連合赤軍「あさま山荘」事件/佐々淳行[文藝春秋:文春文庫]

連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」 (文春文庫)

連合赤軍「あさま山荘」事件―実戦「危機管理」 (文春文庫)

 その昔、高度経済成長と昭和元禄の陰に隠れて極左過激派が猛威を振るっていた時代があったという。極左過激派を構成する20代前半の若者たちは「武装闘争による暴力革命」を唱え、自分たちを取り締まる警察組織に憎しみを抱き、警察署・交番・職員寮を爆破し金融機関を襲っては日本中を逃げ回るという活動に奔走していた。いわゆる「警察戦国時代」であって、マスコミや世論も何となく警察より反体制運動に同情するという風潮の中で著者を含む警察関係者は戦い、やがてかの有名な「あさま山荘事件」と対峙することになるのである。
 昭和47年2月19日、長野県・軽井沢の別荘「あさま山荘」にて極左過激組織・連合赤軍が山荘管理人を人質として篭城、長野県警あさま山荘を取り囲んで人質救出・犯人逮捕に全力を挙げようとする矢先に著者は警察庁長官後藤田正晴)の指名によりその長野県警の指揮を任されることになるのであるが、人質の救出と銃を乱射する犯人への対応に苦悩し、600人を超えるマスコミと生放送で映し出されるテレビカメラを考慮し、縦割りやセクショナリズムによるつまらぬ諍いを一つずつほぐしていく姿はまさに戦場の指揮官である。
 本書はその戦場の指揮官による戦いの記録であり、犯人との対決と同じ割合で書かれているのは実につまらない官僚主義や現場を知らぬ故の形式論や平和ボケしたマスコミや世論との対決である。警察庁長官直々の命令で現場に直行したものの長野県警に「応援無用」と無碍にされ(著者はこれを「長野民族主義」と呼ぶ)本部と第一線の指揮系統は混乱し、銃器の使用は警察庁長官指揮事項とされ(そのせいで殉職者が二人出た)、「警視庁の予算で購入した食料だから」という理由で長野県警には食料を配らず、マスコミ記者のために報道センターまで作ってやったというのにこちらの事情はお構いなしに根掘り葉掘り喋らされ(事件の対応に追われているのに「ちょっとゆっくり話をきかせてほしいんだけど」などと当然のように言う)、警視庁からは「突撃決死隊から長男を外せ。できなければ、せめて妻帯者を外せ」などと言われる。これら一つ一つを、現場の実態やニーズに合わないということを相手方に誠意をもって説得しなければならないわけであり、そのような事に労力を費やしていれば時間などいくらあっても足りない。日本の警察が今ひとつ信用できないのはまさに官僚の問題なのだ。
 あさま山荘事件で忘れてはならないのは「大鉄球」による山荘破壊作戦であるが、人質の救出を最優先とする以上家を丸ごと破壊するわけにもいかない。部分的な破壊により犯人たちを追い詰め、決死隊による山荘突撃を図るのだが敵も死に物狂いであり銃が乱射され、警察は「銃器の使用は警察庁長官指揮事項」という縛りによって思うように動くことができない。そうこうしているうちに現場隊長が狙撃され(病院に運ばれるも死亡)、隊員は動揺して副隊長が代わりに指揮を取ることになるが情報がうまく伝達されない(「こうなった以上銃器の使用を許可する」という命令)のであり、ここで著者は「直接自分が伝達してくる」として先に山荘に入った突撃隊を追いかけて銃撃戦の行われる山荘へと入るのである。まさに命がけであり、このような勇気ある行動もまた現場の指揮官には必要なのだろう。「君は残れ、赤ん坊が生まれたばかりだろう」「いや、絶対お供します」というやりとりが胸を打つ。
 現地はまさに戦場であり、刻々と変化する状況に応じて最善の作戦を立てねばならず、指揮官は常に冷静でなければならない。隊長を殺され何としてでも自分たちの手で犯人を捕まえたいと思う隊員の心情は理解できるが、指揮系統が寸断された以上別の隊に交代させなければならない。また作戦の是非をめぐる議論は平時ならばともかく非常時であれば迅速かつ現場の実情を即座に把握して決めなくてはならず、「スタンディング・セッション(立ったまま会議)」によって怒号を飛ばす兵士たちを導かなければならない。これはもう警察に限ったことではないだろう。
 警察組織は絶対に必要である。予期せぬ犯罪に無実の市民が巻き込まれるのを防ぐために我々国民は税金を出し合っているのである。だが実際に警察は官僚組織に縛られ、マスコミにも縛られ、結局著者のような真面目で普通の警察官たちは日夜苦労することになる。これをどうすべきか。そして有能な指揮官を育成するためにはどうすべきか。治安が悪化する現在、我々は安易な官僚批判だけではなく、本気で「危機管理のための警察組織」というものを考えなければならないのである。