- 作者: 井上靖
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2014/10/10
- メディア: 文庫
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やがて光太夫たちはイルクーツクでキリル・ラックスマンという一風変わった人物に出会い、この男は帝室付き鉱物調査官としてイルクーツクのどの役人よりも首都ペテルブルクに顔が利き、この男に請われるままに植物や地質の研究の手伝いや日本地図の作成に協力しているうちに気に入られ、漂流民のリーダーたる光太夫は首都ペテルブルクに来いと言われる。「お前たちが帰国するためには、直接皇帝陛下に嘆願するしか方法はあるまい。陛下にお目にかかるのは容易なことではないが、取り計らってやる」として、異国の一介の庶民である光太夫は女帝・エカチェリーナ二世に謁見、約10年という歳月を経て帰国するのである。
と、ここまで長々とあらすじを書いたのは本書がただロシア帝国に流れ着いた漂流民の運命をロマン的に書いたものではないからである。光太夫たちは無事ロシアの船によって日本へと送り届けられたが、それは何もロシア側の人道的な計らいではなく、漂流民たちの受け渡しを利用して日本との国交交渉に来たのであった。だが時代はペリー来航の遥か前であり、ロシア側との交渉窓口となった松前藩の役人たちは「国法によって異国からの公文書を受け取ることはできない。外交的なことは長崎以外の地では禁止されている」と繰り返すのみであった(結局ロシア側は長崎入港許可証を手に入れたことで妥協して日本を離れる)。そして日本に帰ってきた光太夫と磯吉は江戸に送られ、将軍に謁見してロシアでの10年に及ぶ苦闘の生活を話した後、鎖国政策に悪影響が及ぶことを恐れた幕府により郷里の伊勢に帰ることは許されず江戸で半幽囚人として終生過ごすこととなったという。しかし光太夫はもっと別の意味で憂鬱な後半生を過ごしたに違いなかった。彼は鎖国下の日本で生まれ育ちながら、数奇な運命を経てロシア大陸、そして首都ペテルブルクや女帝が夏を過ごすツァールスコエ・セロの壮大で華やかで煌びやかな大国の先進的な姿を目の当たりにしてまた日本に帰ってきたのである。日本はロシアに比べ形式的で空々しく、ロシア一行を物々しい人の数で出迎えたが貧しく空疎であった。何事も簡単には行かず、簡単に運べそうな事柄にひどく堅苦しく窮屈な手順を必要としていた。光太夫たちは知ってはいけないものを知ってしまったのである。
「自分はこの国に生きるためには決して見てはならないものを見て来てしまったのである。アンガラ川を、ネワ川を、アムトチカ島の氷雪を、オホーツクの吹雪を、キリル・ラックスマンを、その書斎を、教会を、教会の鐘を、見晴るかす原始林を、あの豪華な王宮を、宝石で飾られた美しく気高い女帝を、なべて決して見てはならぬものを見てきてしまったのである」と光太夫は思い、しかしこうも思った。「俺はな、俺は、俺はきっと自分の国の人間が見ないものをたんと見たんで、それを持って国へ帰りたかったんだ。あんまり珍しいものを見てしまったんで、それで帰らずには居られなくなったんだな。見れば見るほど国へ帰りたくなったんだな。思えば、俺たちはこの国の人が見ないものをずいぶんたくさん見た。そして帰ってきた」。
決して理解されぬであろう異国での体験を抱え、日本という国の小ささを感じながらその後の人生を送らざるを得なかった光太夫の姿は「哀切漂うロマン」というよりも「大いなる悲劇」だが、実はインターネットで世界中がつながっているかのように見える現代においても通用するのではないか。だからこそ読んでいる間、胸が締めつけられるような思いをしたのであろう。