人事権!・管理職降格 高杉良経済小説全集(4)[角川書店]

人事権! 管理職降格 (高杉良 経済小説全集)

人事権! 管理職降格 (高杉良 経済小説全集)

 働くことは苦痛だ。金さえあればひきこもり、趣味に没頭してしまいたい。現場の実態を知らずただ威張り散らすだけの上司や経営陣に日夜プレッシャーをかけられ、ライバル他社は虎視眈々と取引先にモーションをかけ、社内の複雑な人間関係に巻き込まれ、コンプライアンスや内部統制といった名目で業務量は飛躍的に増えていく。だがそのような過酷な労働に身を投じなければ生活ができないのであって、いや本当に生きていくのが嫌になります。本書で描かれるのはいずれもバブル崩壊前後の、グローバル経済前のまだ日本経済に余裕があった時のサラリーマン戦士たちだが、今も昔も変わらない管理職ミドルたちの右往左往ぶりを実に生々しく描いており、現役サラリーマンとして非常に好感を持って読むことができた。
 「人事権!」という表題が示す通り、人事権というのは大変なものである。家庭を持ち、年頃の子供を持つ大黒柱を東京から地方へ、あるいは地方から東京へ移動させる力を持つからで、それによってプライベートがモロに影響を受けよう。或いは勝手がわかって好成績を残してやる気もあった仕事を外され、また一から出直して別の仕事を覚えるというのは俺のような若手ならともかく40代、50代にとっては大変な苦痛である。そのような「人事権」を行使することによって経営者は自らの力を示すことができるが、それが適材適所ではなくただ経営者の好みで行われた時「私的乱用」となり社内のモチベーションは著しく低下しよう。本書では60代後半の「代表取締役会長」の人事権に主人公の秘書室次長をはじめ専務や社長までが振り回され、それが適材適所によるものではなく会長の失態を隠すためだったりただ自らの影響力を誇示するためのものであったりすることが明白であるのに断腸の思いで従うしかないサラリーマンの悲哀が読んでいて胸にせまった。また老練な証券会社の社長におだてられその隙をつかれてしまう会長や「袖の下」に抗えない主人公、会長の秘書で自分が会長を引っ張っていると勘違いをしている40代後半の女などの描写もお見事。結局サラリーマンにとって「仕事ができる」が全てではないのであって、人間関係や周りへの気配りも大事だということか。うーん、なかなかしんどいですなあ。
 もう一つの長編が「管理職降格」であるが、こちらは読んで胸にせまるというよりも憂鬱になってしまった。平凡で真面目だけが取り柄の主人公は銀座にあるデパートの外商部の課長なのであるが、年間二億円の売上をあげていた取引先から取引の停止を通告されてしまうのである。長期契約を結んでいるわけではないからそれまでであるが、主人公は必死で抵抗し、取引先への独自のコネ(大学の同級生)を使い連日電話攻勢を行い、更には上司への事前相談なく独断で20%引を取引先へ提案し部長・店次長を通さず店長へ直談判するのである。2009年のサラリーマンである俺の感覚では「そんな大事なことは部長とかもっと上の人間にやらせろよ」と思うが、1984年当時ではむしろ「大事な仕事ほど上から丸投げされていた」らしい。1984年といえばまだグローバル経済戦争もないから学歴や気配りだけでえらくなって仕事も何もしない奴がのうのうと生きることができてそういう責任重大で下手をすれば自分の首が危ないようなことは極力現場に丸投げされていたのである。
 とにかく主人公は仕事のことで頭が一杯で家に帰ってもなかなか家族と団欒の時間を持つことができず、妻(キャリアウーマン兼主婦)との性交渉も疎遠となる。37歳の火照った身体を持て余した妻は偶然出会った高校の同級生で離婚歴のある遊び人風歯科医とのSEXに走り、まあキャリアウーマンとかいう女は大抵阿呆なのだがこの女はまたかなりの阿呆ちゃうかとのん気なことを言ってはいられない。主人公には中学生の子供(姉弟)がいるのであり、特に姉は高校受験を控えた微妙な時期なのである。妻の浮気を知りながらも子供たちのことを考えて「離婚する気はない」と断言する主人公、実はこの姉は金があるのに万引きするという奇妙な行動を起こしているのだが、ああまたしても憂鬱になってきた、仕事では取引先や上司からせっつかれ、家庭では妻や子供との関係に悩み、安らぐ場所がないではないか。しかし人生は続くのである。何が正しくて何が間違っているかなどわからず、明日は今日より暖かく、穏やかな風が吹いてくれることを願いながら生きてゆくのみである。