2005年の憂鬱と疲労について

 さて諸君。今回が2005年最後の更新となります。年末の会社は忘年会一色で酒酒酒のオンパレード、ちっとも酒が飲めない俺はアルコール中毒の奴らに愛想笑いを浮かべては顔の筋肉に疲労がたまるという苦痛と、他の先輩社員が酔った勢いで言う誰某の悪口をしっかりと記憶し(だって飲んでないもの)今や社内人間関係の情報通となってしまった自分に愕然とする。しかしこうして2005年を生き抜いたかと思うと自分を褒めたいと思いしかしまた愕然とする。今の俺は一年前の2004年の俺から全く進歩していないからだ。この一年は何だったのか。ひたすら目の前にせまる重圧から逃げては捕まえられ逃げては捕まえられの繰り返しだったのではないか。いやもともと俺はそのような堕落と惰眠を貪る人間であると言っておるだろう。所詮俺は陰湿な愚痴を言うことで密かな悦びに浸る阿呆なのだ。来年こそは会社を辞め、この訳のわからぬ東京とかいうところを脱出しよう。嗚呼、そんなことができるのか。できないんだろうなあ。そして生涯平社員としての道を歩むのだ。しかしそれでもいいではないか。例え仕事がどんくさくても俺にはラブコメと政治があるのだ。それさえあればいいのだ。その為に稼ぐという、ただそれだけの事なのだ。来年こそは、周りの冷笑や嘲笑や酷評に耐えることができるようになりたい。それさえあれば俺は無敵なのだからな。
 それにしても今年の俺の一番のニュースというのは、やはりこの「はてなダイアリー」をはじめたということであろう。自分の思っていることを電子空間を通じて世界中に表明することは自己顕示欲の強い俺の欲望を満たすものであったし、それによって俺の考えや行動が如何に「特殊でマイナー的で阿呆らしい」ものであるかを再確認することができた。まさしく俺は、特殊でマイナー的で他人から見れば阿呆の所業にしか思えないようなことをして生きていきたいのである。とは言え4月以降は怒涛と恐怖の社会人突入でろくに更新もできなかったが、それでも振り返ってみると結構頑張って書いているではないか。大体兵庫県の糞田舎でろくに人とコミュニケーションせずにひたすら内に閉じこもり調子のいいホラを吹いていた童貞オタク男が東京の東証一部上場企業の会社で働けるわけがないのだ。にもかかわらず駆け足で背伸びして仕事をし日々惨劇と苦悶のなかで精神が今にも破壊されそうなのに日記を更新し続けたのだ。いかんまた同じことを言っている。それだけ最近の仕事が俺に与えるプレッシャーはすごいのだ。ひどいのだ。もう殺人的だ。にもかかわらずこの給料、このボーナス、この世は真っ暗闇だ。踊れ狂えわはははははははははははははははははははははははははははははは。
 と、取り乱すのはもうやめよう。「やめよう」と言ったところでやめられるのかわからんがいやそんなこと考えること自体やめるのだっ。2005年であろうが2006年であろうが俺がラブコメに一喜一憂し新聞の政治欄を見てはニンマリしエロゲーに耽るという病気は永遠に繰り返されるのだ。死ぬその時まで。いつ死ぬかわからんこの身体が死ぬその時まで俺の人生は一つの壮大な物語なのであり俺はその物語の主人公なのであり、時を経るごとに人物は増え舞台は大がかりになり更には他の者の物語にもリンクしていくのである。とかく他人の一挙手一動に怯え見る者を困惑させ苛立たせる俺だが、自分が物語の主人公だと思えば少しは自信がつくのではないか。そうして周りの冷笑や嘲笑や酷評に耐えることができるように。あれ。これは前にも言ったぞ。一体何を取り乱しているのだ。それはつまりまさに今から東京を脱出し兵庫県の糞田舎に帰郷することによる喜びからに他ならない。だが、帰ってどうするというのだ。11月に家族が上京した時みたく、また大いなる郷愁に誘われついには二度と東京の地を踏まないつもりか。そもそも実家に帰ったところであそこには何もないんだぞ。命よりも大事な俺のラブコメコレクションに政治資料そしてエロゲーは全てこの東京の家に移動してしまったのだ。当たり前だ。俺の住所は東京都なのだからな。ああ。何ということだ。実家に帰り昔の思い出に浸ろうにもそこにラブコメ本もなければ政治本もないのだ。どうやって浸れというのだ。わからぬ。俺は何もわかってないのだ。そのくせ社会人を名乗っているのだ。
 や。もう時間だ。今俺は都内23区の江戸っ子風情溢れる某インターネットカフェにいるのだが(我が家のパソコンのインターネット無料期間は既に終わっている)、これから家に帰りさっさと身支度をして新幹線で実家に帰らなければならないのだ。お盆の時と同じように京都まで座れず立ったままか。そして俺は、我が青春の地である梅田や三宮を襲撃するのである。その模様は2006年第一回のラブコメ政治耳鳴全日記で報告したいと思うが、そもそも来年は何回更新できるのだろうか。週1だとしても月4回で48回。だが週1で一ヶ月は辛い。ということは。いやいや諸君安心めされいもはや俺はこの日記を離れるわけにはいかないのだ。俺が時代時代の節目にどう考えどう生きたかを知るために、日記は存在するのである。
 俺には誇りがある。守りたいものがある。たとえ他人から見たら阿呆のようなことであっても、心血を注ぐ覚悟がある。22歳の未熟者の阿呆であり何もわかっていないが、俺は俺が最善と思うことをやるより仕方ないではないか。そのようにして2005年は終わり2006年がやってくるのだ。それだけだ。ラブコメ愛する人、政治と歴史を愛する人、オタクと秋葉原愛する人、この日記を読んでる皆さん、よいお年を。