お父さんの会社/草上仁[早川書房:ハヤカワ文庫JA]

お父さんの会社 (ハヤカワ文庫JA)

お父さんの会社 (ハヤカワ文庫JA)

 日本のお父さんたちサラリーマンたちは今日もどこかで身を粉にして働いている。愛する妻子のため、社内での根回しと調整・上司の顔色窺いと尻拭い・とりあえずの会議と出張・つきあい残業・ライバル社との価格競争・マスコミ対策・コンプライアンスの徹底…等々、とにかくお父さんたちは大変であるが明日の飯を稼ぐため今日も働くのである。しかしながら本当に心の底から嫌で嫌でしょうがないのに働いているかと言えばそうでもない。組織の一員であることの安心感・大企業で働く事の優越感を感じることもあれば、家庭では妻からも子供からも相手にされない鬱憤を晴らそうと嬉々として働くこともある。更には中年・初老となって若い者への嫉妬からがむしゃらに働くこともあろう。実際俺の周りにも「家に帰ってもTVを見るだけなので別に休日出勤しても構わない」というおっさんはかなりいて、やはり日本のサラリーマンはサラリーマンであることが一番安心するのだなあと感じたりもするわけで、本書の主人公のように会社から帰って、また「会社で様々な仕事をする」ゲームに没頭しても何ら不思議ではない。
 「ファイナルファンタジー」や「ドラゴンクエスト」の世界の主人公となって壮大な世界を旅するのは確かに楽しいだろうが、もう妻も子供もいて毎日の会社勤めで疲れているお父さんたちにとってはそういう胸ワクワクするような冒険は疲れるだけであって、それよりは幾多の困難(上司のいじわる・部下のご機嫌取り・お局様対策)を乗り越えて出世の階段を昇っていくゲームの方が肩肘張らずにプレイすることができて今やサラリーマンたちに大人気、ところがゲームにあったプレゼン資料が現実の会社で表れ、主人公はこの仮想ゲーム空間を舞台にした壮大な陰謀を暴く事となる…などと言っても特にワクワクするようなものでもないのがまたサラリーマン向けでありますが。
 ただし本書の見所はそういうストーリーではなくて、「現実の会社」と「ゲームの会社」を行き来する主人公やその他の登場人物は皆いい大人なのでゲームに必要以上没頭することはない、仕事や家族のことを考えて許される範囲で「遊ぶ」ところにあって、しかしその「遊び」が誰かの企みによって利用されていることを知るや「現実の会社」の面々と作戦会議を繰り返し、やがて「ゲームの会社」を操っているラスボスを引っ張り出す事に成功するが、それらをあくまで「現実の会社」を基本にストーリー展開していくところが好感が持てよう。所詮ゲームとは遊びなのであり、遊びに対して真剣に向き合うことはあっても「生活の一部」となるような、言わば一線を越えることは大人にはありえない。むしろそう認識することによって「現実」と「ゲーム」という二つの世界を行き来することの爽快感を味わうことができるのであり、本書のそのような姿勢こそ2014年における我々が見習うべきであろう。
 またサラリーマンが主人公である事から日本のサラリーマンたちの弱点についても本書では述べられている。それは「終身雇用、秘密主義、排他性」であり、時代が変わったとしてもその習性は今後もしぶとく生き残るであろうと予言している。だがそれは世界のどの国も持ち得ない武器にもなる。そして日本中の誰もがこのゲームにのみ存在する会社、グローバル・マーチャンダイジングエンタープライズの社員としてプレイし、各々の知恵を出し合った時、サラリーマンであり、子供たちの未来に責任を持つ父親であり、国に尽くすべき国民である我々は新たな生活、新たな労働の形を切り開くことができるかもしれないというささやかな希望と共にフェードアウトする本書はエンターテイメントSFとして読み応え十分であり、ああ読書って素晴らしいと満足しながら本を閉じるのである。
 
 だが、だからと言って、一体どうすればよかったというのだ。
 妻がどれだけぼやいても、愚痴をこぼしても、会社の仕事を放り出すわけにはいかない。企業は、営利集団だ。会社が、組織として見せる冷たさは、主人公たち勤め人が、一番よく知っている。残業も転勤も厭わずに、懸命に働かざるを得ない事情が、彼らにはある。日本の企業は、これまでずっと、そういうやり方をしてきた。
 異質だとかルール違反だとか、欧米の連中は勝手なことをほざいているが、日本にとっては、これが生き残りの方法だったのだ。