常に「現場が優秀」な国

 卑近な例を出す。「この会社の部長は役立たずばかりだ!現場のことを何にもわかっとらん!」と激怒した我が社の社長が大幅な人事異動を敢行して、工場や営業所や支店の部長・所長クラスと本社の部長クラスを入れ替えたのは1年前であった。そして1年が経って、今度は「この会社の部長は役立たずばかりだ!現場に気兼ねして何一つ決断できん!」と喚いているという噂を耳にした。とにかく誰かに責任転嫁したがる我が社長のことはさて置くとして、日本では政府や大企業のリーダーは総じて無能であると言われる。そして無能の理由として「現場の実態がわかっていない」と言われ、次に「現場の人間は優秀であんなに頑張っているのに…」とよく言われる。しかし今は政府や大企業のリーダーとなった人たちもかつては「現場の優秀な人間」であったのであり、だからこそ出世してリーダーにまで上り詰めたのではないか。日本の組織では常に「現場だけが優秀」で、現場で優秀だった人間をリーダー層に引き上げた途端優秀ではなくなるらしい。
 リーダーに必要な条件は早坂茂三氏(田中角栄の秘書)によれば「洞察力、決断力、実行力、情熱」であるが、特に日本のリーダーには「決断力」と「実行力」についての能力が恐ろしく欠けていると言われる。これは何事も場の雰囲気を読んで行動しできるだけ対立を避ける日本人の国民性や日本文化特有の問題のようにも思えるが、そうではなく現場層や経営層のそれぞれの段階で意思決定するのにかなりの時間を要するという日本の組織の欠点から来ていると俺は考える。関係各所へ根回しをした上で、且つ幾つもの会議で承認を得なければならないから決断も実行も遅くなり、その文化を変えなければならないとずっと言われ続け、とうとう変えることができずに今回の震災における政府の失態(と言っていいだろう)は招かれた。地震発生から現在までの政府の遅々たる対応ぶりに憤る気持ちはわかるが、政府を緊急の危機に迅速に対応できるよう「決断と実行」をレベルアップさせたいのならば、もはや政府云々ではなく日本の「組織文化」そのものを変えなければならないのではないかと俺は思うようになった。
 例えば閣議は毎週火曜と金曜に行われ、臨時閣議もあるにはあるが基本的には火曜と金曜に政府の最高意思決定が行われるが、これもおかしな話で、閣議を開かなければならない時に開いて、閣議を開かなくていい時は開かなくていいというそれだけの話であろう。土曜に問題が発生しても「閣議は火曜なので火曜に結論を出すということで」として3日ももたついてはどうしようもないが、ほとんどの会社も「経営会議は毎週水曜日なので」「取締役会は第1・第3の金曜日なので」と言って同じようなものである。この文化を変えなければ話にならない。
 また日本には極めて無責任でありながら声が大きい「マスコミ」の存在もある。思い切った決断、非情の決断、苦渋の決断をリーダーが下したとしても、マスコミは必ず「弱者」(=現場)の味方のフリをして政府や大企業を非難する。もちろん「世論は間違える」のであり、そのために間接民主制というものがあるのだから、マスコミや世論を相手にする必要はない。しかしマスコミはマスコミを相手にしない人間(例えば小沢一郎)に対しては情け容赦なく攻撃して無実の人間を袋叩きにすることも厭わない。かくして責任のない現場の人間は思う存分仕事をして失敗すればリーダーに責任を押しつけ、成功すれば自分たちの功績にできる。これを最も如実に現しているのはやはり官僚組織であろう。失敗すれば大臣や首相のせいになり、成功すれば自分たちの功績となる。だがそれでは意味がないということがこの震災によって証明された。「対策本部」の乱立、情報公開の遅延、いまだ権限が不明確な東電と経産省原子力保安院の関係、全てはリーダーが迅速に「決断と実行」できない日本組織による「人災」である。そして繰り返すが、それを変えなければならないということは、震災のずっと前から言われていたことなのである。