- 作者: 賀来弓月
- 出版社/メーカー: 中央公論社
- 発売日: 1998/07
- メディア: 新書
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インドの偉大な指導者・ネルー首相の経済政策は「国家指令型混合経済」と呼ばれ、経済主体としての公共部門・民間部門を混合させながらも、国家が中心となって工業化や科学技術の浸透を図るものであった。これは独立後間もないインドでは民間企業の基盤が脆弱であったことから採用された措置であるが、容易に想像できるようにこれでは国家が公営企業の所有者・経営者・銀行(融資者)・主要な借り手(被融資者)・供給者・消費者の役割を担ってしまうことになって、公共企業の経営者と労働者の官僚化という問題が発生する。その後深刻化する財政赤字や冷戦終結によって1991年7月に「国家指令型混合経済から市場経済への移行」による経済改革に踏み切るのだが、本書発売当時である1998年にはまだ目立った成果は見えていない。特に公営企業改革は足踏み状態であり、これには後進諸カースト/サブ・カースト(OBCs)制度の人々が「逆差別措置」によって政府や公社に一定の地位とポストを占有してきたことから自由化に反対しているというインド独特の問題も絡み、予断を許さない状況が続いているのである。
またインドの伝統的な外交政策が「非対称性」であるというのは有名な話であって、ガンジーは大英帝国に対して「軍事力」で対抗するのではなく「非暴力という名の非在来的な武器」を持ち出すことによって戦いの空間を転換したのであり、それを発展させたのが「国連において安全保障理事会を外して総会を盛り立てる」戦略である。拒否権を持つ常任理事国と同じ空間にいても勝負は目に見えているから総会を主戦場にするという外交戦略は世界から高く評価された。しかしながら1998年5月にインドは地下核実験を決行し世界を驚かせた。それはインドが非対称性の論理ではなく現実のパワーゲームにおいて大国の地位を要求することを意味する。残念ながら外交問題について俺はあまり詳しくないが、パワーゲームにおける国の優位は常に「軍事力と経済力と技術力」であるのだから、2012年まさにインドは大国たる資格を堂々と主張できるわけである。
以上、本書に述べられている諸問題のうち政治・経済・外交の概略を書いてきたが、このようにインドをめぐる悲観と楽観、肯定と否定を行き来しながらも作者は最後にこう述べ、インドの大国化を予見した。「インドの最大の強みは、途方もない巨大な層をなす優秀な知的な中産階級の存在である。何千万人にも達するようなこれらの知的階層は厚く、その数は世界の大抵の国の全人口よりも大きいのである」。