事を言うんですか。えらく可愛かったんで、ちょっと手を出してみるかなあ…。
   
第4位:禁愛乙女/肉そうきゅー。[マックス:ポプリコミックス]
禁愛乙女 (ポプリコミックス 93)

禁愛乙女 (ポプリコミックス 93)

 暗黒の90年代の時代から孤軍奮闘してきた俺のおかげで最近は和姦傾向のエロ漫画が増えてきたが、そのほとんどが「昔みたいにヒロインを淫乱にして適当にヤらせといたら世界のラブコメ王に教育された奴らが納得しないからとりあえず主人公と相思相愛にしておくか。面倒臭えなあ」というものばかりであり、それではラブコメにならない。「主人公とヒロインがヤりました、いや、愛し合いました」だけでは駄目で、ものすごく俗っぽい言葉で言えば「モテない男が美人の女をゲットし、男はモテない自分がゲットした事の優越感を味わい、それでも主人公は『何かの間違いじゃないだろうなあ、いつか別れてしまうんじゃないだろうなあ』と不安になるかもしれないのでその不安も払拭させる」事が成年版ラブコメに求められるのである。
 「そんなものがあるか」と言われるだろうが、本作がある。性交渉前→性交渉→性交渉後の主人公とヒロインの動きを丁寧に描く事で、「モテない男」で「価値がない」はずの平凡主人公は美人でかわいいヒロインにとっては世界でただ一人だけの愛する男である事を認識するのであり、それによって読者(=主人公)を優越感に浸らせ、しかも「俺みたいな平凡な男が何でこんな美人でかわいいヒロインをゲットできたのだろう」「ゲットできたのはヒロインの気まぐれにたまたま当たったからで、いつか捨てられるんじゃないだろうなあ」と劣等感と疑惑を抱かせないよう性交渉及び性交渉後においてもヒロインの圧倒的な愛情で主人公を包んでいるのである。まさに「圧倒的な愛情」と呼ぶのが本作ではふさわしいが、そのような偉大なものを提供できるのはラブコメだけであり、読者は「希望と救済」を感じる事ができるのである。
 各短編ともヒロイン側からアプローチするが、そのアプローチに至るヒロインの想いを主人公にぶつけながら(例:「バカップル兄妹」)それが決して主人公にとって重くならず、しかしその想いは「ヒロインの方から言い出さざるを得ない」ほど大きくどうしようもない事を主張しており、それに主人公(=読者)が応えて性交渉を行っている時も性交渉が終わった時も継続してヒロインは主人公に対して大いなる愛情を身体全体で表現しているのでページのどこを取ってもラブコメ的表現に溢れているのであった。そのため主人公(=読者)は安心して作品世界に浸る事ができ、読後は充電完了した携帯電話のようなパワーを感じる事ができよう。この溢れ出るほどの圧倒的なラブコメ的パワーはもちろん作者自身の力量によるものであろうが、これほどのパワーを躊躇なく提供できるのはやはり掲載誌である「ポプリクラブ」(2006年成年1位)があってこそではないか。これからも大事にしていかなければな。
   
第3位:俺の嫁メモリアル/杉浦次郎茜新社:TENMA CIMICS LO]

 俺は世界のラブコメ王でありロリコン王ではない。しかしラブコメ王は寛容であるからロリコンであろうがなかろうがそれが反ラブコメでなければ許容しよう。ヒロインが小学生であろうが熟女ババアであろうが主人公への接し方がこれまで述べてきたラブコメのセオリーを満たして、主人公が平凡な男であれば問題ないので安心されたい。
 というわけで本作品であるが、「小学生にしてご主人様専用の卑しいメス豚です」「こんなかわいい10歳児が僕のものになるなんて夢みたいだ」「変態小学生の子宮を子種でタポッタポにしてやる」に代表される、まあフィクションだから許される犯罪的な言葉がそこかしこに飛び交いながら9歳だか10歳だかの小学生とヤるわけだが、その小学生ヒロインがとにかく純粋に主人公に対して愛情をぶつけてくるので主人公側も誠意を持って応えなければならず、とは言うものの主人公は例外なくロリコンなので欲望の限りを尽くしてしまうが、しかしヒロインは主人公が大好きなので(「いい大人なのに赤ちゃんみたいや、かわいいよー」「そういう事はさあ、他人様に漫画で言うんじゃなくて私に言ってくんねえかな。言葉とおちんちんで」)問題ないわけである。
 つまり好きな女がただ小学生だっただけなのである。主人公側は小学生ヒロインに愛を表現しようと小学生ヒロインの小さな性器に凶暴で獰猛な性器を押し込むわけだが、それが愛情表現である事は主人公もヒロインも、そして読者も分かっている。だから主人公(=読者)の性器を小学生ヒロインの中に入れることによって「あいしてる」が伝わるのである。ヒロインはその「言葉とおちんちん」に全身で喜びを表現し、主人公に愛しさを感じ(「一生エロまんこの面倒見てやる」「一生…見てえ…」)性交渉の盛り上がりはピークに達する。打算を覚えた大人ではなく小学生だからこそ表現できる事もあるのであり、本作はそれを見事に表現している。小学生ヒロインは主人公の「かわいいお嫁さんになる」事を目指すが、その「お嫁さん」とはいわゆる小学生の女の子がいう可愛らしい幼い想いであり、その「愛らしく幼い純粋な想い」を持った小学生ヒロインを前にして主人公は奮い立つのである。何度も言っているが、性交渉の「きっかけ」をヒロイン側が誘発するところにラブコメの最大の魅力があるのであり、性交渉という上昇気流に乗ってしまえば男は果敢に女という大陸に挑み主人公側もまた愛を囁くのである(「自慢したかったんだ、俺の嫁さんが世界一かわいいて」)。とにかく俺は感動した。ロリコン界の事はよくわからんが、こんなにいいラブコメがあるなら俺は君達を支持しよう。「将来ある女の子がロリコン男に嫁いで毎日スケベな事されて幸せ」。
   
