愛と戦争

 奈良県の女児誘拐殺人事件の犯人はロリコンであった。あの、幼女を性の対象と見るロリコンである。ニュース自体は犯人逮捕の時期がインド洋で起きた大津波の大惨事と重なったのでそんなに大きな扱いではなかったが、これでもってまたしても俺と同盟関係にある秋葉原軍への風当たりが強くなるのは明白であり、俺も同志として幾らかの理論武装くらいはせねばなるまいか。それにしてもなぜあのような髪を茶色になびかせ服装に金をかけ化粧に金と時間をかけ結婚と称して亭主を泥のように働かせる女たちに気を遣わなければならんのだ。大体犯人は殺人を犯したから逮捕されたのであって決してロリコンだから逮捕されたわけではないのであり、別にロリコンであることをどうのこうの言わなくてもいいはずだ。しかしまあ仕方ないか。少数は多数に従うというのが社会のルールなのだ。おおあの厚化粧女たちを見ればたちまち吐き気の嵐、修羅の恥。
 俺はロリコンではなく病的なラブコメ狂だが、よく考えればラブコメにはロリコン的描写も存在する。小学生くらいの幼女が男に向かって「お嫁さんに云々」と言うラブコメは結構見かけるし、昨日紹介した「天使のしっぽ」だってロリコン的な部分がないとは言えない。してみると俺も立派なロリコンであると言える。いや、二次元なら誰でもいいのだが、とにかくもし「幼女を猥褻に扱った出版物を発行した出版社は罰金または何年以下の懲役が云々」となってはそれだけラブコメの楽しみが減る可能性が出てくるのでありそれは大いに困る。さらにそうなれば「幼女」を拡大解釈して中学生くらいのラブコメ描写は不可、などと言い出す輩が出ることは火を見るよりも明らかだ。現に先日買ってきたエロゲーには「この作品の登場人物は18歳以上です」という但し書きがあるではないか。や。既に危機は現実に厳粛に頑強にやってきておるのだ。これはいかん守れ守るのだ我がラブコメの夢をそして盟友・秋葉原軍に加勢せよ。ところでそのエロゲーに登場するキャラは全て中学生であったが、ええとこういう場合はどうすればいいのかね。
 しかし再び冷静になって考えればどうもおかしい。俺にしろ秋葉原軍にしろやっていることは二次元のつまり想像上のキャラクターを描いてあれほれこれどぼんと動かしているだけであり、他愛のない遊びなのだ。反オタク軍のように現実の女を脱がしてそしてあの穴に見知らぬ棒を入れて喜んでいるわけではない。ただクリックしているだけの我々をどうして攻められようか。つまり猥褻物に対する当局の検挙が厳しくなれば当然第一に狙われるのはどう考えてもレンタルビデオ屋に並んでいる三次元の実写の大群なのであり、我々二次元への検挙はその次なのである。我が国は一応これでも先進的な法治国家であるから、加害・被害の対象たりえないつまり損害の是非が発生しない二次元よりは実際の三次元上の映像の方が検束の優先度が高いと判断せざるを得ないのである。大体「今からポルノは取り締まることにしました」と言っておきながらエロゲーやエロ漫画だけを没収してアダルトビデオは知らん振りなど出来るわけがなく、そもそも市場の影響を考えればアダルトビデオやヌード写真を取り締まった方がエロゲー松文館よりずっと政策的効果は高いはずだ。反オタク軍の歯軋りが聞こえ俺は高笑いの海。ぐわははははははは。
 ん。ちょっと待てよ。さっきから俺はポルノとか猥褻とか言うとるがそれは一体何なのだ。もちろんそれというのはアレの事でありアレを人前で見せては駄目だということだろうがでは人目をはばかり絶えず鉄のカーテンをひいた暗いところでアレをグッチャグッチャヌッチョヌチョとやればいいのだろうか。こっちの方がよほど猥褻な感じがしていかんのではないか。つまりもうアレをしてはいかんということか。いやいやそれは子孫を残すための神聖な営みであって決して不潔なものではありませんとどこかで聞いた覚えがあるが、ではアレの何がいけないのだ。確かに新たな命が生まれるということはその子供が成人すれば経済の歯車となり税金を払ってくれるのだからいいことなのだろうが、しかしその子供が生まれる過程においては必ず性的興奮が伴ったのだ。そしてその性的興奮というのは街角にあるあのポルノを見聞することで培われるのであって、ポルノ空間から完全に排除され温室培養された人間に子孫をつくれ性行為をしろと言っても何にもならないのは自明であり、はて、俺は何を言っているのかしらん。
 「いえいえ問題はそこに愛がないからいけないのです。愛を伴う性行為は正しいのです」と言う人もいるが、では愛があればSMでもあのその何といいますかこうウンコを使うあれでもはたまた俺の憎んでやまないホモレズでもいいのかということになってますます訳がわからんではないか。えーところで不肖ながらこの俺は愛のないエロゲーやエロ本を買ったことはございません。ですから女が単体でいくら裸になろうが萌えたポーズをしようがそこに愛すべき男の存在がなければ買うことはありません。よろしいですかな。ははは。…。何の話だっ。とにかくこの定義には説得力があるな。愛がなければ駄目という考えには誰も反対できないだろうからこれで少なくともただの女のヌードやアダルトビデオの大半は検挙することができ、残ったのは俺が好きそうなぬるいエロビデオやエロゲーやエロ本ばかりでたちまち太陽の微笑み、朝の鐘。
 ええと、しかしそうなると盟友である秋葉原軍の大半が堅持する「鬼畜・凌辱・強姦」路線はたちまち検挙ということになるな。それはまた困るのだが、しかし俺もあの鬼畜凌辱強姦を見ていると吐き気がするのでやっぱり検挙してくれた方が。いやいやそれでは秋葉原など成り立たない…のだろうか。いやしかしだ、そうなるとなおいっそうあのホモレズ部隊がしゃしゃり出てくるのでは。いやいや…。