巣鴨断章

[1]

何が戦争反対だ。国連だ。平和。平和だと。そんな事が人類の歴史の中で一瞬たりとも存在したのか。大体国連軍はいつできるんだ。え。いつまで経っても多国籍軍多国籍軍で何が国際社会が一致だ。みんな自分の国が第一なんだろうが。当たり前だ。みんなみんな戦争大好きなんじゃねえか。嫌いだとは言わせねえぞ。戦争が本当になくなれば外務省も防衛庁反戦活動家もお払い箱なんだからな。殺せ殺せぶっ殺せ。ん。おや。え。いや俺を狙ってどうするいやちょっとうぎゃあっ。(tarimo「ラブコメ政治耳鳴全日記」)

[2]

「三木だ、三木。やはりここはだね、長老たる三木にね、総裁になってもらってだね、この窮地を救ってもらおうじゃないか」
「三木さん。何か一言」
「青天の霹靂だが、男は一度勝負するのだよ」
「なあに三木なら心配ない。あんな弱小派閥のババア芸者にだね、一体何ができるというんだ。それに我輩はまだまだ、持論である日本列島改造論をね、まこれをね、やらねばならんっ。絶えず闘争をしなければ駄目だっ」(広井浩三「政局1974」)

[3]

お父さんとお母さんが出会ったのはね、いつ頃だったかねえ。ちょうどロッキード事件が起きたあたりじゃないかねえ。ああ、あの頃はねえ、まだ長屋に住む人がいっぱいいたんだよ。お母さんもお父さんも貧乏だったものねえ。でもあの頃はまだ、貧乏というのは恥ずかしいことじゃなかったんだよ。みんな貧乏だったんだもの。いつからだろうねえ、貧乏が恥ずかしいことになったのは。(平林康介「回想の昭和史」)

[4]

1976年7月27日、東京地検が田中前首相をロッキード事件で逮捕。8月16日には5億円の受託収賄罪等で起訴。街ではそこかしこに「総理の犯罪にアイムソーリー」と書かれた看板が立つ。(吉田GORO「300年前の日本」)

[5]

それってずるくないですか。あんた達はたらふく甘い汁吸ったんでしょう。で、そのツケが何で俺らにまわってくるんですか。俺も甘い汁欲しいですよ。袖の下もくださいよ。俺だって楽がしたいですよ。ねえ。そうでしょうが。何でよりによってね、俺らの世代でね、こんなに公務員の数とか特殊法人の数とか減っていくんですか。そんなもんね、俺らより後の世代にまわせばいいじゃないですか。そうでしょう。ね、そうでしょう。(「週刊公務員試験」)

[6]

「選挙の結果は、私に対して確かに厳しかった。が、だからといって、私に辞めろというのは酷じゃあありませんか」
大平正芳君138票、福田赳夫君121票、白票1票、無効251票。よって、大平正芳君を内閣総理大臣に指名します」(戸川猪佐武小説吉田学校 第七部」)

[7]

私は今まで何度も「もう20年、いや30年前に生まれたらよかった」と言ってきました。今のような実力主義と経済万能主義に嫌気がさしたからです。ですから私はこの時代にやってきました。ちょうど今は1980年の5月14日でして、あと2日後には戦後政治の一大イベントであるあの内閣不信任案可決の時がやってきます。楽しみですねえ。いやあそれにしてもこの時代はやはりいいですね。インターネットも携帯電話もないですからねえ。本当にゆっくりと毎日が過ぎていきます。仕事も「一流大学卒業だから」というだけで何もしなくてもただ上の指示に従ってるだけで給料がたんまりもらえますからね。はははは。ところがねえ、あの、この時代の本屋というのがね、これはもう貧相でねえ。そら三宮のジュンク堂とか梅田の紀伊国屋なんかも行ったんですがね、25年後の姿を知ってるもんですからね。いやあ見るに耐えないですよ。一応本はですね、「天地無用!」と「ふたりエッチ」は持ってきましたけどね。他は現地で取り寄せろということでね。あの、「元祖大四畳半大物語」とか「聖凡人伝」とかはこっちの方で買いましたけど、他は別にねえ。そもそも「ラブコメ」なんて言葉はまだないですからねえ。ええと、「みゆき」とか「めぞん一刻」の方は連載が始まってますけどね。「ストップ!ひばりくん!!」はまだですかね。それにしてもこの時代の大学生というのはすごいですね。インターネットや携帯電話がないぶん、非常に人懐っこいといいますか、絶えずコミュニケーションをはかろうとしますから。もうなりふり構わず話しかけてくるといいますかね。あ。ちょっと、今日はこれで失礼します。いえ、今は「ガンダム」がリアルタイムでやっておりますので。(井出裕也「ドキュメント・タイムスリップ変態編」)