第2位:好きだらけ/なぱた[ワニマガジン社:WANIMAGAZINE COMICS SPECIAL]

 大事な事なので何度でも言うが、ヒロイン側が積極的に主人公をリードしなければならないが、淫乱(「男なら誰でもいい」「挿入してくれるなら誰でもいい」)にしてはならない。成年版ラブコメにおいてはヒロイン側の積極的な性交渉への助走は「相手が主人公(=読者)だから」という理由付けが必要なのであり、その「主人公が相手だから」ということを主人公・ヒロイン・読者がしっかりと確保した上で「成年漫画としての表現」に移行する事でラブコメとして完成されるのである。
 では本作はどうなのかと言えば主人公とヒロインが性交渉へと突入するわずかの間にヒロインが主人公へ依存している、もう主人公の事が好きで愛しているから性交渉がしたくてたまらないという事をヒロインの身体全体を使ってほぼ完璧に描いているところがかなりの高得点であった。また陰影を駆使して肉感的に表現したヒロインの肉体は非常に高い作画力であり、その「エロ」を感じさせるヒロインがひたすら主人公への愛を表明するのだから成年版ラブコメの理想形というよりはお手本であって、ラブコメに必要なのは練り込まれた設定でもなければ淫乱なヒロインでもない、「主人公(=読者)とヒロインの関係性」に対する真摯な態度であるという事を再認識させられた。
 とにかく各短編のヒロインは主人公及び性交渉へと飛び込むその勢いに迷いがない。そのおかげで主人公(=読者)は全く身構える必要がなく自然に対応する事ができ成年ラブコメのもう一つの効用である性欲処理を果たす事もできるが、そこで主人公が次の段階、「自らに依存しているヒロインを更に依存させる事で支配する」ところまで行かないのが少し物足りなくもあり1位を逃した。忘れてはならないのはラブコメとは男が女より優位に立つ思想ということであり、最終的に主人公(=読者)は女を征服(支配)しなければならないのである。そうする事によって読者は自信を得るのである。まあそれについては1位で述べる事にしよう。
 しかし…この猫耳と首輪の破壊力はすごいな。
   
第1位:つくろう!オナホ姉/秋神サトル[ティーアイネットMUJIN COMICS]
つくろう!オナホ姉 (MUJIN COMICS)

つくろう!オナホ姉 (MUJIN COMICS)

 あー、やっと1位まで辿り着いたか。疲れたなあ。やっぱり1年休むと勘を取り戻すのがしんどいわ、しかしやっぱりアレですな、もっとちゃんと体系立てて理論を構築しないと駄目ですな。ただ勘と経験だけで文章を書いてもねえ、冗長なだけで、結局どこが一番大事なポイントなのかわからなくなるというかねえ…。
 そんなわけで本作であるが、まず優れた成年ラブコメとは何かと言うと繰り返しになるがヒロインが主人公に積極的に愛を表明する事である。その愛を確認するために性交渉の現場が描かれ、常にヒロイン側が性交渉の機会を提供する事で主人公はヒロインを支配するわけだが、それを更に極限まで突き詰めればヒロインが「主人公(=読者)の肉便器である」を肯定する事になろう。もちろん「肉便器」と言ってもそれは主人公のために身も心も捧げるという意味であり、ただの淫乱(「男なら誰でもいい」「挿入してくれるなら誰でもいい」)ではない。主人公(=読者)専用の肉便器であることが絶対条件であるが、それを本作ではくどいくらい表明しているので安心して読む事ができる。
 ひたすら性交渉を要求してくる主人公に対して「私は世界で一番幸せな女の子よ」「一生あなたの都合の良い肉便器でいいからずっと傍にいさせて」と言い、「あたし生オナホになるよ、お兄ちゃん専用の穴になります、どんな命令でも喜んで従います」「オナホ代わりに使われるのが幸せ」と言うのはまさに肉便器である事を肯定し強調しながらそれが主人公専用である事を表明しているわけで、しかもそんな主人公は「平凡で地味で冴えない」ただの男なのだから読者は燃え上がる勢いで本作を読む事ができる。そして肉便器なのだから主人公(=読者)がどんな変態的な事をしようともヒロインがそれに身を震わせながら喜ぶ事はわかっているので、主人公(=読者)は無敵となり、欲望のタガを外し、想像の羽に乗ってどこまで飛べる気になれる。それは日本ラブコメ大賞成年版が追い求めてきた一つの到達点である。自信と誇りを持って本作品を1位と主張して今年を終え、「日本ラブコメ大賞2014」に向けて生きていくことにしよう。「子作り披露宴最高よ!」