昭和の宰相(1)犬養毅と青年将校/戸川猪佐武[講談社]

 

  1926年(大正15年)12月25日、大正天皇が47歳で崩御した。「大正」が終わり「昭和」が始まり、時の首相は若槻礼次郎、政権与党は憲政会である。昭和元年が6日で終わり、翌昭和2年が始まって4か月が経った頃、若槻内閣は「台湾銀行救済緊急勅令案」を枢密院に否決された事からこれ以上の政権運営は困難として総辞職する。さて次の首相をどうするか。大日本帝国では首相が国会議員である必要はなく、全ては天皇の任免による。だが天皇が実際に人選するわけではなく(それでは任命責任、つまり政治責任が問われてしまう)、「最後の元老」である西園寺公望首相候補者を奏請し、天皇がその首相候補者に組閣の大命を下すのである(大命降下)。「藩閥」「軍部」が跋扈する大日本帝国下にあって十年間政党(立憲政友会)の党首を務めた西園寺は政党政治を確立するため、憲政会総裁である若槻の後継に立憲政友会総裁である田中義一を首相に奏請。2年後の昭和4年、田中内閣が「満州某重大事件」処理の不手際で退陣すると西園寺は迷わず立憲民政党(憲政会と政友本党が合併して成立)総裁の浜口雄幸を首相に奏請した。この慣習が続けば大日本帝国下であっても政党政治が根付くかと思われたが、浜口首相や後の犬養毅立憲政友会総裁)首相は凶弾によって倒され、政党政治は儚く消え去り、大日本帝国は破滅へと突き進んでいく事になるのである。

 相次いだ首相暗殺は突発的に行われたものではない。「政党政治は財閥や特権階級を擁護し、自らも腐敗堕落し、近隣諸国への軟弱外交に徹し国防を危うくし、農村の疲弊や都市労働者の困窮を顧みない」という世論・時代の雰囲気があり、「政党政治や財閥に代わって天皇親政による軍部独裁政権を確立し、国家社会主義的改造」を行う事が日本を救い世界平和にも寄与すると本気で信じていた者がこの時代には多数いたのである。それが本書にて繰り広げられる「浜口首相狙撃事件」「三月事件」「十月事件」「血盟団事件」「五・一五事件」等の原因であるが、更に忘れてはならないのはこのような不穏な空気に政党勢力側にも同調した人間が多数いたという事であって、浜口首相狙撃事件の原因になった「統帥権干犯問題」では「政党内閣が海軍の編成権を握る」事により軍部をコントロールする絶好の機会を得るはずが野党・政友会はこれを糾弾するのであり、後の犬養内閣(政友会内閣)では犬養首相自らが関東軍の暴走を抑えるため独自に中国側と停戦交渉を行うも内閣書記官長(今の内閣官房長官)である森恪(政友会で一、二の親軍派)によって妨害されるのであり、単純な「政党勢力対軍部」の構図とはならなかった。結局のところ大日本帝国では首相は国会議員でなくてもよいのであり政党は必要ないのであり、「統帥権天皇に属する」という名目で軍部エリートが力を持つのであった。政党は大日本帝国下では弱い存在でしかなかったのである。本書を読むとその事が痛いほどよくわかる。

 その制約の中で懸命に戦った浜口も犬養も殺され、それを目の当たりにした政党勢力は「軍部といかに妥協するか」が課題となっていくのであった。西園寺は犬養首相の後に海軍軍人・斎藤実を後継首相に奏請し、以後政党内閣は終戦まで二度と表れなかった。残る政党勢力の大物である高橋是清(元立憲政友会総裁。田中内閣、犬養内閣の蔵相)は二・二六事件で殺され、唯一残った若槻は失望のまま虚しく余生を過ごす事となる。そして五・一五事件が起こった昭和7年当時、その13年後に大日本帝国が崩壊する事は誰一人知らない。ああ大日本帝国よ、お前もまた弱い存在でしかなかったのだ。

   

「年若い警官の村田君が駆け込んできて、『総理、大変です。暴漢が乱入しました。早くお逃げ下さい』と叫んだ。私(犬養毅の子息、犬養健)の妻は、直ちにその場を去るべくしきりに促した。しかし父は『いや、逃げない』と言った。また『あいつ達に会おう。会って話せばわかる』と言った。私の妻は苦悩の限りであった。しかし、なまじ逃げ回っても醜態になると、直観的に考えたそうである。乱入者と父とは、(首相公邸の)食堂において、ばったりと顔を合わせた。いきなり一人が父に向って発射した。しかし不発であった。すると父は右手をあげて、ゆっくりと上下に動かしなだめながら、『まあ待て、射つのはいつでもできる。あっちに行って話を聞こう』と言った。

 父は無造作に立って、乱入者を十二畳の日本室の客間に案内していった。父は懐手しながら、食堂から客間までの距離を1分7秒程かかって歩いていったらしい。父が客間に入った」

 日本間に入った犬養は、ゆうゆうと床の間を背に座った。

「諸君、靴ぐらい脱いだらどうかね」と言った。三上(海軍中尉)は、真正面から拳銃を擬しながら、

「我々が何のために来たかわかるだろう。この際、何か言い残す事はないか」

 犬養がテーブルに手をついた姿勢で、上半身を前に乗り出し、喋ろうとした時、一人が、ものの気に憑かれたように、

「問答無用!撃て!」と叫んだ。