美しい日本の政治と醜悪な国際政治

 非常に卑近な例を出そう。Aという会社員がいる。平々凡々、仕事はそれなりにこなすが優れた能力があるというわけではない。しかし社内での評判は良く、人脈も豊富である。なぜかと言えば簡単なことで、A氏はB部のB氏と飲みに行った時はB氏と一緒になってC部のC氏の悪口を言い、C部のC氏と飲みに行った時はC氏と一緒にB氏の悪口を言うからである。他人同士が最も結束するのは共通の敵を前にした時であるのは古今東西不変の心理であるから、このようにしてAはそれなりの地位を確保する。もちろん「それなりの地位」を確保するには仕事上の能力が前提だが、そんなものはある程度我慢して一生懸命働けばいつの間にか備わってくるのである。むしろこれこそ「サラリーマンに必須のコミュニケーション能力」というものだ。
 通常こういう人物はあまり好かれない。当人にとっては自らの地位確保のための合理的な行動なのだが、あっちにいい顔をしてこっちにいい顔をしてけしからんというわけである。しかしながら様々な人間が渦巻く現代社会において多かれ少なかれそのような振る舞いをせざるを得ないのは仕方がないことのはずだ。そのような「醜悪な」人間関係もまた、古今東西不変のものである。
 何が言いたいかというとアメリカの外交のことである。当然日本とアメリカは強固な軍事同盟を結んでいるわけであるから北朝鮮はけしからん中国も要注意だから一緒に行動しようとアメリカは日本に言ってくれる。ではアメリカは本当に北朝鮮や中国に対してそのような姿勢で臨んでいるのだろうか。日本がいない場で、「日本はけしからん。一応俺は日本と軍事同盟を結んでいるがしかしあれはないよねえ」と言っている可能性は十分にある。そうすることによってアメリカは日本・中国・北朝鮮といったアジアの大国とそれぞれ信頼を勝ち取ることができよう。
 「そんなことはない、アメリカはそんなことしない」というのが日本人の大半の考えであるが、しかしその根拠は何なのだろう。日米安保という仁義があるからか。日本がいない場で、日本にいい感情を持っていない北朝鮮や中国に「俺は日本の味方だから」という奴がいたらそれはただの空気の読めない奴である。外交は国益をかけた戦争、つまり戦争なのだから、複雑怪奇な情報を流し、和戦両方の対策を講じ、あらゆる国とあらゆるレベルでパイプを持っていなければならない。嘘をつくことなど日常茶飯事であり、嫌いな奴にも笑顔で握手するのは国際政治の基本中の基本である。
 「他人同士が最も結束するのは共通の敵を前にした時」である。北朝鮮がミサイルを発射するかもしれない。日本だけでも迎撃はできるがアメリカがいれば心強い。アメリカは自分たちに協力してくれる。ありがたい。それにくらべれば経済支援、銀行支援など取るに足らないことだということで流れは作られる。つまり北朝鮮が日本に対して攻撃的な態度に出れば出るほど日本にとってのアメリカの重要性が増すのである。だからアメリカが北朝鮮をけしかけているのだ、とは思わない。しかし二枚舌を駆使して結局得するのはアメリカなのは事実である。そして「二枚舌」は国際政治の基本中の基本である。「対話と圧力」などともったいぶって言う必要はない。外交は戦争なのだ。戦争下において建前やきれいごとほど役に立たないものはない。
 よく「庶民の目線に立って政治をしてほしい」と言う。俺もそれは賛成する。政治とは聖人君子による「きれいな」政治ではなく、我々庶民とちっとも変わらない人間の、権力をめぐる壮絶な闘争である。聖人君子でない我々は時に醜悪な顔を見せるのであり、そうであれば政治にも当然そのような一面があって然るべきである。八方美人でおべんちゃらを使って人の顔色を見て生きていくような「醜悪な」人間を批判し、「美しく」「きれいな」生き方をするのは一向に構わないが、国家と国民を背負う政府がそんな状態ではこの弱肉強食のグローバル経済を生き抜くことなど到底できない。俺の言わんとする事がおわかりかな。