シリーズ21世紀の政治学(10)情報と政治/高瀬淳一[新評論]

情報と政治 (シリーズ21世紀の政治学)

情報と政治 (シリーズ21世紀の政治学)

 本書のような本格的な政治学学術書を読むのは何年ぶりであろうか。たまに政治学に胸毛の生えたのような新書の本を読んだような気がするが、学術書となるともしかすると大学生時代以来となるのではなかろうか。そうなると俺の心はいつものようにタイムストリップしてしまうのでちょっと行ってくるので諸君しばらくお待ち下さい。
 大学と言っても夜間のかなり自由度の高い(つまり適当な)カリキュラムであったから俺はゼミにも参加していないし卒業論文とやらも書いていない。そのおかげでラブコメ謳歌し梅田三宮の帝王として名を馳せ自らの興味にまかせて政治学の本を片っ端から読んだのであるが、1年生のとき「一般演習」なるゼミのような形式の授業に参加したのを思い出した。とは言え他の人間は経世会中選挙区制も知らぬ阿呆ばかりであったから俺と大阪府の職員とかいう30歳の社会人と助教授で政局の話をああでもないこうでもないと喋っていたものである。そして何度目かのレポートを提出したある日、「なかなかいい。大学院でも十分いける」と言われたことを思い出した。
 当時既に普通の社会人としてやっていくことは不可能であると確信していた俺は大学という非常識の巣窟たる象牙の塔でなら生きていけるかもしれないとかすかな光を感じたものであるが、その時の俺はまだ18歳の甘えん坊主でありラブコメと怠惰の海に溺れることに無上の快楽を感じそれだけを求めて生きまた生きて流れ流れて今この東京にいるというわけなのである。本書を読んでそんな俺の滑稽にして阿呆らしい人生を考えてしまった。
 本書のテーマは「情報」であるが、1999年発行でありインターネットについては深く言及されずもっぱらテレビの影響について書かれている。現代政治がテレビの影響なくして語れないのは政治学の常識であり、実はその方面についてはあまり触れてこなかった俺としてはわくわくしながら読んだ。とは言うものの本書を買ったのは今や歴史となった2007年9月(詳細はhttp://d.hatena.ne.jp/tarimo/20070916#p1)であるという事実を前にしてさあどうするお前。
 テレビと政治家は相互依存の関係にある。テレビはニュース・ショーの主役としての政治家の発言や行動を絶えずウォッチし、政治家もテレビを通じて自らの考えや行動を労せずアピールする。ただしニュースというのは事実をそのまま伝えるわけではなくテレビの特性を帯びる宿命にあるのであって、刺激的な映像を求める「映像主義」や事実を見極めずセンセーショナルな事件が起きればそのままその情報を流すという「即時性」(容疑者を有罪確定犯のように扱ったり、政治家や検察のリークを裏づけなしで伝える)のなかで人々は政治情報をインプットするわけであり、その結果政治がニュース・ショーと化し「政治はくだらないことばかりして信用できない」というイメージだけが進行する「冷笑主義」がテレビ政治の時代には蔓延しているという。
 テレビには「議題設定」できる能力がある。即ち無限にあるニュース素材の中でそのどれを放送するかはテレビが取捨選択できるのである。とは言っても所詮テレビは視聴率であるから結局は社会の関心が高いものが放送されるのであろうからテレビが世論を操作できるわけではないが、関心は低いものの重要な政治課題というものが存在する場合はやはりテレビはかなり大きな力を持っていると言えるのである。またニュースをあるフレームに分けて放送する場合にもテレビは大きな力を持つのであって、本書ではそれを「戦略型フレーム」「争点型フレーム」と言っているがこれは要するに政局に重点を置いているか政策に重点を置いているかの差である。現在でもそうだがテレビ・ニュースというのは「政局はけしからん」「政争の具にしてはいけない」と言う一方で「政局的観点」や「政争の分析」等を用いてニュースを放送し、これが前述の「政治家は政局や政争ばかりで政策については全く議論しないのでけしからん」というイメージにつながり冷笑主義となるのである(もちろん俺の持論は「政治は権力闘争だ」であるが)。
 またテレビが完全にマスメディアの王者となった80年代以降ではテレビ演出を意識した政治家による政治が行われたことについても本書では言及している。アメリカにおけるレーガン大統領、日本における中曽根首相がそれだが(今なら真っ先に小泉首相に白羽の矢が立つが)、両者に共通して言えることは世論を頼みにすることで世論を恐れてしまうという「諸刃のリーダーシップ」である。中曽根が消費税導入に失敗したのは世論を盾に党内闘争を勝ち抜いた中曽根がその世論の反対にあったからであり、竹下が導入に成功したのは竹下は世論を頼みにしなかったからであろう(当時の消費税に対する反発は想像を絶するものがあった)。他にも日本の歴代首相の所信表明演説の分析が載せられており非常に興味深い。田中が「新しさ」を強調し、中曽根が「改革」「変革」を強調し、竹下が「忍耐」「我慢強く」を強調し、細川以降になるとまた中曽根と同じように常時「改革」が叫ばれ今に至るのである。この点においてもいかに中曽根が特異な政治家であったかがよくわかる。
 政治とは権力闘争であり政局こそ政治の華であるという俺の信念は変わらぬが、では政治学は何のためにあるのかと言えばそのような権力闘争や政局がなぜ起こるかを科学的(政治学は英語でいうとpolitical scienceである)に分析するためにあると考える。俺に対して「政局や政争を煽るとは不謹慎だ」と言う奴がいるが、「日本の政治家は自分のことしか考えない」「政治家は信用できない」と決めつける方がよっぽど不謹慎ではないのかね。