新潟風雨編1 朱色の研究/有栖川有栖[角川書店]

 さてさて本書は2007年4月29日17時51分に神保町古書モールにて100円で買ったものである。1997年11月発行であるからまあ10年も経てば100円で売られるのが普通であって、俺はそれ以上は何も言わんが一言付け加えさせて頂ければそれが経済というものである。わかったか親の遺産で30年どころか50年も食い散らかそうとする奴らめ。
 本書は上野駅から高崎駅高崎駅から水上駅経由越後湯沢駅、そして新幹線に乗り換え越後湯沢駅から新潟駅へと向かった11月23日の電車内にて読まれたものである。11月23日、自分でも明確な理由がわからぬまま新潟へと向かう俺に運ばれて本書は物語を展開したわけであるが、実は遡ること5年前の2002年の11月にも俺は同作者の同シリーズ(大学助教授とその相棒の推理作家)「46番目の密室」(講談社講談社ノベルス)とやらを読んでいるのである。当時からミステリ嫌いの偏見の権威であった俺がまた何故そんなものを読んだのか経緯は不明だが、図書館で借りたことから察するにかなり適当に選んだものと推測されよう。そのわりには5年経った今も犯人が誰か覚えているのだからやはり何か縁があるのかもしれぬ。
 5年前に兵庫県の糞田舎の図書館で借りた本は大阪の大学の図書館で読まれ、5年後東京の神保町で購入した本書は新潟へ向かう電車の中で読まれているのであるから、ミステリー嫌いの俺がこんなことをすることになろうとは何というか人生はミステリーである。そんでもって何故俺がミステリー嫌い(特に探偵もの)なのかというと繰り返しになるので省かないが警察関係者でもない奴が殺人事件にしゃしゃり出てくるというその非現実さに我慢できないからであって、それはまあ俺もラブコメなる非現実の権化みたいなものに手を出しとるから本来そんなことを言う資格はないのかもしれぬがしかしこちらは少なくとも「こんなもの現実にありえない」とはっきりと認識しているのに対しミステリー読者のごく一部にはこのような探偵が警察捜査に加わることに何の違和感も感じないという恐るべき阿呆が存在するのでありそのような阿呆がたむろする吐き気すら催すジャンルにどうして俺が入らなければならんのだということなのである。現実の警察官僚機構から目を背けるそっちの方がよっぽどミステリーじゃ。まして探偵でもない奴が(本作の探偵役は大学助教授と推理作家である)いくつもの事件を解決した(?)とはいえそう軽々と警察組織の中に入れるわけがないのだ。そんなことはちょっと考えればすぐわかることではないか。
 というわけでラブコメなる荒唐無稽なものを信奉している俺のやや近親憎悪的な罵倒は続くが、本作に出てくる探偵役助教授殿の颯爽とした振る舞いや卓抜した推理力は明智小吾郎を彷彿とさせるが明智と違い愛嬌がなくその上堅物ときては全く面白味がない。こんなことを書くと怒られるか。まあ本作の読者層というのは恐らく10代後半から30代の、少々世間に疎い女性が大半だろうから(「活字倶楽部」とかを読んでる女が頭に浮かぶ。または今流行りの「スイーツ脳(笑)」な女か)まあいいか。
 それにしても殺人事件に巻き込まれたというのに警察関係者でもない登場人物たちの前向きさアクティブさというのは何なのだろうか。それぞれが刑事気取り、探偵気取りで事件について何やかんやと意見を述べ(もちろん警察の任意聴取などではない。まるで世間話のように)、ついには2年前の殺人事件現場に(警察の命令ではなく自主的に!)行ったりしてはもはや血の通った人間とは思えんな。普通はPTSDとか情緒不安定とか色々あるだろうに。外国のミステリーならばまだ許せるが(http://d.hatena.ne.jp/tarimo/20070806#p1)、日本を舞台にした日本人の物語とくればその違和感は大である。
 と、まあだらだらと述べた以上のことを除けば本書もまた面白い小説であることに変わりはない。事件究明の過程でやや多少哲学的めいた小難しいことを登場人物に語らせ、「単なる謎解きだけではなく人はなぜ罪を犯しそれをうんぬんかんぬんとさりげなく人間存在の真実まで掘り下げるところが素晴らしい」と頭の弱い女に言われることを露骨に期待しているような描写には鼻白んだが、それさえ除けばなかなかいい小説であった。エレベーターにまつわるトリックには思わず唸ってしまったし、取調室でチョコレートパフェを食べるところなど思わず吹いてしまった。つまるところ、100円で買ったからまあいいかということですな。