司書宣言1 不安の司書街

 ああやはりパソコンのワード文書で書く方が楽でいいなあ。携帯電話のあの小さなボタンをくりくりピコピコと押していてもどうも思考がまとまらんのだ。それに加え携帯電話の表示画面では文章全体が読み直せないのだから文章のリズムがぎこちなくなり、そのぎこちなさが更に思考を妨害し内容が空疎になりそれを見て鬼畜凌辱強姦輪姦ホモレズサドマゾのほらあのあいつらが俺を馬鹿にするのだ。くそ。うぬ。どうしてくれようか。いちいち言わんがもうあの「死ね死ね」メールはやめてくれ。昨日は「死ね」が118回にわたって書かれてあったぞ。この野郎め何で俺が全部数えなきゃならんのだ。
 いや愚痴はよそうではないか。今日はとてもとてもめでたい日なのだ。確かに俺は大学を卒業したからめでたいには違いないが、実はそんなことはどうでもいいのだ。それよりもこの、司書の資格を取ったことの方が何倍もうれしいのである。そうですよあの図書館で働く知の住人のエキスパートたる司書の資格であります。大体俺がその大学へ入った理由というのが安い学費で夜間に授業をやっていて司書の資格が取れるからという「3点セット」なのであり、今こうして司書資格証明書を見るとやはり感慨深いものがある。ああ生きてて良かった、これを機に立派な公務員浪人になろうと思うのである。無理だ。そんな金はどこにある。ええい金金うるさいわ。なに貧乏人のひがみは醜いだと。おお。今、切実に金が欲しい。
 しかし国家資格でありながらこれほど就職に結びつかない資格も珍しいのではないか。いや俺などその存在を知るまでは司書が国家資格とは思わなかった。ただの本出しではないか。あの図書館にいる無愛想なオバハンを見てみろ。あんなもん俺でもできるわ何でそんなやつに税金払わなあかんのん。図書館なんか知らんがな俺らに金くれやあんたら公共の奉仕者なんやろが。ああいかん俺までもがマスコミに毒されてどうするのだ。人はなぜ公務員になるかといえばそれは楽がしたいからそして民間人を見下したいからなるのであって、一体諸君はどんな聖人君子を想像しているのかね。いやいや何の話をしておるのだ落ち着け落ち着けしかし早く書かぬと30分400円だから1時間で800円。だからせかすなというのに。どうも「みちのく和姦の旅」以来怒りっぽくなって困る。それというのも巷に溢れる鬼畜凌辱強姦輪姦ホモレズサドマゾのせいだそうだ貴様らのせいなのだ。だから落ち着けというのに。
 図書館法第4条第一項には「図書館に置かれる専門的職員を司書と称する」とあり、同条第二項には「司書は、図書館の専門的事務に従事する」とある。続く第五条にその司書資格取得のための説明があり、具体的な資格取得方法は図書館法施行規則に記述がある。これが「司書」が法的資格であることの証明である。ところが第13条第一項には「公立図書館に館長並びに当該図書館を設置する地方公共団体教育委員会が必要と認める専門的職員、事務職員及び技術職員を置く」としか書かれていない。つまり「司書は、図書館の専門的事務に従事する」と言いながら「図書館の職員は司書でなくてもよい(館長や教育委員会の判断でよい)」のであり、司書資格というのは極めて弱い立場にあると言わざるを得ない。なぜなら図書館というのは大体において市区立であり、賄える財政額は国や県よりも限度がある。そこで最初から司書職を設置し図書館員を採用するよりも市の職員を派遣したりその図書館運営自体を民間に委託することが多いからである。おお何ということだ夢の公務員生活が、ではなくてつまり日本の図書館では図書館学の知識を持ったものでなくても図書館を運営することは許されているのである。図書館運営を委託された企業に司書資格を持っている者がいるかもしれないが、しかしそもそも制度上「司書」を重要視していないことは確かである。
 司書資格を持っていない者が、すなわち生涯学習概論も知らず児童サービス論も知らず日本十進分類法も中小レポートも雑誌記事索引も論理演算もその他図書館学の基礎知識を知らない者でも図書館で働けるのであれば、それはやはり図書館を軽視していると言えるのではないか。と俺が言えば「何を図書館ごときでそこまで」と反発する者がいることは火を見るより明らかだが、もうその意識自体が図書館軽視の表れなのである。たとえば書籍検索の方法ひとつ取ってみても司書ならばJ−BISCやJOISや官報やMAGAZINEPLUSなどを駆使して本を探す手助けをしてくれるのであり、ただ漫然と本の題名や作者を検索するよりもずっと効率的にそして内容のある本や学術論文が見つかるのである。おや。これではまるで日本図書館協会ではないか。あの無力な圧力団体め。
 要するに図書館法において「公立図書館の運営にあたる職員は必ず図書館法第五条の規定による司書でなければならない(清掃などの各種事務職員は除く)」等の項目があれば図書館学の知識を持った専門家による図書館運営が可能になるのであり、図書館の質も向上しよう。つまり法律を変えるしかないのであり、そのために日本図書館協会という圧力団体が存在するのである。ただしこれほど無力な圧力団体というのは見たことがない。俺が何でもかんでも政治的に見るからかもしれぬが、世の中の仕組みが法律によって決まりその法律を決める場が政党による関ヶ原である以上あらゆる出来事は政治的なのだ。なにが党利党略だ。党利党略をやめろと言うのは大政翼賛会になれということではないか。いや落ち着け、ああもう一時間経っちまった。ええいやっぱり携帯から更新したほうがいいな。
 病院に医者や看護婦がいなくては困るからこそ医師会が日本最大の圧力団体になりえたなら、図書館にも司書がいなくては困るのだぐらいの心構えで全国にキャンペーンを繰り広げ司書有資格者だけの組織を作り政治献金りそな銀行永田町店の自民党口座に振り込みボランティアを開催し政治家や官僚や経済産業界との人脈を築くべきであろう。日本では圧力団体というだけである種の嫌悪感を感じる者が大半だが、しかし政治活動の自由というのは何も選挙に限ったことではないのである。自らの地位を高めようとすることは合理的な人間なら当たり前の行為であり、それを「公共の奉仕者」云々といって身ぐるみはがされてまで我慢することが当たり前のように思っている奴らが多すぎるのだ。全くこの。落・ち・着・け、というのに。ああしかし時間が。話を続けるが2002年度の日本図書館協会の統計によれば市区立図書館数1606のうち「司書有資格者」は5156人であり、「その他の職員(無資格者は「その他」扱いらしい)」は6070人である。ほら見ろ既に過半数の職員が司書資格を持っていないのだ。これが日本図書館行政の実態なのだ。そのうえさらに人件費削減やら民間委託やらやってみろ、図書館の質はさらに低下することになる。そしてそれは民主主義の危機であって、社会的・経済的身分や障害の有無の別なくすべての人たちに人類の知識を提供してこその図書館が、機能不全とはいかずとも市民から遠い存在になれば、人々は必ずや誤った知識や無理解・偏見の嵐にさらわれるであろう。図書館は無料で本を読み学習できる唯一の機関であり、それでこそ糞田舎の貧乏人である俺もこうして政治を冷静に見ることができる(と思うが)のである。しかしまさか、構造改革の名の下の弱者切り捨て政策の一環として図書館の貸出を有料にするんじゃないだろうなあ。いやしかしもしかすれば。ああ、やはりこの前と同じく地獄の予感がするなあ。それはそうと日本図書館協会の個人会員の年会費は9000円か。どうしようかなあ。これ読んでる人で司書資格持ってる人いますかね。