盗聴 二・二六事件/中田整一[文藝春秋:文春文庫]

 NHKのドキュメンタリー「戒厳司令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」(1979年)は、俺も視聴済みである。もちろんリアルタイムでは見ていないが、NHKアーカイブス枠で再放送していた時(2003年)に視聴し、ビデオに録画しておいたのでその後も何度も見た。特に2月28日夜の、蹶起部隊を原隊に帰順させるための説得の電話、高橋中尉(歩兵第三連隊機関銃中隊)と上村軍曹の会話は今でも鮮明に覚えている。歴史は常に、そこに居合わせた人々の苦悩によって積み上げられる事を教えてくれた貴重な映像であった。

 本書ではその高橋中尉と上村軍曹のその後も詳しく書かれていて、上村軍曹は不起訴となったが行政処分によって除隊され、「天皇に刃向かった軍人」という不名誉を払拭するため満州国・新京で警察官として再出発、時同じくして満州へ移駐した高橋中尉はそんな上村を激励に訪れ涙の再会を果たすも、その後高橋中尉は激戦地・ニューギニアに送られ戦死。上村は生き残ったが、命からがらの満州からの引き揚げ、事業の失敗、最愛の一人息子の死などにより流転の人生を送る。また高橋の遺族は遠縁の伝を頼って鹿児島に移住し、高橋の妻・亀代は戦後、職業軍人の妻として辛酸を浴びながら四人の子供育て上げたが、その亀代達が住んでいた鹿児島の地と、生き残った上村が不動産屋を構えている場所は目と鼻の先であり、上官の遺族と上官に救われた部下は、お互いに知らぬまま隣り合わせに生きていたのである。人の世は奇妙な巡り合わせの連続である事を本書で思い知らされよう。

 また盗聴を録音したレコード盤が作者(「戒厳司令『交信ヲ傍受セヨ』二・二六事件秘録」担当プロデューサー)に導かれる経緯も大変面白い。昭和16年、千葉の陸軍野戦砲兵学校教官から東部軍(首都圏や宇都宮・仙台・金沢等の諸都市の防空と警備を目的とした組織)参謀に転任した田島和市中佐は記録文書の保管庫に「二・二六事件資料」と墨書された紙箱を発見し、まだ事件から5年しか経っていない中で好奇心に駆られるまま田島は二箱のうち一箱を自宅に持ち帰ったが、当時のレコード盤の性能からして既に聞き取れる状態ではなかったと予測され、やがて太平洋戦争が始まり、二・二六事件もそれに関する盗聴も記録も誰も気にしなくなった。

 その後昭和20年の敗戦の混乱の中で田島が持ち帰らなかったもう一箱は消息不明になり、田島も昭和24年に死去する。そして昭和38年、田島の息子・田島大策は父が秘蔵していたレコード盤をNHKへ寄付するも、その頃のNHKは翌年に控えたオリンピック放送を契機に移転作業(港区内幸町から渋谷の放送センター)を行っており、慌ただしい引っ越しの中で20枚のレコードが入った紙箱の存在も忘れ去られるが、時を経て昭和52年(1977年)、「NHK放送文化財ライブラリー」部長・塚田は古びた紙箱と「二・二六事件資料」を目にする。しかしレコードをプレイヤーにかけたところで雑音が不快に響き、何を話しているか聞き取れない。そこで塚田はNHKの電子音楽室の装置を使用して音声を再生、「クリハラ」と名乗る男、「首相官邸です」という交換手の声、異常に緊張した息遣いに塚田は音盤の音声復元作業を決めた。またNHKの場所は二・二六事件で死刑判決を受けた十九名の銃殺刑が執行された場所と近く、処刑場跡地に最も近い放送センター2階の宿直室の廊下辺りで、深夜、青年将校の亡霊を見たという風説も古参のNHK職員の間では語り継がれており、塚田も作業中に背筋が寒くなる事が幾度かあった。

 そして昭和53年(1978年)、教養部番組制作班所属の作者の耳にこの話が入り、作者は特集番組を制作、それからも二・二六事件に人生を狂わされた人達の足跡を辿るのであり、当然だが二・二六事件によって誰一人幸せにはならず、それぞれが苦悩と苦悶の人生を送った事を知る。盗聴を命じられた軍人の一人は戦後も、誇り高き大日本帝国の軍人が、味方の電話内容を盗聴してそれを録音までするという事を生涯悔いていた。大日本帝国の崩壊は数々の悲劇を生み、戦後生き延びた人々の人生をも壊したのである。

    

 三十年来、間をおきながらも二・二六事件の取材にどっぷり漬かっていると、脳裏に焼きついて離れない事件関係者の忘れられない一言がある。事件が起きた二月の頃に思い出すのは、西田税の妻・はつさんが呟いた「2月と7月はいやでございます」という苦渋に満ちた言葉。安藤輝三大尉の妻・房子さんが「子供達が(この声を聞いて)、何と言いますかねえ…」と、録音盤を手でさすりながら、はじめて聞く夫の電話の声に愛おしさをこめて語った言葉。そして盗聴録音をした元戒厳司令部通信主任・濱田萬大尉の「盗聴なんかやったばっかりに…軍人の名誉を汚してしまって…」という悔悟。いずれも突然、事件に巻き込まれた人々の、生々しい歴史の傷跡が残るその呟きであった。盗聴をした方もされた方も、いずれも過酷な運命にさらされたのである。