新しい人よ眼ざめよ/大江健三郎[講談社:講談社文庫]

新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)

新しい人よ眼ざめよ (講談社文庫)

 考えてみれば大江健三郎の小説は俺が文学の門を恐る恐る叩き始めた高校2年の頃から断続的に読んでいて、読む度に思うことだが大江の小説ほど常に難解でグロテスクなものはない。大江作品で常に重要な役割を担う四国の奥深い森や敗戦直後から昭和30年代の混乱期を生きる若者の青春や障害を担ってこの世に生を享けた子供等はいつも生と死と暴力とセックスを暗く歪んだ形で読む者に突きつけ、そこからいかに「救い」や「生きる喜び」を見出すのかを我々は作者と共に息苦しい思いで辿らなければならない。
 作者の作品は常にそうだが、「苦しむ者」としての自分がいることから始まる。その自分を苦しめる極めてプライベートなものを綿密に描きながらいつしかそれは現代社会の共通の病巣として普遍化され、自己の救済(普遍的な救済)を探し求めほんの小さなわずかな希望を見出すという繰り返しの中で作者の小説は常に昇華され続けていると読む度に俺は思うのである。
 本作は大江本人である「僕」が、昔出会ったイギリスの神秘主義詩人ブレイクの詩をその人生において幾度もまみえる危機の中で思い出し、時に思いがけず救われながら歩んできたことで「救い」を非常に壮大なものとしてイメージできる作品である。グロテスクな現実と気高い詩との対比、これこそ大江文学の真髄である。
 「人間は労役しなければならず、悲しまねばならず、そして習わねばならず、忘れねばならず、そして帰ってゆかなければならぬ/そこからやって来た暗い谷へと、労役をまた新しく始めるために」というブレイクの詩がある。障害を持って生まれた息子、その息子と家族を襲う幾度の危機の中で無力な彼らはどうすることもできず立ちすくむだけであるが、知性を失った息子は代わりに「無垢の力」を持って家族という祝祭の祭司としての生き方を選んだ事が「僕」の心をわずかながらも救うのである。このあたりは本当に感動的としか言いようがない。暗闇に一陣の光が射すようであった。
 障害児の息子は幼児の頃の呼び名であるイーヨーと呼ばれているが、20歳となり養護学校の寄宿舎で一時的に生活することになり、「僕」や家族の手を離れ、一人で生活するのである。そして帰ってきたイーヨーに家族は豪華な晩餐を用意する。
 ――イーヨー、夕御飯だよ、さあ、こちらにいらっしゃい。
 ――イーヨーは、そちらへまいりません!イーヨーは、もう居ないのですから、ぜんぜん、イーヨーはみんなの所へ行くことはできません!
 頑なな息子にまたも動揺する家族だが、ここでイーヨーの弟は言う。
 ――今年の六月で20歳になるから、もうイーヨーとは呼ばれたくないのじゃないか?自分の本当の名前で呼ばれたいのだと思うよ。寄宿舎では、みんなそうしているのでしょう?光さん、夕御飯を食べよう。いろいろママが作ったからね。
 ――はい、そういたしましょう!ありがとうございました!
 この場面はちょうどこの息子が生まれてすぐに書かれた「個人的な体験」で若い頃の「僕」が「鳥(バード)」と呼ばれ、様々な彷徨の後「そのような子供っぽい名前は終わりにしよう」というシーンと重なるものがある。大江文学を読み解くキーワードかもしれない。
 大江文学で読みやすいものは一つもない。全て例外なく難解である。だが読み終えた後の胸に深く残る感動は後世に語り継ぎたいものである。と、俺らしくないことを言うものだから非常に疲れました。BOOKOFFに行って秋葉原に行って風俗に行ってとにかく遊びに行こう。