[8]

巣鴨に集まった戦犯たち。彼らは「戦争犯罪者」として身柄を拘束されたのである。だが、一体「戦争犯罪」とは何か。そのようなものが本当に存在するのなら、朝鮮戦争でもベトナム戦争でも中東戦争でも同じく「戦争犯罪」が問われなければならないはずだ。もちろんイラク戦争においても。(三田一樹「戦後処理」)

[9]

「1980年代の日本、未来の日本は一体どうなるのか。また、年々増えていく少年非行や少年犯罪について我々はどう対処すればいいのか。それを考えることはまさに最優先的な政策課題でありまして、大体今の若者というのは口を開けばかっこいいとかかっこ悪いとかばかり言っておってですね、我々老人はもちろんかっこ悪いと思っておるんでしょうがしかしですね、あの腹の立つ若者をステッキでこうばきぃーんと殴ってやりたいと思うわけでありまして、わしの若い頃も当時の年長者によく殴られたものですから、それはもうとてもとても痛いものでありましたから、わしもこうとてつもなく痛いのを一つお見舞いしてやらなければですね、これはもうあの当時のわしがかわいそう、ではなくてですね、…」(高岡章太郎「わしの美しき青春時代」)

[10]

朝日新聞が「田中支配」と呼んだのは、この頃だ。(早坂茂三「権力の司祭たち」)

[11]

「ただいたずらに聖戦の美名に隠れて、国民的犠牲を閑却し、曰く国際正義、曰く道義外交、曰く共存共栄、曰く世界の平和、かくの如き雲をつかむような文字を並べ立てて、そうして千載一遇の機会を逸し、国家百年の計を誤るようなことがありましたなら、現在の政治家は死してもその罪を滅ぼすことはできない」(斉藤隆夫)

[12]

ああ疲れた。(筒井康隆

[13]

1987年7月4日、竹下登率いる竹下派が113人の議員で「経世会」を結成。これにより15年にわたって政府・自民党をリードした田中派は分裂・消滅した。以後、小泉内閣が成立するまで「経世会支配」が続くことになる。(鈴木棟一「永田町の暗闘」)

[14]

「転機だっ。これでもう我々は負けることはなくなった。日本という、3000年間一度も負けたことがない味方を得たからだっ」(アドルフ・ヒトラー

[15]

しかしながら、政治家は万能ではない。日本の歴代総理大臣にしたところで大仕事を一つか二つ成し遂げただけであり、しかしその一つか二つのためにどれくらいの労力と修羅場を体験しなければならなかったか。鳩山の日ソ国交、岸の日米安保、池田の所得倍増、佐藤の沖縄返還、田中の日中国交、中曽根の三公社民営化、竹下の消費税、橋本の省庁再編と、その一つ仕事だけで彼らは歴史に名を残したのである。では2005年2月現在の首相である小泉はと言えば、やはり郵政民営化に執念を燃やしそれを成功させることによって自らを歴史に刻むつもりなのだろう。(tarimo「ラブコメ政治耳鳴全日記」)

[15]

あ。間違えました。(tarimo)

[16]

僕が初めてコミケに行ったのは、1987年の夏です。それ以来毎年欠かさず夏と冬には必ずここに来ることにしています。絶対ここには来ます。絶対です。たとえ時間がなくても、お金がなくても、手足がなくても、命そのものがなくても、なぜかここには来ることができるのです。そんな人がここには数百人ぐらい、いやもっといます。これは本当の話です。ほら、あなたの隣にも…。(栗田健太郎コミケ殺人未遂事件」)

[17]

リクルート、消費税、そして女性スキャンダルの逆風の中で1989年7月の参議院選挙はついに与野党過半数逆転となったのである。これを受けて社会党は「次は本丸だ。やるっきゃない」として政権交代を訴えたが、7ヵ月後の衆議院選挙では自民党絶対安定多数を獲得した。何だそれは。(大槻信行「政変」)

[18]

俺と宮崎勤の共通点は何か。どちらもパラノイックなまでに自分の趣味嗜好にこだわるということである。俺の部屋にあるあの床が抜けそうなまでに積み上げられた本、ビデオ、エロゲーを見れば恐らく大抵の人は俺に寄りつかなくなるだろう。だが自分が何を好きかもわからず始終流行を追いかけてはそれさえもすぐに飽きてしまう奴らよりは俺の方が断然正しいのであり犯罪は本来正しい間違いの別ではなく当局の判断によってグロテスクに野蛮にキリスト的にOHパパイヤ(tarimo「獄中日記裁判前」)

[19]

「今、マンザイをやってたんでしょう」
「マンザイ? いやそんなものはやりませんよ。どこか、隣の棟からでも、聞えたのではありませんか」
「このお経のあとで、マンザイをやったんじゃないか」
「ああバンザイですか、バンザイはやりましたよ」(城山三郎「落日燃ゆ」)

[20]

「面接に来い。宮沢、渡辺、三塚の三人にそう伝えとけ」(篠原高志「日本政治史」)

[21]

1992年9月25日。OVA「天地無用!魎皇鬼」第一話発売。俺、小学生。(tarimo「獄中日記一審判決前」)

[22]

ついに五十五年体制が崩壊した。そしてここから日本は政治、経済、社会挙げての総スカン時代が始まるのである。もう政治は無茶苦茶経済も無茶苦茶、その大人たちを見て子供も無茶苦茶、あの居心地のいい学歴主義・年功序列・曖昧な微笑み事なかれ社会が運営する世界一の治安国家は過去となり老若男女揃って金儲けに走る地獄の時代のさあスタートです。(木下英二「インターネットを破壊せよ」)

[23]

一応俺の世代というのはエウ゛ァ世代になるんですかね。あの、言っておきますがね、俺エウ゛ァって本当に何にも知らんのですよ。というのはですね、あの、俺は「天地無用!」を見てですね、まあこんないいアニメがあったのかと、後になって自分の嗜好が「ラブコメ」であることに気付くんですが、まあこれはえらいことだこんないい世界があったとは知らんかったとね、思ってね、それでまあ、ラブコメ作品を探す手助けになるだろうということで、まあオタクと触れ合うようになったんですね。ですから俺はオタクではなくて、いやもちろんオタクというのは素晴らしい人たちばかりなんですが、要するに「オタク」という存在なり世界なりを利用して、自分の好きなところだけを都合よく切り取っていたといいますか。だからオタクの人たちに受けがよくなかったんでしょうね。あのう、俺だってね、コミケに行きたかったんですよ。本当に。でも連れて行ってもらえなかったんですよ。(tarimo「獄中日記二審判決前」)

[24]

「日米戦争は山縣翁が生きている限り起こらないよ」(原敬

[25]

ぜいたくは敵だ。ぜいたくする金持ちはもっと敵だ。敵といったら敵だ。何がぜいたくかと言えばディナーと称して高層ビルの高いところで大して量もないくせして金だけが糞高いわけのわからん南蛮料理を食うことであってこの野郎大衆食堂で今日も俺はご飯味噌汁卵焼きサンマの焼き魚。(村松正彦「底辺で迎える新春」)

[26]

自民党社会党新党さきがけによる三党連立で構成されまして」
「えっ。あの、今何と言いました」
「は。あの、自民党社会党が」
「じ、自民党と、あの、あのその、しゃ、社会党が、連立を」
「はい」
「おお。おお。革命は空に散りここは地獄の三丁目。もうここにはいられない。ソ連に行こうそうだそうしようそれしかない」
「いや、ソ連はもうないんですが」
「なにっ」(メディアワークス・編「日本の歴史1900−2900」)

[27]

つまりインターネットによる情報の大量爆発は情報に対する感覚を鈍らせたのである。誰もが簡単に情報を手に入れることができるということはそれだけ情報の重要性が薄いということであり、本当に大事な、貴重な、金になる情報は前よりなおいっそう手に入りにくくなったのではあるまいか。しかしそれは当たり前であって、金になる情報をそんなに気前よく垂れ流してたまるものか。今インターネットで流れている情報のほとんどが金にならない、どうでもよい、阿呆らしいものばかりなのである。むろんこの日記も例外ではない。(tarimo「獄中日記最高裁判決前」)

[28]

せんせいは。せ、せんせいは私を奴隷の如く扱ったのです。そうです。そうなんです。いつも私を国会近くのホテルに待機させ、そして私を、私を、お、押し倒したのです。私は、私はあの人に、か、身体を。この身体を。ああ。ああ。それだけならまだしも、せんせいは、せんせいは、私と私の母を、同時に。ああ、同時に犯したのです。私が、う、うつぶせになり、そして、母は、母は仰向けになり、そして、ああ、ああ。私は女として死ぬよりもつらい屈辱を受けたのです。おお。おお。おお。(一水社・編「世界の歴史1900−3900」)

[29]

手帳に簡単に、完全な正気で死ぬんだから、死因については誰も疑わないでほしい、というようなことが書き残してありました。(ドフトエフスキー「罪と罰」)

[30]

かもしれぬ。だがそれは書くという行為の否定ではないのである。もともと字が読めて新聞に書いてある内容を理解できるくらいの人間なら誰でも何かについて思い、考え、それを文章にして発表したいと思うはずだ。だが文章修行もしていない大した修羅場も経験していない自分が、素人である自分がプロの作家に混じって何かを書くことなどできるわけがないしそもそも出版社が相手にしないだろうということがわかっているから書かなかっただけの話だ。しかしインターネット空間では誰もがどんなに読むに耐えない文章であっても自分にさえその気があれば発表できるのでありそうなれば誰もが我も我もと書き始めるのは当たり前だ。さらにそれが誰かの目に止まればその誰かとコンタクトを取ることによってコミュニケーションの手段たり得るのである。ああそれでこそ今や死刑執行を待つのみとなったこの俺でもこうやって文章を発表することができるのだ。死刑。しかし一体死刑であることに何の意味があるのだろうか。俺はもうすぐ死ぬがこれを読んでいる諸君だっていつかは死ぬのでありそれは10年後か1年後かはたまた明日かもしれんがそれもまた「もうすぐ」であると言えるはずだ。もはや死刑判決が確定した俺には刑務義務もなくだからといって一日中この小さい小さいパソコン画面と小さい小さいキーボードの前に立ち尽くすわけにもいかないので仕方なく便所掃除ぐらいはしているがそれも一時間もかからず、あとの時間はただネットの海を泳ぎ日記を更新するぐらいで一日を終えるのである。何でも法務大臣が死刑執行の署名拒否をしているらしいのだがそれとて同じことだ。どうせ死ぬときは死ぬのであり俺は絞首刑でほとんど苦痛を感じることなく死ぬのだからこれはまさか幸せなのか。は。そんな阿呆な。まあいい。所詮数十万ある日記サイトの一つに過ぎんのだ。どうしてラブコメと政治にこだわるのかといえばそれらによって俺は俺独自の俺だけの視点で物を見ることが可能になり、その結果諸君に違った視点からのアプローチを提供できるのではないかと思ったからこの日記はパブリックモードにしてあるのだ。ただしこの文章を見るのも無料だし書いている俺だって一円ももらってないのだから勢い俺の好き放題お下劣文章ということになるのだがそれとて一つの社会批評としては効果的なのではあるまいか。まあコメントとかメールとかは気軽に送ってくれればよいので。ん。何。何ですか。え。ああそうですか。署名をされたと。で執行は。はあ。今日の夜23時59分ですか。ああよかった。じゃ、今日の日記は更新していいんですね。(tarimo「獄中日記死刑執行前」)